ご意見2 |
「『支那』は本当に悪くない言葉か」を読んで
大阪府会議員 小沢福子
表題の発言と同じように、「南京大虐殺はなかった」「ホロコーストはなかった」という発言が目につきます。
国際政治の舞台で、絶対通用しないようなことを発言する真意は何か、考え込んでしまいます。大臣になっては失言を繰り返し、アジア諸国の神経を逆なでした議員が何人いたことでしょう。このような議員は大臣をやめただけであって、次の選挙ではまた選ばれて出てきます。その政治見解の低俗さを批判されはしません。
結局、戦後五四年も経つのに、第二次世界大戦の国民的総括ができきれなかったことに、その原因があると考えています。
今、国会では、自自公連立の中で、「新ガイドライン法」「盗聴法」「国民総背番号制」「国旗・国歌法」が成立しようとしています。「こんなんあり?」と、心ある市民はとまどってしまっています。もちろん手をこまねいている訳ではありません。黙っていたらダメとビラまきに、デモに、自然発生的な市民の動きが出てきていますが、でも本当に小さな力です。
日本は不況が続いています。このような時になって、やっと選挙の投票率が五十%まであがってきました。でもまだ半数の人が、なぜか政治に背を向けています。
国会から市町村議会にいたるまで、二世三世議員が増えています。自民党から共産党まで、この数は増えています。国会などこれに天下り議員まで数えたら、三分の二を占めるのではないでしょうか。
これは、どの政党も活力がなくなってきていることを示しています。そして今ほど、市民の意識と政治にズレがある時はないでしょう。
私たちのように、住民運動をバックに議席を占めた議員の真価が問われるのは、これからだと思っています。
国外にお過ごしの皆さんは、日本の現状をどのようにご覧になっておられるでしょうか。やっと投票ができるようになりました。広い視野にたって投じられる一票に、期待している市民の方は、たくさんおられます。
表題のような発言に対しては、改めて真正面から反論しなければなりません。政治をないがしろにしたら、必ずそのシッペ返しを受けます。今度もし何らかの紛争に巻き込まれた時、「知らなかったから」「私たちも被害者だ」は絶対に通用しません。
国境を越え、平和を求める人たちの連帯の輪を広めていくことに希望を託しています。