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前から考えていたことを、簡単ではありますが書き記してみました。非常に難しいテーマですからこれで済んだとは思いませんが、まずは私の基本の立場を示しておきます。


「良い作品」ということ

■相対化個人主義

「受け手一人一人が良いと思えば、それがその人にとって良い作品なのではないだろうか」

こういった意見を時おり耳にすることがある。

世間の評判に流されず、自分の感じたことを尊重するのは大事なことで、こう言いたくなる気持ちはわかるのだが、やはりこれは問題があると思う。というのはこれを言っていくと、所詮作品はそれぞれ個人の評価が全てということになり、作品自体の絶対評価ができなくなってしまうからだ。
「俺はこの作品が好きだ。他の人がどう思おうが知ったこっちゃない」
みんながみんなこのように作品に接し、このように作品を評価しだしたらどうなるか。映画のグランプリや主演女優賞といった賞や評価には何の意味もなくなり、毎回確実にしっかりしたものを作り続ける監督は「いくらいいものを作っても正当な評価が得られない」とグチをこぼすことになるだろう。
やはり作品というのは、個人を越えての「善し悪し」があるわけで、またそのように評価されるべきである。「好きか嫌いか」ではなく、完成度としての「デキ」を吟味し、それを尊重されるべきなのだ。それでこそ、向上心や切磋琢磨というものが生まれるはずである。
私はアニメ界ではこの「作品評価」をちゃんとしてこなかったために、今の低迷があると思っている。
「それなりに売れたから」「好きな人もいるから」と、しっかりしたものを作れたのかどうかを確認せずに、そういった個人主義におんぶして今日まできてしまったのではないだろうか。
たとえば、私はエヴァにまつわる商業誌の文章のほとんどを読んでいるが、しっかりとした文章でエヴァをほめているものをまず読んだことがない。
「誰がなんと言おうと、エヴァはよくできた作品である」
こんな当り前のことですら、自分の責任を持って言う人がいないし、またしないのである。
どんなにいい作品であっても、「好き嫌いは人それぞれだから」という相対評価の中で、その他大勢の作品の中に埋没してしまってきたが、やはり「良い作品」には特別な扱いをしてしかるべきであろう。

■世間の評価

この「個人の好みに依存しない」という評価でいった場合、では良い作品かどうかの判断は「世論であるとか、多数決によるものになるのか」というふうに思われるかもしれない。
実際、これはかなり正しいと思えることではある。わかりやすく映画の例をあげてみれば、名作『風とともに去りぬ』は公開当時も、そしてそれから今日に至るまで世界中の人に愛される作品であり、近年大ヒットとなった『タイタニック』も、あれだけの人が鑑賞し誉めたたえたということは、そこにはやはり何かがあるのである。
また絵画の例をあげるなら、世界共通の名画といえる「モナリザ」や「最後の晩餐」などは、誰が見ても優秀な作品であると理解できるだろう。
こういったことからやはり作品の評価において、世間や多数の支持者がいるというのは無視するわけにはいかないことであろう。ただ、ここで大事なポイントが二つある。一つは、あくまで世間というのはジャンルを絞らない一般の大衆であること。二つ目は、一般大衆が評価した部分が「普遍的なもの」であること。これは逆にいって「普遍的なもの」しか一般大衆は評価しないと思ってくれてもかまわない。

■要素

ただ問題なのは、「良い作品」と「多くの人が支持した作品」は必ずしもイコールではないのである。よって世論というのはある程度有効にはなるが、それだけを基準にすることは当然ながらできない。ただ「良い作品」かを判断する「要素」にはなるだろう。
やはり「良い作品」かというのは基準をもうけて判断できるマニュアルがあるものではない。私個人の考えとしては、
「作り手の表現したいものが、しっかりと万人に受け入れられるようにできている」
これが、「良い作品」の条件ではないだろうか。当然、その表現したいこと「自体」が万人に受け入れられるものでなければならないし、その表現方法なども判断されてしかるべきであろう。簡単なようで、実はそうでもない。そしてそういった、表現内容、表現の仕方の判断を仰ぐからこそ、先に述べたように世論というのは無視できないものではないだろうか。

■公(パブリック)と私(プライベート)

話を最初に戻してみる。「受け手にとって良いと思えるものが、良い作品ではないか」これを私は否定したわけだが、なぜこれがまずいのか。
例えば私にも大好きな、大切な漫画というものがいくつかある。しかしそれはあくまで私個人の好きな作品というだけで、そういった名目で語ることはあっても、世間に向かって「これは名作だ」なんて言うことはない。そういう意味でその漫画に対して私が「これは良い作品です」と言うのは、私的な、プライベートな発言といえる。
それとは逆に世間一般に通じるような意見。例えば、故・手塚治虫の『ブラックジャック』等は「これは名作だ」と言われたりする。私にとって『ブラックジャック』は大切な作品でも是が非でも手元に置いておきたい漫画でもないが、その意見は十分理解できる。人を選ばない普遍的な面白さ、テーマ性があるからで、自分の好みの度合に関係なく納得できることだからだ。これはいわば、公(おおやけ)に向けてのパブリックな発言である。
そして「良い作品」というのは評価であり意見である。意見である以上、それは必然的に公のものになる。公に向かって通用するもの、納得のいくものでなければならないのだ。つまり私は「良いと思えるものが、良い作品」というのを否定したのではなく、「受け手にとって」というプライベートなことをまずいと思ったのである。
「公、一般にとっていいもの」これが、良い作品という単語には妥当な定義であるし、第一条件に違いない。

 


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