中国を集める66

奈良大学教授  森田憲司

明万暦刊北京城之図

北京城之図(部分)
(『中華古地図珍品選集』より)
   前回紹介した「北京城之図」の話を書こうと思う。『中華古地図珍品選集』(ハルピン地図出版社)から、この地図の一部を図版として掲載した。
   この地図は、東北大学附属図書館の「狩野文庫」に所蔵されている。狩野文庫は、有名な思想家で、旧制の一高の校長や京都帝国大学文科大学(京大文学部)の初代学長になった、狩野亨吉(1865−1942)の旧蔵書によって構成されている。亨吉は、戦前の蔵書家の中でもず抜けた存在で、狩野文庫は、貴重なもの、珍しいものが、多数含まれていることで有名だ。
   前回にも書いたように、この地図は現存する一番古い北京城図とされている。欧米で出た本にも、最古の地図として、東北大学所蔵の地図が掲載されているそうなので、やはり天下一本なのだろう。ただし、図版として掲載した部分を見ていただければ分かるように、地図の大部分は皇城の内部で、内城が周囲にわずかに描かれているだけだ。それでも、真武廟、歴代帝王廟、城隍廟、蘇州胡同など、現在も存在する地名の文字が見える。外城は書きこまれていない。
   東北大学のホームページでも、「珍品選集」の解説でも、この地図は、明の嘉靖年間の作成、万暦年間(1573―1620)の印刷となっている。万暦としている根拠は、上部の欄外に書かれている詩が、明の年号を順番に読みこんで、万暦で終っているからだろうが、嘉靖の方は図の中の情報からの結論らしい。「珍品選集」は、嘉靖十年(1531)から四十一年(1562)の間としている。ただし、今のところ年代判定の明確な根拠は分からない。ちなみに、外城の工事は嘉靖三十一年(1552)からはじまり、十年余りの年月を要しているから、外城がないことも、成立年代の推定の材料になっているのだろう。
   ところで、現存する中国の都市図で一番古いのは、どれだろうか。すぐに思いつくのは、西安の碑林にある石刻の「長安図」で、これは、11世紀に呂大防が復元した唐の都長安の地図だが、古くに破壊されて現在は断片しか残っていない。南宋時代になると、蘇州の文廟に有名な「宋平江城坊図」が現存している。これも石刻で、縦2米80、幅1米40の巨大なものだ。蘇州城内の地図が、今でも持って歩けるくらいに、精緻に書きこまれている。  また、この時期になると各地で地方志が編纂され、その図版としての都市図が残されていて、中国の都市地図として見落とすことができない一群となっている。代表的なものとしては、『咸淳臨安志』の南宋の都、臨安=杭州の地図がある。あるいは、元代に出版された実用百科全書『事林広記』には、北宋時代の国都開封の図が載っていて、都市プランの復元に利用されている。
   北京の場合、日本で見ることのできる一番古い地志に、明の万暦年間に刊行された『順天府志』があり(順天府は明清時代の北京の行政区画名)、これにも城内の図はついているが、かなり大雑把なもので、「北京城之図」とはくらべものにならない。この『万暦順天府志』の地図には、すでに外城が書きこまれている。皇城内部の図は、この本にはない。それ以前の北京の地志は、まったく存在しないというわけではない。十五世紀はじめに編まれた『永楽大典』の順天府の部分を清代の学者が抜書きしたものが、北京大学出版社から出版されているし、元代の北京の地志である『析津志』の断片を各種の文献から集めた本(こういう作業を輯軼という)も、北京古籍出版社から出版されている。ただし、どちらも地図はついていない。
   ところで、この原稿を書くにあたって、中国の都市図の歴史を再確認しようと思って、いくつかの中国地図学史、地理学史と題する本に目を通してみた。ところが、取りあげられているのは、全国地図の類がほとんどで、精度や測量技術、作図法の発展の観点から論じられている。しかし、筆者が関心を持っている都市図については、地図学の側からは、あまり言及されていないことを知った。「学」として考える場合、実用性やデザインが問題になる都市図は、重要度が低いのだろう。これは、筆者としては意外な発見だった。
   それにしても、便利な時代になったものだ。東北大学のホームページの図像はかなり大きなもので、もしこの寸法で本を印刷するとなると、B3版くらいの本になってしまうだろう。中国の古地図集としては、ここで引用している『中華古地図珍品選集』や、基本的な地図集である『中国古代地図集』(文物出版社)の他、大連図書館所蔵の地図を集めた『中国古地図精選』(中国世界語出版社)などもあるが、これだけ大きなサイズで図版を掲載するものはないし、図版の多くはカラー図版ではない。だから、たとえコンピュータの画面上とはいえ、この図像は役に立つ。
   地図だけではなく、珍しい、あるいは面白い写真や図版が載せられているのを、中国関係のホームページの上では、まま見かける。それは、なにもこの北京図のような歴史的な文献や文物に限ったことではない。たとえば、「B級中国」というホームページに毎回掲載されている、ちょっと面白い写真などにも、役に立ちそうなものがある。
   デジタル画像は、新聞などのスクラップとちがって、退色や保存の問題を考えなくてもいいから、こうしたものをどう集め、整理していくかを考える必要が、今後はでてきそうだ。とりあえず場所を取らないからといって、片っ端からダウンロードしていったのでは、目に見えないだけで、ハードディスクにはたまっていくのだから、いずれこれまでのスクラップの紙くずの山と同じことになってしまって、使い物にならないのは確かなのだが。

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