中国を繙く29

「支那」は本当に悪くない言葉か(6)

櫻井澄夫

   話を続ける。石原氏の発言を巡って、様々な批判が中国のマスコミを通じて行われた。その話の中で「支那」問題について、もっともまとまった見解を寄せたのは、「人民日報」であろう。五月七日の人民日報は「支那′ケ流考」という論文を載せ、「支那派」の批判を行い、四月十九日の解放日報も「支那」問題に触れている。その後、呉智英氏はSAPIOの七月二八日号で、「人民日報の支那呼称問題は非論理的で日本差別である」との批判を展開している。同氏は、「戦争状態にある二国間で侮辱感情が湧き起こることは歴史上普通に見られることですが、それを理由に国の呼称を変えろという異常な主張をしているのは、支那だけです。しかも、この主張は事実上日本に対してのみなされているのです。支那と戦争し、植民地支配をしたのは日本だけではありません。イギリスは日本よりはるかに早く支那侵略を開始し、一昨年返還するまで支那領土を一世紀半も我がものとしていました。ほぼ同時期に侵略を開始したポルトガルは、今なお支那領土に軍隊を駐留し支配しています。イギリスが支那を「支那China(チャイナ)」と呼び、ポルトガルが支那を「支那China(シーナ)と呼ぶことはなぜ一度も問題にされないのでしょう。」ここでわかることは呉氏は、支那もChinaもシナもすべて同じと見ていることである。イギリスが「中国」を「支那」と呼んでいるなどという事実はないだろう。私は支那とChinaの起源が同じであることは認めるが、現在もまったく同じ意味を持つとは考えない。それは前に触れた清国人(*)チャンコロ、Japan(Japanese)とJapとの関係と同じである。ここにこの人の言葉のあらっぽさ、すり替え、欺瞞が見て取れる。

   さて中国の人たちのシナに関し、何が悪くどうすべきであるといっているのだろうか。学習してみよう。「支那」という文字がいけないのか、シナの音も我慢ならないのか、どちらも(他の国の人ならいいが)日本人が使うからいけないのか。そのあたりが日本人の一部の人には理解できないのである。それゆえ、その人たちにより「日本差別」という言葉が使用される。公平に見て、呉氏や石原氏の知識や見解にも疑問があるが、人民日報など中国の論文も、日本人の疑問には十分答えていないし、日本人一般の「支那」使用の歴史を十分学習していないと思う。それが依然として一部日本人の「支那派」を勢いつかせている原因ともなり、呉氏の弁による、「私より若い人たちで支那を「支那」と書く人も増えてきた」背景になっているのではないか。

   この問題はまだまだ収束の兆しがない。今回はスペースがないそうなので、残念だがこの辺で。

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