中国五十年の歩み
1949年10月1日 北京天安門楼上で毛沢東が「中華人民共和国」の成立を宣言。
1972年2月 米大統領ニクソン訪中
1972年9月29日 日中共同声明、日中国交正常化
1973年4月 ケ小平、副総理として公職復帰
1976年1月8日 周恩来総理死去
1976年4月5日 第一次天安門事件
1976年7月 華北省唐山で大地震、24万人の死者
1976年9月9日 毛沢東死去
1976年10月6日 四人組逮捕
1977年7月 三中全会でケ小平、党中央副主席、国務院副総理、人民解放軍総参謀長に復帰
1978年8月12日 日中平和友好条約調印
1979年1月1日 米中国交正常化
1980年8月26日 深セン、珠海、汕頭、厦門に経済特区設置
1984年6月22日 ケ小平「一国両制」提起
1984年12月18日 サッチャー英首相訪中、19日「香港問題に関する中英共同声明」正式調印。1997年7月1日返還決定
1987年4月13日 中国・ポルトガル「マカオ問題に関する共同声明」調印
1989年6月4日 戒厳軍、天安門広場突入、多数の死傷者
1989年6月23日 江沢民が総書記に
1990年12月19日 上海に新中国初の証券取引所正式開業
1992年1月 ケ小平「南巡講話」
1992年8月 韓国外相訪中→24日中韓国交樹立
1992年10月 明仁天皇訪中
1997年2月19日 ケ小平死去
1997年7月1日 香港返還
1999年10月1日 中国建国五十周年国慶節
   建国50周年の国慶節、北京では15年振りに軍事パレードが行われた。1984年の国慶節に天安門でこのパレードを見て、「今年もどうしても見たい!」と思ったかわら調査隊S隊長は、同じくかわら調査隊のO隊員を無理矢理仲間に引きずり込んだ。
   北京の西北と東北に住むS、O両隊員は、長安街で合流することを約束して、10月1日の朝8時、それぞれの自宅を出発して自転車で天安門を目指した。果たして、長安街でパレードを見ることができたのか?両隊員は無事合流できたのか?

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国慶節こぼれ話
▽9月22日、総合的なパレードの演習が行われた。建国門外大街に巨大な山車(だし)や戦車や装甲車、ロケット車、ミサイルが延々と通過していく。道の両側には無数の警官が警備についていた。
写真:警官が警備をしている様子

▽長安街の夜間のイルミネーションは、平日用、祝祭日用、重大祝祭日用の三種類に分かれているそうである。国慶節期間中はもちろん重大祝祭日用の照明。

▽一般市民の式典参加者は、今年の6月から、平均週に2日の練習に参加してきた。練習中、参加者のために簡易トイレが設置されたが、何万人という人数のため、毎回行列ができたという。10月1日の朝は、6時30分より天安門広場でスタンバイしたそうだ。参加者には、写真のような記念バッチが配られた。

▽パレードに使われた山車は、10月1日以降天安門広場で展示され、10月10日の夜12時にすべて撤去された。







写真提供 菅納ひろむ