特集 |
「自閉症」。最初の医学的報告は、1943年にさかのぼる。現在でも原因は明らかになっていないが、「十分な治療的働きかけがないままに成長すると、知的発達に障害をきたす」といわれている。裏返せば、「幼少期に適切な医療行為を行えば、障害の発生を防ぐことができる」ということではないだろうか。
『北京かわら版』では、中国唯一の自閉症児を対象とした教育機関「北京星星雨教育研究所」の活動を見守ってきた井澤久美子さんから、同研究所の活動についてのご寄稿をいただいた。このご寄稿をきっかけに、今後四回(予定)のシリーズを組み、中国における自閉症児教育の現状を報告する。
北京星星雨教育研究所 中国で唯一の自閉症児専門教育機関。現在、中国政府は自閉症を病気として認定していないため、現所長・田恵平女史が孤軍奮闘の末、1993年、民間の非営利機関として設立した。当初は、教育施設確保にも苦労し、賃貸物件を転々としていた。1997年末、ようやく北京郊外に恒久的な施設を購入。活動資金は、現在でも厳しい状況にある。 |
特別寄稿 |
井澤久美子
〈「星星雨」の田恵平所長と私〉
私と「星星雨」、そもそものきっかけは、私自身が1995年当時、ユニセフ北京事務所で広報担当をしていた時にさかのぼります。折しも、世界婦人会議が北京で開催される直前の、5月のこと。田恵平女史が運営危機に陥り、「ユニセフから援助の手をさしのべてもらえないか」と窮状を訴えに訪れたことが発端です。それまで使っていた施設を急に追い出されることになったのです。表向きの理由は、「自閉症児はやかましいから、迷惑である」。ちなみに立ち退きを迫ったこの施設は、あの「残疾人康復中心」(リハビリテーション・センター)です。身体障害者のための施設が、心の障害をもった子供たちの受け入れを拒むのです。自閉症はいろいろなタイプの症例があります。その日の状態によっても波があって、殻に閉じこもってしまうこともあれば、時ならぬ時に大声をあげることもあります。でも、自閉症の子供たちは、知恵遅れではありません。映画『フォーレスト・ガンプ』の主人公の通り、むしろ卓越した才能を秘めていることが稀ではないのです。
ユニセフは国連というお役所、小回りが利きません。「ユニセフという大組織の中では、何もできない」とお伝えせざるをえませんでした。しかし、子を持つ母の立場からは、田恵平女史のお話を聞いた以上、それでお引取り願うのでは、自分の気持ちが納得できませんでした。そこで、日本人会婦人部(当時)に私から呼びかけて、微力ながらのお手伝いが始まったのです。
〈日本人会と「星星雨」〉
「星星雨」の活動に対して、1995年から毎年年末、日本人会バザー(当時)やユニセフ・カード売り上げの収益金から一部を寄付金として贈呈してきました。当初から「星星雨」と携わってきたご縁で、毎年、その年次の婦人部・婦人委員会代表が田女史に贈呈する際、私も同行させて頂くのが恒例でした。
北京日本人会婦人委員会は毎年、地元の中国人との友好促進、各種社会福祉に寄与する目的もあり、毎年、秋にはバザーを開催したり、年末はユニセフのクリスマスカードを販売したりして、その売り上げ金を、寄付してきました(例えば:中国緑化運動、希望工程―就学困難な学齢期の子供たちを援助するプロジェクト、中国政府が今世紀中、辺境地区の就学率を高める目的で呼びかけている―等)。名の通った官製の大型案件と同時に、無名で民間の「星星雨」に対しても、まさに草の根的な活動で寄付を続けてきました。
1995年は、上述のとおり「星星雨」が風前の灯に陥った年でした。突然の立ち退き勧告に、本当に路頭に迷う寸前でした。以来、紆余曲折を経て、1997年暮れ、ようやく北京市郊外に一戸建ての家を購入しました。打ちっぱなしの床に、まだ暖房もろくに通っておらず、寄付の贈呈をかねて参観に行った時は、だるまのように着込んでいたのに震え上がりました。ところどころ改造は必要ですが、とにかく自分たちの研究所、本拠地を確保できたのです。それまでの2年間、あちこち転々とする度に、私は、来年もまた笑顔で田女史と会えるのだろうかと、一抹の不安が拭えませんでした。
九八年末恒例の寄付金贈呈のため、完成した研究所を訪れました。前年とうって変わって暖房が通り、暖かい研修室には、教育用の器材やピアノも寄付されていました。厨房も出来あがって、大勢の子供たちを安心して受け入れられるようになっていました。やっと腰を落ち着けて取り組める、そう思ったら感無量でした。
田女史は、ご自分のお子さんが自閉症児です。社会的に認められない病気と闘うだけでなく、この「星星雨研究所」をゼロから立ち上げるにあたって、毎年、毎月、経済的に、精神的に、さまざまな困難に直面しながら、それを太陽のような笑顔と共に乗り切って来ました。その困難を聞いている私の方が、絶望で打ちのめされ、辛く、落ち込んでしまうことすらあったのに、彼女は涙一つこぼしたことがありません。聡明で、媚びない意思の強い面差しに、明るい応対とユーモアあふれる会話、毎年訪れる日本人婦人部の方たちが魅了され、結果、婦人部役員交替の度に、申し送り事項として「星星雨」を見守ってこれたのだと信じます。
● プロフィール
井澤久美子(いざわくみこ)
東京銀行国際部、IBMアジア・オセアニア担当、NHKから依頼されての中国残留孤児取材、三菱商事での中国中央電子台プロジェクト担当など、豊富なビジネス経験を持つ。結婚、子育てなどでフルタイムワークが出来なくなった後も、JICA講師、北京AEAインターナショナルクリニック日本企業営業担当など、経験と実績が要求される実力主義の社会を歩いてきた。1995年に知り合った自閉症児の教育機関「北京星星雨教育研究所」所長・田恵平女史の活動に賛同され、精神的、物質的援助を続けている。