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沢田正人 阿部達也 深沢幸司 中沢勇一 若山政志 後藤潤二 志村 良 中村 裕 上 優子 吉澤則敏 木下喜生 吉田 肇 中島利洋 細田直人 | ||||
99年6月13日放送 (TV埼玉、千葉TV) 脚 本:山口 宏 作画監督:斉藤英子 絵コンテ:深沢幸司 演 出:深沢幸司 |
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・アバンタイトル
下校中(と思われる)の浩之とあかり。枯れ葉についての話をしていると、ベンチに座っていた男がそれについて語りかけてくる。この男は長瀬というが(EDで判明)、実はゲームをプレイした人間にはわかるがマルチの製作者なのである。
ゴミとなってしまう枯れ葉も、土の上に落ちれば養分になることもある。「この世に役に立たないものなんか、一つもないはずだよ」と言い残して去っていく。
・Aパート
浩之とあかりは、日曜日にマルチを連れ出して遊びに行く。無邪気に遊ぶマルチを見て、浩之は本当に人間の子供のように思えた。
食事の後、駆け出した子供がマルチの前で転んでしまう。それをマルチは義務的に対処するのではなく、「大丈夫ですか?おひざを痛くしちゃったんですね。じゃあお姉ちゃんがさすってあげます」とまさに人間のように介護するのだった。マルチの特徴を描いたエピソードである。
その後二人はマルチに洋服をプレゼントしてやる。
・Bパート
冒頭から2分間、ほとんど無音のままで、マルチが最後の掃除をして学校を後にしようとする経過が描かれる。学校への感謝の気持ちやテスト期間を終えた満足感、ならびに切なさを感じる見事な演出だった。
そのマルチを校門で浩之達が出迎えた。手作りの卒業証書を渡すというイキな計らいをする。Aパートでの洋服のプレゼントといい、あくまで一介の人間として扱ってあげるのである。
マルチが去った後、浩之はまたベンチに座った長瀬と会う。ここで面白いのは二人ともマルチについて語るのだが、どちらも相手がマルチのことを喋っているとは思ってないことである。
これはアバンタイトルでもそうだが、長瀬が話しかけてくるのがやはり唐突すぎるのはないかという気がする。本編中ではマルチの製作者であることは不明なのだから、これでは謎のおじさんとして見えてしまうかもしれない。ただ、その方が長瀬のセリフが印象深くはなるかもしれないが…。
マルチがいなくなって数日、「人と仲良くなれる、友達を作ろうとしたんじゃないかな」というあかりのセリフにも浩之は反応せずにどこか不機嫌。そんなことはわかってるが、それでももうあいつはいないんだ、とでもいいたげである。
そんな浩之の前にあっさりとマルチは帰ってきた。いなくなったことでいろんな問題を提起してそれが心に残る余韻になっていたのに、帰ってきた途端に万々歳になって、そうしたテーマや「メイドロボの在り方」といったことが白紙になってしまった感じがある。別に帰ってきていけないわけではないが、「マルチを必要とする人もいる」といったテーマに関係する部分があればよかったと思う。それにマルチ自身が「落第」したことを何ら残念がっていないのも、予定調和的に見えてしまった原因かもしれない。(といってもマルチの性格なら仕方無いか?)
それに帰ってきたのは12、13話で登場するためもあるのだろう。
・総評
この回で気になるのは、やはり長瀬がマルチの製作者であることを明らかにしなかった点である。その研究者っぽい風貌と語っている内容で、勘のいい人間ならば「この人が製作者?」と脳裏をかすめるかもしれないが、それでもまず実感できないことであろう。なによりそれとわかるものを一つも用意しなかったのだから確信のしようがない。ということは、長瀬の正体をあいまいにしたのは意図的なはずである。もちろん、この作品を見る人間の大部分はすでに長瀬に対する知識を持っているだろうが、それに甘えてとは思えない。
あえて正体を明かさずに登場させたのはなぜか?
考えてみるに、長瀬の正体がどうこうよりも、そのセリフをこそ注目してほしいといったことぐらいしか思いつかないのだが。
冒頭で「この世に役に立たないものなんか、一つもないはずだよ」という長瀬のセリフがあったが、まさしくこれをテーマとして「マルチという存在が必要か否か」を問いかける回であった。
メイドロボとしての機能を問われると充分とはいえないマルチだが、前回からある愛敬あふれるところ、転んだ子供にみせた面倒見のいいところなど、そうした他にはない良いところを持つ。長瀬の枯れ葉も見方を変えればいいところもあるといった言葉そのままに、マルチの長所が描かれた。
本来のメイドロボが機能優先で人間の補助をするのが役割ならば、マルチは人間とマンツーマンでつきあう、いわば介護的なロボットとしてその役割が果たされるということだろう。そしてその点を評価した時にこそ、マルチの存在理由が際立つのである。