廊坊櫻華包装有限公司(独資)
総経理 池田ひと美
直訴の結果
全国人民代表大会と北京市人民代表大会の開催中、私達は二度直訴に出かけた。とはいえ権力者が会ってくれたわけではない。公安局の人が出てきて「又あんたたちか、わかったわかった」というだけである。そして私たちを北京市政府の接待室に連れて行く。そこで私と王大姐は顔なじみの公安局や市政府の担当者に同じ内容の話を訴えた。
四月に入ってM氏から「マンションに対する抗議文が江沢民主席の弁公室主任のもとに届いた。北京市の市長が羅馬と陽光のマンションの責任者を呼んで事情を聞きはじめている」という情報がもたらされた。王大姐は間髪を入れずに陽光マンション側に彼女の部屋の賠償問題についての交渉を申し出た。陽光マンションは北京の前副市長が香港まで赴いて販売の宣伝活動を手伝ったという、いわくつきの業者である。またこの時すでに三十数人のマンション購入者が訴訟を起こしており、おいそれと交渉に応じてはこなかった。
住民委員会の行き詰まり
一方このころ羅馬花園の住民委員会はほとんど機能しなくなっていた。韓国や香港の経済危機でメンバーの半分は帰国し、残った中国人はマンション側の懐柔政策に乗って裏切る者も現れた。私は住民委員会の建て直しを考えていたが住民の反応は消極的で集会を開いてもなかなか人が集まらなかった。政府の人が事情を聞きに来るといえばわっと集まって文句だけは言うが、さて政府機関一つ一つに連絡をつけ必要な証拠を集め業者の不当な行為を説明すると言った骨の折れる仕事となると手を貸す者はほとんどいなかった。
そんなある日、住民委員会の主席をしていた中国人のL女史から「あんたはこのマンションを売る気はないか」とう話がもち込まれた。「友人に羅馬花園のマンションを二ユニット欲しいという人がいる。私たちは住民のために随分働いてやったがあの人たちはあまりにも身勝手だ。私はもうここに住む気はない。いい機会だからあんたも私と一緒に売り払ってしまったらどうか」というのである。私は「売り払えるものなら売ってしまいたいがそれも値段と条件次第だ」と返事をした。どうせこんな時期に買いたいなどといってくるには値段をたたいてくるだろうから売買など成立するはずがないと思っていた。実際この頃になると羅馬花園は賃貸のために保留していた最後の一棟を売りに出していた。それも内装を豪華にし二五%の手付けを払えば入居できるといったような優遇条件を提示していたので売れ行きもよかったようである。住民達は「業者はマンションをすべて売り払って逃げるつもりではないか」と疑った。
王大姐は「北京市は調査を開始しているという。今回は中央からの指示だから中途半端では終わらないだろう。この時期を逃がしたらもうマンション側との交渉のチャンスはなくなる。あとひと押しすれば相手も動揺するに違いない。今はもう二人だけで直接北京市政府に訴えかけよう。住民組織の改造などやっている時間はない。」と私を促した。
園の周辺が騒がしくなりはじめた。税務局や公安局等の車の出入りがはげしくなってきた。