中国美術探索 |
美への彷徨(三)
時代が生み、時代を生んだ人々「揚州八怪」
湿気を含んだ冷ややかな風が、優しく頬を撫でてゆく。靄の向こうにぽっかりと口を開けて私を待っているのは、現在と過去という時を隔てる橋だろうか。静謐なる世界へと滑るように吸い込まれてゆく一艘の小船…時空への彷徨。
運河を張り巡らした揚州の街。かつての水運要衝の地、そして塩の集積地として栄耀栄華を極めたこの街に、多種多彩な人々が一同に集い会った。その名は揚州八怪。清朝画壇に綺羅星の如く登場する八人の奇才たち。即ち金農をその領袖に鄭燮、黄慎、李*、李方*、高翔、汪士慎、羅聘と言った逸士たちである。擁正・乾隆期(一七二三―一七九五)の太平の世、経済の隆盛をその基盤に、売画を糧として個性溢れる作品群を生み出した彼らの多くは、清廉を掲げる余りに世の讒言に遇い官を奪われた文士、思い叶わず野に降った孤高の士、そして一布衣の隠士らの集まりであった。彼らは世の矛盾を嘆き、俗世に罷り通る横暴に対する憤りを、自らを代弁する書画に託して世に対峙したのだった。「奇」そして「怪」であった彼らは偶然の必然として、自ずと時代の風に運ばれ、広大なる中国の各地から揚州の吹き溜まりへと集められていった。小じんまりとした揚州の地で過激な個性を持ち合わせた彼らは、不思議なことにそれぞれを知己として互いに認め合い、伝統をその礎としながらもその呪縛の中に新たなる自由を求めて大輪の花を咲かせる。それぞれの独立した激しい個と個のぶつかり合いが、芸術のそして思想を更なる高嶺へと押し上げてゆく。
「個性」がとかく強調される現代に、真実の独立した個性など存在するはずもなかろう。火打石の如く、自らを叩くことにより輝きを増した彼らたち。現代のスポットライトを浴びて有頂天になる者たちとは根本的にその次元が異なるのだ。人を惹きつけてやまぬ作品とは、力ある作品とは一体どのようなものなのだろうか?それは正に、生み出す者の生命の内奥に秘められた人の一念の深さに他なるまい。
時が人を生み、そしてまた人が時代を紡いでゆく。その間断なき無数の営みが歴史を織り成し、時に眩いばかりの光を放つ。後に「揚州八怪」と称された彼らたちもまた、自らの輝きを精一杯放った星たちなのかも知れない。天空に散りばめられた星々の瞬きにも似たこの世の営み。だが、それも無始無終の無限の広がりをもつ、時を超越した「宇宙」という普遍性の闇へと吸い込まれてゆくのだろうか。