中国を繙く33

「支那」は本当に悪くない言葉か(10)

櫻井澄夫

前号より続く

二、「シナ」に対する態度の乱れ
   元来同じ言葉の亜種とも言えるチャイナ、シーヌ、シナ、チーヌ,チノなどのうち、「支那」のみがなぜ中国の人に嫌われたのかは、これが日中両国が共通して使用する漢字により表記される言葉であったことと無関係でなく、またカタカナ(シナ)あるいは「シナ」という音より、漢字の「支那」によりいっそう強い抵抗を感じる中国人が多かったことは否定しがたい。(インターネットなどで中国人の意見を見てみると、支那、シナすべてに反対する人、シナはチャイナと同じだから全く気にしないという人、支那はまずいがシナならよいという人などさまざまである。石原慎太郎氏は「文藝春秋」一九九七年十一月号で、前駐日大使の楊氏がシナの使用に関して「全然構いません。ただ漢字に当てはめて「支那」と書かれるのは困ります。あれは全く意味のない当て字なので、非常に私たちにとって迷惑だし、不愉快ですから、あれをやめてくれれば結構です」と発言したと紹介している)
   またポルトガル語ではチャイナはシーナ、北欧の言語でもシナと発音するものがあるそうだが、「支那」という用字の問題はともかく、日本人が「シナ」と発音するのだけを否定するには、日中間の特殊な歴史的背景は理解できないわけでないが、シナ派の人たちに対しても一定の説明が必要であろう。「シナ」という言葉(とその音)はそのくらい国際語としての歴史的性格と普及の広がりを持っているといわざるを得ない。疑う人は、世界中でのチャイナ、シノ、シナ、チーノ、シーヌ、シーナ、サイノなどのグループに属す言葉の綴りと発音を調べてみるといい。もっと発見できるだろう。この言葉は本来日本語ではないのである。この説明を避けるからシナントロプス・ペキネンシス(北京原人の学名)までが、「これもシナではないか」などと引き合いに出され、一部の日本人から「日本人の「シナ」使用のみを批判するのは、中国による差別だ」と言われるのである。日本人だけでなく、中国人にも理解の相違と意識の乱れ、知識不足、説明不足が見られる。

三、「シナ」使用の多面性
   前回、前々回にも触れたように、日本人による「支那」の使用のすべてを、蔑視に基づくものと断ずることはできない。後述のように「日本人は中国人を支那人と呼んで馬鹿にした」というような、紋切り型の新聞等の記述は正確でない。そういった場合もあったろうが、その逆に「一般」庶民の使用上にはそのような意識は希薄あるいは皆無であった場合が多いと言うことが可能であると思う。例えば中国の貧民の救済事業に一生を捧げようとした日本人でさえ「支那」を使ったりしている事実は曲げられない。そのような例は少なくない。つまりチャイナの単なる日本版がシナであったという側面は、否定しがたい。(最近一八九五年にあるアメリカ人が日本について書いた本のことを知ったが、その書名の一部に「Gentle Japs」という言葉が使われていた。ここではもちろんJapsは蔑称ではなく、Japもこの当時はJapanやJapaneseの略称であったのである。依然としてJapを蔑称と考えない欧米人が今でも一部にいるであろうことも、前にも触れた英国の辞書の例のように予想できる)
   つまり当時の中国や中国人を指し示す蔑称には、前述のように以前から「チャンコロ」や「チャンチャン」があり、「支那」や「支那人」という言葉がその(蔑称としての)役目を「当初から」負っていたとは必ずしも言えず、本当に日本人が中国や中国人を蔑視する場合、「支那」「支那人」を使う必要は、多くの場合なかったのである。
   私の親の世代の言語生活を思い出してみると、「チャンコロ」は明らかに蔑称であるが、「支那人」「支那」という場合、母などの例では、蔑称としての響きは感じられなかった。私の母は大正生まれで、自分の父親(病院長)も、夫(私の父。明治生まれ。中国史を教える大学教授)も、国立T大学を出たいわゆる知識階級の出身だったが、私たち子供によく野菜のたくさん入った「支那そば」を作ってくれたものだ。彼女の伝統的言語生活には、「中華そば」という言葉は存在していなかった。また私の生まれた東京目白の家の向かいは、中国でも著書の翻訳がでていて、親中国の人物として一定の評価がある宮崎滔天と、その子宮崎龍介(龍介夫人が宮崎白蓮。最近、林真理子がこの人を主人公に「白蓮れんれん」という本を書いている)の家だったが、戦前から亡命者などアジア各国の人々を敷地の一部に建てたアパート(われわれ子供は「ぶんこうしゃ」と呼んでいたが、「文虎舎」か)に住まわせ、私の子供の頃も、年取った「インドさん」と呼ばれる人などが、まだ住んでいた。祖母はここで孫文に会ったことがあると母に語っていたという。「支那人」(支那さんという言葉もあった)と「インドさん」は、ここでは並列の関係であり、蔑称とはもちろん言えなかった。
   最近の、一部日本人の「支那」使用を、印刷物上などで批判する中国人(日本語も日本の事情もよく知らない人が多い)や日本のライター(ステレオタイプ、あるいは感情的な解説が得意)には、そのあたりの事情をよく把握していない場合が多いようだ。また「清国人」(チャンコロの原型と言われる)では、これが蔑称とは、日本語を知らない中国人には文字面からは思えず、「支那」なる自分たちの普段使用しない、気持ちの悪い言葉を日本人が、特に「大支那共和国」(National Republic of Chinaの日本語訳といわれる)というような国号を、「大中華民国」の代わりに使ったという漢字表記上の問題が、まず政府間でやり玉にあげられ、次には「支那」のつく語全体へと反感を強めたものであろう。しかし政府間の国号の問題はともかく、一般の日本人は「支那」を使い続けた。悪いと思わなかったのである。一方、「支那」が中国生まれの言葉であることが多くの中国人に忘れ去られていたので、前述のように「シナ」は「死なんとす」の意(蒋介石)、といった、珍論、奇論が中国人の間に登場した。文字上での日本人の作った蔑称の証拠を探さんとし、まことしやかに解説しようとしたものであろう。こういった「珍説」も、中国人の日本人への反感をあおったものと思われる。
   つまりこの言葉が、時間の変化に連れて日本人によって次第に蔑称的に使用されたという面も否定しがたいが、そう意識されずに多くの日本人によって使われたという面も歴史的には存在しており、同時に日本人による「支那」の使用に対して中国人が反感を抱いたことを日本人はあまり理解せず、両国の関係の悪化が時間の経過とともに「支那」にも影響し、「支那」に色が付いていき、事が大きくなっていったと分析できるだろう。しかし日本に住む日本人はこの問題に敏感でなく、中国に住む日本人の方が、敏感に反応したのである。その証拠は前に挙げた。私たち縁あって中国に住む日本人は、これらの「先人」が、当時の両国関係の中で、「支那」を使わず「中国」を使おうという運動を行っていたことを、銘記すべきである。満鉄の華北版といわれた国策会社華北交通の人たちまでもが、そうしていたという事実は、現地事情を知っての実践の重要さという意味で現在のビジネスにも通じ、教訓的でさえあり、知られていない史実でもあると思う。
   このような歴史的環境的事情をまず理解することなしに、歴史的語彙「支那」の解釈は難しい。
   要するに、何度も言うように、この言葉の使用は使用者側に、「馬鹿にした。差別した」という結果あるいは効果を生んだというより、「馬鹿にされた。差別された」意識が、言われた側により強かったことが、両者の誤解と矛盾をいっそう大きくしていき、中国側の被差別感が助長されていったといえると考える。
   日本でも近年、使う方はそう意識して使っていない「ガイジン」という言葉を、呼ばれた在日外国人などが、差別用語であると批判していることが問題となっている。確かに使う方には差別意識がなくとも、呼ばれた側が差別されているという意識を持つことがままある。呼ぶ方、呼ばれる方の受け取り方の違いである。「シナ」「シナ人」にもそのような要素があることは、否定しがたいと思う。新聞への投書などにも、日本人はこのような問題に鈍感だというものがあって、なるほどと思わせることがある。

(次号につづく)

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