奈良大学教授 森田憲司
写真の資料としての面白さについては、これまでも書いてきた。戦前に出た、おみやげ用の名所アルバムの類や絵葉書は、収集の対象としてきたし、最近中国で多数出版されている昔の写真を集めた本もだいぶ買った。外国人観光客相手のかなり贅沢で豪華な、当然定価も高い本が多いが、だからといって安直に作られているというわけではない。故宮や友諠商店で売っている、『旧京史照』(北京出版社)などは、いい写真が集められている例だ。
こうした本に集められている写真は、一枚一枚として見ていけば、たしかに貴重なもので、役に立つことは言うまでもないが、その対象が、有名な建造物、たとえば故宮や頤和園、天壇であったり、行商人のような街の風俗が中心になっていても、あくまでも撮影用の写真で、真の街頭風景とは言い難い。また、前にも書いたように、同じ写真の使いまわしも目に付く。
一方で、一般の中国の人を読者とした、昔の写真とそれにまつわる文章を集めた本も、最近では増えてきた。山東から出た『老照片』シリーズあたりが、流行のきっかけだろうか。こちらの方は、写真にストーリーがからまってくるので、我々にはなじみにくく、資料的にも使いにくいものが多い。
さて、9月中旬の北京訪問で手に入れた写真資料に、『北京旧城』(北京市城市規劃設計研究院)があり、それらのいずれとも性格を異にしている。収録されている写真は、北京の各城門を中心に、1950〜60年代の北京の街の建造物とそれを取りまく景観である(一部戦前や70年代の写真を含む)。解放後の北京については、十大建築をはじめとするモニュメンタルな建築や、有名な伝統建築についての本は少なくないが、このような本は見たことがない。
なかでも圧巻は、いくつかの大街、具体的には、前門大街、地安門外大街、東四、西四などの連続写真で、50年代、60年代の北京の街並みが、見事に再現されている。とくに、阜成門から西四までの北側の街並みが、完全に繋がっているのはすごい。その後に文化大革命や昨今の大幅な都市改造を経た北京の、今日ではもはや見られない景観の再現であり、画面の中には清朝以来の老字号(老舗の意)の姿も見出すことができる。おそらくは都市計画かなにかのために意図的に作成されたものだろう。撮影年次や撮影方向などが書き添えられている写真も多い。
この本の存在をはじめて知ったのは、八月の末頃の北京晩報に、長安街の工事に関連して、50年代の北京の写真がまとまって載り、出典としてこの本の名前が書いてあるのに目がとまったからだ。聞いたことのないタイトルだったので、今回の旅行での要チェック資料の一つと考えていたのだが、琉璃厰(リューリーチャン:地名)などの書店では見かけなかった。
結局見つけたのは、故宮の御花園の東北角にある故宮書店の書棚だった。本には定価がついておらず、200元のシールが貼ってあった。街の本屋で見つけていればもう少し安かったかもしれないが、私にとっては充分それだけの値打ちがある本だ。序文も編集後記も1996年となっているが、奥付がなく、したがって書号もない。これまで書名を聞いたことがなかったことを併せて考えると、一般への流通を考えていな い特殊な出版物かもしれない。
ところで、この故宮書店が使用している建物は、*藻堂という名前で、清朝時代には四庫全書の要約である「四庫全書会要」が収められていたところだから、書物とは縁が深い。以前は本屋ではなかったように思うので、最近オープンしたのだろうか。行くたびに色々変わるので、故宮歩きはやめられない。
今回の旅行で心残りなのは、この本の写真と同じ場所の連続写真を撮影して、50年代と現状とを対比するということに思い至らなかったことだ。せめて、本書を手にして街並みを見て歩きたいというのが、次回の訪問の課題となった。