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北京大学訪問学者 福井佳夫
勤務校の大学より一年間の海外研修をゆるされて、北京へ来てから四ヵ月あまりがすぎた。この北京研修は、もとより私自身の希望によって実現したものであるが、それでもこの四ヶ月は、色々なことにとまどって、こんなはずじゃなかった、というような気分に陥ることが多かった。
私のような中国古典文学の研究者には、中国に対して一種の幻想めいた憧れをいだく者が多い。というのも、我々が日常的に読んでいる文献では、中国は礼容正しき君子や、風雅な心をもった詩人がたくさんいる、理想的な社会であるはずだからだ。それは高校生のころ、漢文の授業で教わった論語や唐詩の一条一句が、我々の脳裏に焼き付けたイメージを、より具象化させたものだといってよかろうか。
もっとも、いくらなんでも、そうした理想的な古典中国の世界を、そのまま現代中国にダブらせてかんがえるような研究者が、いまどきいるはずもない。礼容正しき君子など、要するに儒教理念で粉飾された理想的イメージにすぎず、実際の中国は孔子や李白、杜甫の時代であっても、やはり現代と同様に、猥雑で混沌とした世界であったにちがいないことは、もはや常識だといってよい。
だが、それでも、私のごときおめでたい三流学者は、性懲りもせず、現代の中国に古典中国の残影をさがしもとめようとする。その結果、交通ルールの無視や、店員の粗野な応対に接するたびに、ああ、こんなはずじゃなかった、とおちこんでしまうわけだ。
そうではあるが、いやそうだからこそ、古典中国ふう君子や詩人の残影に出会えた、と感じた(誤解した?)ときは、どんな些細なことではあっても、つい「礼節の道いまだ衰えず」などと、おおげさな感慨にひたってしまう。たとえ、それがバスのなかで、若者が老人に席をゆずるのを見た、というような他愛ないことであっても。
さて今回は、そうした出会えることまれな、古典中国の残影のひとつを紹介しよう。それは対聯(ついれん)である。この対聯とは、要するに「江は碧(みどり)にして鳥はいよいよ白く、山は青くして花は然(も)えんとす」というような対句のことであるが、こうした対になった語句を、門柱や戸口、あるいは家屋の内壁などに書き付けたり、紙片に書いて貼ったりしたものを、とくに対聯と称するのである。内容的には、もちろん縁起のよい字句をならべており、そのうち、正月用の対聯を春聯、長寿祝賀用の対聯を寿聯と呼ぶなど、色々な種類のものがある。
こうした対聯のうち、私がわりとよく見かけるのが、商売繁盛を祈念したものである。老舗とおぼしき餐庁などには、しばしば入り口や壁にこの種の対聯が、麗々しくかかげられている。例をしめせば、「百年老号店小名気大 千里赴京利薄朋友多」(百年の老号店は小さくとも名気は大なり 千里京に赴き利は薄きも朋友は多し)は、北宋時代の開封に起源を有する某餐庁の対聯である。(写真@)また某商店街の入り口には、「居商海要津十分誠実客如潮 匯京都名店満目繁栄勝今昔」(商海の要津に居て十分に誠実なれば客は潮の如し 京都の名店を匯めて満目繁栄なれば今昔に勝れり)という対聯を書いた両柱が、通りの両端にたっていた。(写真A)
おもしろいのは、こうした正統的なものとはちがった、ユーモラスな対聯もどき?である。私がよく行く書店の入り口に書かれていた「欲窮万巻書、更下一層楼」(おおくの書物を読みたければ、もう一階降りてゆけ)の対聯もどきには、おもわず笑ってしまった。(写真B)この語句、有名な王之渙の詩「登鸛鵲楼」の「欲窮千里目、更上一層楼」(遠景を眺めたければ、もう一階あがってゆけ)をもじったものだが、この書店は実は地下一階に位置している。そしてこの語句は、その地下におりていく階段の踊り場に、かかげられていたからである。書物を売るという店の性格、そして地下一階という場所柄をわきまえた、まことに秀逸なパロディーだといえよう。対聯は、左右両端に縦書きするのを正格とするので、連続して横書きにつづったこの語句は、対聯とはいいにくいが、遊び心をもった現代的対聯とでもいえようか。
この対聯、じつはやや専門くさいことをいえば、単に漢字を対にならべればよいというものではない。*平仄(ひょうそく)というややこしい規則も守る必要があって、よほどの知識人でないとつくれない仕組みになっているのだ。その意味で、この対聯こそは、まさに典雅な古典中国の申し子だといってよかろう。現代の中国に古典中国の残影を探し求めようとする、おめでたい三流学者が、やれうれしやと手を打って喜ぶのも、当然ではないか。
残念ながら、今のところ、古典中国の残影は、まだこんなものしか見つけ出していない。もっと本質的な、たとえば儒教理念に基づく孝の精神とか、経世済民の志とか、そうした伝統もきちんと残っているはずだが、そうした高次な精神的営みを見いだすには、まだまだ私の見聞は狭すぎ、語学能力も低すぎる。まあ、楽しみは後にとってある、ということにして、この稿をとじることにしよう。