連 載

第 七 回

「三里屯」に思う

菅納ひろむ

  三里屯―本誌の読者の皆さんに改めて説明するのも野暮だが、大使館エリアである三里屯の一画は、洒落たバーやライブハウス、雑貨や食品の商店がひしめき、外国人と中国版ヤッピー達が集まってくる一種独特の雰囲気をもつ繁華街となっている。

 二十年ほど前、高校生の頃に読んだ一冊の本でこの地名を初めて知った。すでに絶版になっている岩波新書の『北京三里屯第三小学校』(浜口允子著)。著者は七十年代前半の北京駐在員夫人だ。日本人学校も国際学校もなかった当時、当初は一言も中国語ができなかった二人の息子さんが三里屯第三小学校に迎えられ成長していく三年間を詳細に記録した名著である。この本を手にしたきっかけは憶えていないが、「三里屯」の地名はしっかりと脳裏に刻み込まれた。最近、日本人会の図書室でこの本を見つけ再読したところ、筆者のご主人が勤務されていたのは、いま私が働く事務所の前身だったことがわかって、いっそう親近感を感じた。それに、高校生から駐在員の身に転じて改めて読んでみると、実に得るところが多い。

 この本の説明で、地名の由来が「朝陽門から三華里(一・五q)離れた村」だということも知った。国交関係のある国が急増したため新たに開発した大使館エリアであり、それ以前は一面の農地が広がっていたという。七十年代当時の三里屯の写真も何枚か載っており、各国大使館と民家しかない並木の奇麗な静かな街だった様子がよくわかる。

 ところで、私は毎朝「三里屯幼稚園」に次男を自転車かタクシーで送ってから出勤している。幼稚園は三里屯の二番目のバー街として賑やかになりつつある通称「南バー街(正式名称「東大橋斜街」)」のまっただ中にある。私の所属するアマチュア多国籍バンドが、幼稚園のすぐ隣にあるライブハウスでたまに演奏していることもあって、この通りには朝晩しょっちゅう出没しているわけだ。この付近、週末の夜ともなるとバーに来る客と、その客目当てのタクシー、妖しげなお姉さん、花売り、乞食等々で大変な賑わいを見せるのだが、朝はまるで別世界のように静寂だ。狭い通りなので街路樹がトンネル状に道を覆っており、夏の朝に木漏れ日の中を自転車で通ると、得も言えぬ涼しさを感じる。世紀末の混沌と七十年代の三里屯の面影が混在している通りなのかも知れない。

 『第三小学校』の書かれたのは文化大革命後期で、学校でも盛んに「階級教育」が行われていたという。今やその三里屯には最新のファッションに身を包んだ若者が闊歩している。バンドの関係で若いミュージシャン達と知り合いになったが、彼らはちょうど文革後期かそれ以降に生まれた世代で、ブルースやロックと言った音楽で生計を立てながら、青春を謳歌している。私たち駐在員も色々な趣味を楽しめるようになった。当時の駐在員やご家族たちが今の三里屯をご覧になったら一体どんな感慨をもたれるのだろうか。また私や子供達が二十年後に三里屯を訪れるとしたら、いったいそこでどんな光景を見るのだろうか。楽しみでもあり、何か怖い気もする。

 街路樹のトンネルを自転車で通りながら、ふとそんな感慨をもった。

         

         ライブハウス「ナッシュビル」の                          東洋のシャンゼリゼ?

        花形中国人バンド「Blues Drivers」                    三里屯のカフェレストランの午後 


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