第8話

おだやかな時刻

原画

沢田正人 和田高明

99年5月23日放送 (TV埼玉、千葉TV)

脚  本:藤田伸三 作画監督:沢田正人

絵コンテ:深沢幸司 演  出:深沢幸司

(アイキャッチBGM)

Aパート直後 

 Bパート直前

あかり

志保

 

 おぼえてるよ、浩之ちゃんとのことはみんな

・アバンタイトル

 日曜日のあかりの家。わざと顔は見せずに、部屋と台所のカットが次々映る演出は映画のそれのようでいい。四人で勉強会をすることになり、あかりはクッキーを焼いていたのだが、最後になってあかりの顔がしっかり映るのもよし。

・Aパート

 四人でするはずだった勉強会だが、雅史は用事で、志保は風邪のためにこられなくなった。そのためあかりと浩之の二人きりということになるが、どちらもさして緊張するでもなく、普段通りに何事もないかのように勉強会が始められる。二人という人数のためあかりの部屋ですることになるが、そういう予定ではなかったのだし、久しぶりに浩之が訪れることにあかりは何かリアクションはないのだろうか。

 お茶の時に浩之は子供の頃の二人の写真を見た。「あんなのまだ持ってるのか」という彼に、「そういう写真、もっと見たい?」とあかりは半ば積極的に尋ねるのだった。

・Bパート

 あかりはアルバムを見せ始める。次回予告ではセピア色だった写真が、本編ではちゃんとしたカラーになっている。四人が中学時代からかなり仲がよかったことが写真でうかがえる。

 おさげからストレートにした理由を話すが、それは浩之に関係あることだった。しかしあかりの家に来るのが久しぶりということやクマグッズを好きな理由と同様に、彼はそれを特に意識せずに覚えていなかった。それに対しあかりは「いーえ、もう慣れました。浩之ちゃんのそういうとこ」と言うが、このセリフがこの回の内容を一言で言い表しているような気もする。

 夕食の後、最後の勉強をする二人。目と目だけで、そろそろ出かけようといった意思のやりとりをしているようなシーンがあり、これにて勉強会は終了となる。

 最後は夜道を並んで歩く二人。「私の知ってる星座のことが問題になればいいのに」というあかりに、浩之は大熊座のことを詳しく話す。まるで「あかりの好きなことに関してはなんでも知ってるぞ」といわんばかりである。自分があかりにしたことはほとんど覚えてないが、あかり自身のことについては興味があるし覚えてもいるというのは、実に彼らしいといえる。

・総評

 あかりと、彼女の家を訪れた浩之。二人だけのある日曜の淡々とした出来事を描いた回。志保は電話口による声だけの登場で、声優も三人だけであり、それだけ二人の会話とシーンのみで構成されている回である。

 二人きりといってもさほどいつもと変わらない感じであり、極個人的な恋愛感情に根差したような会話が出てくるかというとそうでもない。いつもなら志保のボケや雅史のツッコミが入るところを、それを抜きにして、ただいつも通りの調子の会話が最後まで続くことになる。そのため、二人きりという今までにない特殊な状況に関わらず、普通の会話に普段通りの様子を最後まで「覗き見」したという感がある。正直、何も出来事はおきないし、二人の様子を見ることができてもそれぞれがどんな事を感じたかも示されないので、では一体この話をどう見ればいいのかどういう感想を持てばいいのかはっきりわからない。それなのに、この回では毎回最後にあった「あかりのモノローグ」が存在せず、それがやはり不満に思えた。もしいつものように「今日はいろいろと嬉しかった」「せっかく二人きりになれたのに、いつもと変わらなかったな」と最後にあかりのモノローグがあれば、それに対して見ている側は「よかったね」とか「あら残念」と感想を持つことができ、それでこの回を振り返ることができる。そうした具体的な感想をもちづらいので、淡々とした描写にある種の「窮屈さ」を感じてしまうかもしれない。

 ただどうしてこの回をそうした描写にしたのかといえば、二人の関係の「普遍性」を言いたかったからではないだろうか。理屈でどうこうではなく、「二人は昔からこうなんだ」と。結局、恋愛感情の形として二人の間柄があるではなく、二人の関係ってのはとにかくこういうものなんだと。そうした今まで何度もあったであろう話のモデルケースとして、この話を提示しているのかもしれない。

(しかし、原画二人に声優三人と、なんともリーズナブルな回である)

 

 

戻る     9話へ


(26話へ)    (トップページヘ)