何がおきてる?
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第 七 回
日本貿易振興会アジア経済研究所 海外派遣員 堀井 伸浩
中国では、今や日本ではあまり見ることのできないものを見ることが出来る。もちろんその例は枚挙に事欠かないが、ここでは敢えて石炭を採り上げたい。日本では発電燃料や鉄鋼のコークスなどを除き、一般の人々が石炭を見て、触れる機会は皆無に等しいが、中国では未だに押しも押されぬ主要エネルギーである。北京では三環路以内では石炭使用が原則禁止されているため、昔ほど見かけることは減ったかもしれないが、郊外あるいは地方に行けば石炭を目にする機会は非常に多い。
中国の石炭生産量は一九九六年に十三億七四〇八万トンと最高点を記録し、その後は生産調整もあり減少したが、九八年は十二億三二五一万トンであった。ざっと国民一人当たり一トンという計算になるわけだ。九六年の世界ランキングを見ると、第二位のアメリカは九億五八五〇万トン、第三位のインドは三億八〇〇万トンに過ぎず、中国は断トツの世界第一位である。輸出量は生産量に比して少なく三一八七万トン(世界第六位)で、生産量全体に占める割合は僅か二・六%に過ぎない。したがってほとんどが国内で消費されていることになる。
さて、中国では一体どのように石炭は生産されているのだろうか。大方の知るとおり、なかでも山西省が全体の二十五%を供給する一大産地となっている。山西省の大同や太原を訪れたことのある人は、道路を走っていると車窓から何だか穴ぼこがたくさん見えるのに気づかれたことがあるかもしれない。あれも実は炭鉱なのである。近代的設備により機械化が進んだ国有重点炭鉱とともに、石炭生産の主力となっている郷鎮炭鉱の多くはああいった原始的採掘をおこなっている。十三億トン前後の石炭のうちおよそ半数は郷鎮炭鉱の生産によるものなのだ。郷鎮炭鉱の数は九五年には七万二九一九に上る。まさに中国どこに行っても炭鉱があり、人海戦術で石炭を掘っている状況である。
石炭を生産する他の国々を見れば、石炭生産は非常に高度化した過程となっている。日本では既に主要炭鉱は北海道と九州に二つ稼働するのみであるが、いずれも地下に潜って採掘に携わる人員は僅か数名程度と相当機械化が進んでいる。一方、中国では石炭産業の就業人口は合計六三〇万人を超え、特に郷鎮炭鉱では就業人口三〇一万人のほとんどが生産人員である。労働生産性(トン/人・年)はアメリカやオーストラリアの五〇分の一、インドやロシアと比べても半分である。つまるところ、かなりの部分が機械によらず人力で採掘しているということだ。
その結果、死亡事故も多発し、九八年には六三〇四人の死亡者数が報告されている。これは千人に一人が一年間に命を落とす確率があるということだ。中国を除けば、世界全体でも七〇〇人程度の死亡者というから、中国はこの面でも飛び抜けている。なかでも郷鎮炭鉱における死亡者が、四五七五人と七十三%程度を占める。石炭生産百万トン当たりの死亡者数を比較してみると、アメリカ〇・〇五人、インド〇・五二人に対し、中国五・二三人となっている。また石炭は石油や天然ガスと比べるとすすが出たり、酸性雨の原因となるとされる硫黄含有量も高いなど、環境に及ぼす影響が問題視されている。
こういったことで、近年中国政府は郷鎮炭鉱を中心とする零細炭鉱を閉鎖する措置に乗り出している。九八年から九九年末にかけて三万一〇〇〇の炭鉱を閉鎖し、二億五八〇〇万トンの生産量削減を行ったりした。それでは今後中国の石炭消費量は大きく減少し続けていくのだろうか? 結論から言って、その可能性は低い。北京や上海など、経済的に裕福になりつつある大都市では石炭から石油を中心とする他のエネルギーへの転換が進められている。ところが地方では石炭に比して石油はやはり高すぎる。例えば湖南省では石油価格は石炭の三〜五倍に及ぶ。これでは人々は依然として石炭を使い続けるだろう。またあれほど危険な郷鎮炭鉱でさえ、何百万もの人々がそこで職を求めて働いているのだ。これは地方の農村における貧困がまだまだ深刻であることを示すものである。彼らは政府が禁止しようと生活のために石炭をどんどん掘り続けたいと考えるのは当然である。西部大開発ではないが、沿海部の華やかな経済の成功だけが中国ではない。「石炭王国」中国の現状は、中国経済のこれまでの発展方式が目をつぶってきた問題を鋭く突きつけるものであるように思われる。