3月18日(木) |
今月のアニメ誌見聞録 その2 |
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さてアニメ誌見聞録の続きである。
・原作の話を一時切り捨て、ラスト3話は独自の回となるカレカノ。そのプロデューサーの佐藤裕紀氏のAXの文である。
「今回の作品は『チャレンジ精神』に集約されると思います。原作物である、少女まんがである、という大枠もそうですし、若手のスタッフの登用もそうです。そうして第1話から作り続けてきた結果、ラスト3本については「(我々なりに考えた)主人公2人の行く末はどうなるのか−24話」「描かれていない人物(この場合は月野、花野)のキャラクターをオリジナルな発想で膨らませることが出来るか−25話」「作品世界はそのままに、アニメ化という映像作品として生まれ変わらせる工程の中で第1話のようにどこまで表現を搾り出せるか−26話」という風に3本のテイストに分けてみました。つまりどの話数も我々にとって「チャレンジ精神の成果」という意味では「最終回」なのであります。
現在連載中の文化祭の話はあと4〜5回はかかりそうであり、とてもアニメの方では追っていけないと思っていたので、話を切り捨てて描きたいこと「だけ」をオリジナルでやってみようというのはいい意味での切り替えだと思う。実際この『カレカノ』は単にストーリーを追うのではなく、やってみようという「勇気」や、願いがかなった「喜び」など、その「瞬間」を描くのを大切にしてきた作品なので、こういった展開もありであろう。原作が連載中な以上、安易な結論や結末を作るわけにいかず、過去の連載中のアニメ作品の最終回が「これからもよろしくね」といった無難なものが多い中、物語や作品に完結をつけず、「この作品の大事なものは何か」ということをみつめて最後にそれを提示するというのは、結果的にその作品が視聴者に印象深いものになるかもしれない。
そしてニュータイプで佐藤プロデューサーが「続きは原作に託すという終わり方です」と語っているように、物語として続きを楽しみたいという人は原作を読めばいい。ひとまずアニメの役割をまっとうしたかで、この作品を評価するべきだろう。
・同じくAX連載のガメラ特技監督の樋口真嗣氏のコラムより、
「で、映画も仕上がってからというもの、よく耳にするのは「子供向けじゃない」「子供は観に来ない」といった風評。もちろん言っているのは大人の皆さん。〜中略〜 何をして子供向けで、何をして子供向けじゃないのか? 〜中略〜 それって子供が決めることであってオトナが定義しちゃイケナイんじゃないか? それとも“子供向け”のモノを嗜好するオトナが世の中には居て、その人たちが子供の頃に観たヤツのようなものがもう一度観たいヨーン、でもこれは違うヨーン、っていうか、子供はかく在るべき、だったらいいんだけど、子供向けはかく在るべき、といった風潮が最近よく目につく、それって俺ヤダな。なんか後向きで。
アニメにおいてもある話であるし、前から考えていたことなので非常に好感の持てる意見である。子供だからこそ、大人びた自分の未知のものには興味を持つわけだし、大人や世間といったものを見つめて育っていくのである。吟味すべきは大人向けか、理解できるか?ということでなく、嘘をついていないか、真面目に語っているかといった「態度」や「モラル」であろう。そういったものが欠如したものが俗にいう「子供だまし」というもので、子供はそんなものはとうに見抜いてしまうものだろう。
同じ樋口氏のコラムの後半は、『ガメラ3』はいろいろ謎が多く、その中で綾奈の弟の悟くんは節々から想像するとこういった子かもしれない、というものであった。しかしとてもじゃないが映画を観てる最中に感じられることではないので、それは解釈としてはありでもそれがあの映画の深みに貢献しているとはとてもいえないだろう。たしかにあの映画、設定や人物像などいろいろと背景を想像していくことはできるが、それが映画の本筋とはまったく結び付かないし、鑑賞中に伝わってくることでもないので、どうしても無意味なものの集合体としか感じられないのだが。
・OVA版『ガオガイガー』には新型ガオガイガーの『ガオファイガー』が登場するそうだが、そのメカデザインがあの藤田一巳さんだそうだ。(やはり「Zガンダム」のデザインが一番有名だろう)ガオガイガーという作品にあまり愛着がないためOVAも特に期待はしてなかったが、見てみたいという要素が一つ増えた。
しかしこの記事もAXであり、これが一番読むところが多い。10日発売に限定しなければ一番楽しみにしてるのは「Looker」である。番組宣伝に終始せず、何が有意義な情報かを理解しての誌面作りが好感がもてる。
・夏に劇場公開が控えている『ウテナ』と『アキハバラ』が、そのキャンペーンのためイベントが立て続けに行われる。ウテナはともかくアキバはどうでもいい作品だと思っているが、劇場版の監督が大ファンの桜井弘明氏なので、氏におめどうりがかなうイベントにはひかれてしまう。もちろんウテナの幾原邦彦氏も大ファンなので、合同イベントにはぜひともと思うが、アキバのバスツアーってのは考えものだ。
3月17日(水) |
今月のアニメ誌見聞録 その1 |
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さて今月も恒例のアニメ誌を読んでのレヴューである。
・もうすぐ3月も終わりに近づき10月からの番組が一斉に終わりを告げる時期である。よく見ると今回『ガサラキ』『ポポロクロイス』『セイバーマリオネット』と、全25話の作品が多い。正月休みのために通常より1話少ないわけだが、過去の『エヴァ』『スレイヤーズ』『サミー』、今年の『カレカノ』などは正月の違う曜日の朝などに放映することで解決してきた。しかたないとはいえ、大事な作品の話数が変更されたりすることにスタッフやプロデューサーは何も抵抗をしめさなかったのだろうか。とはいえよく考えてみると、これにはアニメ作品の大量化がその背景にあるのだろう。これだけ多くの作品全てに、特別な放送枠を与えるのはやはり現実的に無理である。最近の作品の増大で「スタッフの枯渇、内容の希薄」などといわれるが、こういう放送枠問題も浮き彫りになった現象といえよう。
それにしても『バブルガムクライシス』は2話休んだのだが、TV放映は24話まででラスト2話はLDで発表というのはひどい話だと思う。「続きはLDを買ってください」というのはなんともパイオニアらしいが、所詮TVアニメはLDを売るためのプロモーションという同社の思惑が露骨に出た手段である。TV作品として見た場合、打ち切りのためやむを得なかった『イデオン』『レイズナー』、休むことなく最後までやりとげた『エヴァ』等とは全然違う話なので、こういうものこそ真に議論すべきことだと思うのだが。
そういう意味で最近増えつつある衛星やWOWOWでの放送というのは完全に放送が保証されているという点でも、やはり制作側にはありがたいことなのだと改めて認識した。
・やはりこの時期新番組の情報がメインとなる。
期待の∀ガンダムでは、準主役であろうソシエ・ハイムという少女もモビルスーツに乗るというのが大変興味深い。一介の貴族の少女にすぎない彼女がなぜ、どのようにロボットに乗るのか。そしてそれはどういった風に描かれるのか。ガンダムというシリーズが長期化し視聴者にも固定概念が育っていることと、富野監督の女性へのこだわりから、「いっそ主人公は普通の女の子でやってくれないかなぁ」と前から思っていたのでこの設定は個人的に嬉しい。
さすが発表から放送開始まで1年程の間があった『To
Heart』は、作画に関しては気合いが入っているとのこと。同様に『デュアルぱられルンルン物語』も12分程度の番組ながら、第1話では8000枚ほどの(おいおい…)セル画枚数を使っているらしい。それはそれでいいが、こういったことしか伝わってこないようでは困りもののような気がするのだが。
その『デュアル〜』は音楽がOVA天地等をやっていた長岡氏なので真の意味で『サミー』『大運動会』スタッフとはいえないと思っているのだが、肝心のその二作品の音楽担当の周防義和氏は『天使になるもん!』の音楽担当であった。『エンジェル・リンクス』も大ファンの佐橋俊彦氏が音楽担当であり、両作品ともとりあえず楽しみな部分が増えたといえる。
「しゅんすけ君、だ〜い好き!」じゃなかった、「ゆーすけ君、だ〜い好き!」の『天使になるもん!』が設定やAX付録のビデオCDを見るとなにやら面白そうである。『コレクターユイ』も絵だけ見てると気になるのだが……。
…いかんいかん。去年何度この手にだまされたか。
OVA『メルティランサー』の音楽がGロボの天野正道氏とのこと。あの予告の曲が? ほんとかいな。
(続きはまた明日)
3月15日(月) |
エトセトラ |
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・昨日のイベントで∀ガンダム主役のロランの声が、『ブレンパワード』のカナン役の朴路美さんであることを聞く。他の声優陣もブレンからの引き継ぎが多いとのこと。(みろくじ宇一郎さん、情報提供ありがとうございます)これによりガンダム初の主役が女性声優ということになります。まさかビッグバン宣言で言った「声優は全て女性で固めたい」というのは本気だったのかもしれません。
朴さんの声は非常に好きですが、男性役の声というのはちょっと想像がつきません。とはいえ不安よりも「どんな感じなんだろう」と楽しみが増えた気分です。
・ロマサガシリーズの伊藤賢治さんが音楽担当ということで期待している『チョコボレーシング』のCMが始まりました。古谷徹さんのナレーションを起用して「カーグラフィックス」という番組のパロディになっているのがイカしますが、それよりも流れている曲がFF5のフィールドのアレンジなことに「うわ〜!!」と感激してしまいました。こりゃー楽しみです。(ソフト買うわけじゃないですけどね)
・相方の熱血最強MADは公開一月程前に試写会で『ガメラ3』を見ていたのだが、またもや抜け駆けして『天地無用
in LOVE2』を試写で見てきたらしい。
ずるい。
本人いわく「なんとも微妙で、すごくいいかまるでだめか、判断に困る映画だった」とのことなので、余計気になる。
何か4月10日にあるオールナイトの上映会に連れていかれて「そこでチミも見て判断したまへ」ということになっているらしい。
おかえしに夏の劇場版ウテナ&アキバに無理やり連れていくことにする。どっちもTV版をちゃんと見てないとのことだが、
そんな事は知らん。幾原邦彦氏&桜井弘明氏のことを知ってればそれでOK。((c)ウイングマンOP)
3月2日(火) |
2月のOVA『サイバーSIN』2、『ジーマイン』 |
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まずは『サイバーフォーミュラSIN』の2巻から。
レースシーンもなく、ほとんど加賀と名雲の会話劇だけで構成されていた。他の登場人物も皆無に等しく、何がまずい部分があるわけではないが、やはりそれだけで30分というのはもの足りないと思ってしまう。
全5巻と今までに比べれば短いシリーズであるにもかかわらず、このようなゆっくりな展開でいいものかという不満も生まれ、やはり望んで作り始めたのではなく必要にせまられてのシリーズのために、こうも薄い内容のまま制作が開始されたのかと憶測してしまう。かなり単純な、こじんまりとした作品になりそうである。
とはいえ、作りとしては問題はなくむしろ優秀な部類に入ると思うので、このまま安定したものができればいいと思う。
ただ、次回予告のお遊びが「この菅生あすかが、アスラーダにかわってー」などど、前回よりもエスカレートしていくのはどうかなーと思う。そのうちハヤトがフーミン化しそうだなぁ。
非常にターゲットを絞ったような作品で、ダメだろうと思いつつちょっぴり期待していた『ジーマイン』だが、予想をはるかにこえたダメダメ作品であった。
OPの歌も改めて聞くととてもよいとは思えない代物だし、本編も本当によいと思える場所が見当たらない。肝心のメカシーンもOVAとしてのクオリティは感じられなかった。
(あまり作品には関係のないことだが、「バンク・合体シーン:スタジオ ダブ」という表記があり、∀ガンダムを控えながらもデビマンレディーを月に一回の割合で担当していたダブが、こんなことまでやっていて大丈夫かいな? と余計な心配をしてしまった)
まぁ続巻も見るかもしれないが、何の期待もしないことは1巻を見て決まってしまった。
2月27日(土) |
雑誌「GaZO」VOL.2 |
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徳間書店より、アニメージュ・スペシャルの雑誌「GaZO」のVOL.2が発売された。
前回、非常に読むところが多かったのだが、今回はそれ以上に読むべき記事が多く、この増刊のスタンスは支持していきたい。
今回は『ガメラ3』公開直前ということで「日本の特撮」という特集で、ガメラの特撮監督である樋口真嗣氏、ティガを2本監督した川崎郷太氏、庵野秀明氏、岩井俊二氏らの対談記事で構成されている。
特に樋口氏、川崎氏の対談の中の次の部分にはなるほどと感心させられた。
川崎「映画でもテレビでも、どうしてリメイクする発想しかないんでしょう」
樋口「戦後の教育のせいだと思いますよ。つまりそういう発想って、試験でいかに良い点を
取るかというのと一緒じゃないですか。試験で良い点数を取れればOKというような
価値観が、実はかなり上のレベルまで蔓延しちゃってることと関係があるんじゃないかな」
庵野氏は対談で特撮界、特撮ファンの問題点を語っているが、これはドキュメントビデオ『ガメラ1999+』を見ていると非常に納得のいくものであった。いや逆に、この記事を読んでからビデオを見るべきかもしれない。世間の特撮に対する印象を、偏見だと決めつけるでもなく、現実問題として受け止めている庵野氏の問題提起は、あまり特撮に興味のない私としてはよくわかることである。
特集記事ではないが、この雑誌で一番の収穫だと思ったのが、今年公開予定の劇場アニメ『人狼』の完成記念ということでの、脚本の押井守氏と監督の沖浦啓之氏の対談であった。(沖浦氏はスタジオアールの有名なアニメーターで、『攻殻機動隊』のキャラデが有名。この作品が初監督となる)
この作品にはまったく注目していなかったのだが、この対談を読んで興味をひかれた。沖浦氏はやはりアニメーターということで、作画を信じたシーン作りができていると押井氏と本人が語っており、それがどの程度のものなのか、アニメファンとしてはやはり気になるところである。大抵の作品には文句をいう押井氏が珍しくこの作品は手放しでほめているので、それはそれで懐疑的になると同時に確かめもしたい。公開予定がまだはっきりしていないが、ぜひ見てみたいと思う。
前回もそうだが、今回もあとがきで渡辺編集長のちょっとした対談が載っており、今回は『カレカノ』19話についていい内容のものとなっている。あの回の手法が特に目新らしいことでないこと、あの回で「セル」について考えてみる必要があるというテーマを感じた、という意見が書いてあるのは非常に嬉しかった。
2号読んでみて、この雑誌が「今はこれがオススメ」、「何が問題でどうすればよくなっていくのか」という趣旨の元に、非常に前向きな誌面が作られているのは好感が持てる。今後も期待したい。
2月26日(金) |
カレカノサントラ2、FF8サントラ |
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昨日、『カレカノ』の2枚目のサントラを買う。
久々の平松禎史さん描き下ろしのジャケットは、前から雑誌などで見ていたがやはりいい。
肝心の中身であるが、VOL.1に収録されていたもののバージョン違いの曲が多いため、やはり新鮮味にかけるのは仕方ないであろう。実際最近のTVでも目新らしい曲があったわけでもなく、カレカノサウンドというのは、VOL.1で、序盤ですでに完成されていたのではないだろうか。
私としては、17曲目の「夢の中へ
IV」がお気に入りである。確かまだ番組では使ってないと思うが、「夢の中へ」のアップテンポのアレンジで、元気のよさが伝わってくる曲である。
前回同様、ブックレットには何のインタビューものってないのはやはり残念だ。
今日は待ちに待った『FF8』のサントラを購入。前回もそうだが、4枚組で4千円というのはやはり安い。スクウェアのCDは『クロノトリガー』を3枚組で出して以来、一つの曲を1ループで短くして無理やり1枚や2枚に収録するよりは、たとえ枚数が増えても2ループで収録するというのが定着したので、GM(ゲームミュージック)ファンとしてはありがたい限りである。電源を入れた後のデモの曲がないのであせったが、一番最後に収録されていたので一安心。当然収録漏れもなく、内容、曲順など、まったく不満はない。しいていえば、EDの13分の曲を区切りのいいところで分けてほしかったぐらいだろうか。
今回、以外だったことは、シリーズで初めて全ての曲名が英語になったこと。そし人名の曲がなくなったことである。(ジュリア除く)この辺りに「映画をやりたい」というスタッフの意気込みが見える気がする。
しかし気に入った曲はテープに録音してさんざん聞いていたので、CDを買ってもあまり夢中になってないのは困ったものである。
2月14日(日) |
『GAMERA 1999+』を見る |
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総監督:庵野秀明、監督:摩砂雪による『ガメラ3』のドキュメントビデオ、『GAMERA
1999+』が発売となった。FF8を一時中断し鑑賞する。
いわゆる普通の「どのように撮影していたか」のようなメイキングではなく、制作にたずさわる人達がどんな人物、人柄なのか、現場の風景を通して伝えるような作りであった。そのためか2時間20分と非常に長いものとなっている。(パッケージには100分と書いてあるのだが…)
期待していた対談や個人のインタビューもなく、どういう映画なのかといった宣伝的なものもなく、本当に現場の苦悩を伝えるような内容である。私としては特撮界の現場を知ってほしいという庵野さんのスタンスを感じ興味深かったのだが、果たしてこのビデオが一般の人に面白いと感じてもらえるかは若干不安がある。まぁ、ローソンでの予約販売のみということで限定された人としか見ないのではあろうが。
特撮ファンは気になるであろう、肝心の特撮パートはしっかりした物が見れそうである。しかし、映画としてどのようなストーリー、方向性でいくかということは、監督を初めスタッフの間でも相違があるようであり、実際、撮影終了間近になるほどそれは顕著に表われてきたようで、ドキュメントの後半はその部分に焦点があてられていた。特に私は、特撮副監督の神谷誠さん(『カレカノ』12、13話で声優デビュー)の、「日本の特撮映画は円谷英二が素晴しいものにしたと同時に、円谷英二のせいで、監督、特撮監督という 歪んだシステムができて…確執があり」という意見に新鮮な驚きを覚えたのだが、実際『ガメラ3』ではこの問題が最後までスタッフを苦しめたようである。
とはいえ映画の中身に関してはさっぱり見えないので、この作品に対する期待は変化することはなかったのだが、元からのまま期待して3月の公開を待つことにする。
2月9日(火) |
つっ、ついにプレステを買ってしまう… |
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あぁ…、ついにプレステを買ってしまった……。
え?
今まで持ってなかったのかって? 実はそうなのである。私はファミコンとスーファミの任天堂のROMカセットゲーム機しか自分で買ったことがないのである。(といっても、音楽CDとしてPCエンジンなどのCD−ROMゲームはいっぱい持っているのだが…)
今まで『ときメモ』のツインビータイムアタックに燃えたり、アルバムアタックに燃えたり、『ノエル』のタイムアタックで1位をとって電撃プレイステーションに名前が載ったりしていたが、それは全てMADなど、人にプレステを借りてのことだった。しかし前回のFFVIIでは人に借りられたものの、今回は貸せる人がいそうにないので、しかたなくFFVIIIのために買ってしまう。
今まで買わなかった原因は、それしかしなくなってしまうのが怖いからである…。そのため、基本的に私は人の家でゲームをするのが常であった。
おそらく、タイムアタックやスコアアタック物をやり続けるか、ギャルゲーのやりこみばかりやってしまうことになるのだろう。(いつかは詩織255枚、もしくは2枚クリアとかやりたいものだ。ちなみに見晴に関しては、ファミ通の記録の9枚を抜いて11枚に成功している)
FFVIIIが終わっても、「みつめてナイト」とか「ポポローグ」とか「TLS1・2」「あいたくて…」とか、やりたい物がいっぱいあって、楽しいやら怖いやらなのである。
2月8日(月) |
カレカノ19話「14DAYS1」 |
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さて最新のカレカノ、いろいろと語るところの多い異色の回であった。
最初の5分程が実写の道路や壁といった風景と、今までの絵を見せながらのナレーションとそこまでは普通だが、そこからは実写の映像に、切り抜いた原画を手前で人間が動かすといった紙の人形劇、もしくは紙アニメといった手法が取られた。途中一切通常のセル画はなく、原画に色鉛筆で着色した絵で全編が作られていたのである。
私はといえばさすがに最初はびっくりして不安になったが、中盤からはそれにも慣れて面白くなり、2度目に見た時は序盤の紙人形劇のようなところでさえすっかり違和感はなかった。それ以降見直しても、不満を感じることはなく十分面白いし問題はないと思っている。
いろんな内部事情のごたごたのツケがこの回に押し寄せ、スケジュール的な問題でこの手法を選んだのであろう。動画や着色など外に発注することもなく、ほぼ自前で作る内容なので時間的には短縮できるはずである。が、さすがにそれだけでこれだけ手間のかかることもしないと思うので、やってみたかったというのも要素にあるのだろう。
他人の評価も気になり、リンクを貼っている「人まかせ」の掲示板を見てみたのだが、感情的な批判意見などはなく、おおむね好評なようで個人的に嬉しい。ただポイントになるのがEDで、それに対してひっかかりを覚えたり抵抗を感じた人が多いようだ。劇中で使った紙の原画やセルを燃やすのを逆再生していくというものだが、それを「今回やった事を否定する」という形で受け取ったようである。(セルが産業廃棄物なので燃やしてはいけないとの意見もあったが、それは「モラル」に関わることでまた全然違う話となる)
確かにさわやかとはいかないEDであるが、私は「けじめ」とか「きっぱり」といったニュアンス、「今回のスタイルは、はいこれでおしまい。次回からは元通り」という趣旨を感じることができた。
今回のスタイルがこれからもずっと続くようなら確かに問題だ。しかしそうでないことを最後にこれではっきりと示している。言ってみれば、今回の作り自体は「文化祭」のようなもので、一時のお祭りながらもスタッフはそれに全力を尽くしていたと思う。そういう意味では燃やすことには少しの名残惜しさが生じることだろう。本来ならEDも紙人形劇でいくとか、一枚絵でいくとか、本編のプレイバックでいくとかそういう道もあったはずだ。しかしそれをすれば「文化祭」は終わらない。そういった事も考慮すると、実は「燃やす」というEDはベストとはいかないまでも、限りなくベターなのではないだろうか。そして逆再生には、スタッフの名残惜しさを感じたのだが。
もう一つ、「面白さのあり方」について話をしておきたい。この回について「面白ければなんでもいいのか」という意見を耳にした。こういう批判の仕方もわからないではない。面白さを追及するあまり、番組の本質やあり方から脱線すればそれは問題だ。F組の深田君のような、ある種の反則技に対してそういうことを感じたのかもしれない。しかし、色眼鏡で見るようなこともせず何度も見直してみると、実は今回の面白さ、面白がらせ方というのは、非常に『カレカノ』していると思うのである。
今回の内容をすべて通常のセルアニメで作ったものを想像してもらいたい。
恥ずかしい記憶に顔が燃え上がる雪野。浅葉の登場に暗くなる教室。巨大化して対峙する雪野と深田君。家に飛んで帰ってくる月野花野の妹二人。どれもカレカノらしい、取り分け1話の頃のようなマンガチックなオーバーアクションのギャグといえるのではないだろか。
今回、新キャラ十波の登場の回だが、彼が椿達と過去にどんなことがあったのかと匂わせるだけで、それは原作も同じである。そういう意味で学園祭前のギャグに徹していい回であったし、それでいながら雪野と有馬の二人きりのシーンなど、真面目なところはちゃんとやっており『カレカノ』としてのバランスはとれていたと思う。
今回の内容でなおかつ下手だったりつまらなかった場合はそれこそ最悪で、そういった危険をはらみつつもあえてやったのであり、面白いものができたのは単純に「よかった」と思う。
そして、ところかしこに人の手による、いわゆる「アニメ」ではない「アニメーション」としての楽しさを見た気がした。人によって受け止め方はいろいろあるだろうが、私はこういう回を許容する「余裕」があった方がいいのではないかと思うのである。
1月29日(金) |
カレカノ18話「シン・カ」 |
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今日のカレカノである。
環境音楽的なクラッシックのみずみずしい曲が全編に使われ、たんたんとではあるが心がふれあう有馬と雪野の二人の雰囲気を伝えていた。『メモル』『セラムン』『クレヨン王国』などで有名な佐藤順一氏の初の絵コンテ参加であったが(当然ガイナックス作品でも)、カレカノ的な場面描写や人物描写もしっかりできており、さすがである。
今回のポイントは、やはり最後の二人が結ばれるシーンであろう。当然、どんな風に表現するのか注目していたのだが、画面を真っ白にしてのイメージ的な表現にとどまるのみであった。もう少し突っ込んだ表現をしてほしかったと個人的には残念であるが、前後が非常によいのでこのままでもさして問題はないように見える。特に真っ白な映像の後の幼い二人のイメージシーン、その冒頭の導入や細かい仕草などに佐藤順一氏のセンスが発揮されていたと思う。
おそらく庵野監督などはもっとしっかり描きたかっただろう。今にして思えば、先月のアニメ誌見聞録に書いた佐藤裕紀プロデューサーの「〜残念です」発言は、このシーンの問題で局ともめ、そのことについてかもしれない。そんな中で、やはり一番無難な方法がとられたと見ざるをえない。ただ、放送を見る限り二人の気持ちの盛り上がりを全面に押し出していたので、終わった後の二人で布団に寝ているシーン等にも全然不純さを感じることはなかったので、仮に原作程度の表現をしたとしても大丈夫だったのではないかと思う。
また、今回の四字熟語の意味は、朝雲暮雨(ちょううんぼう) 意味=「男女の情交のこと」と非常にシンプルなもので飾りっ気がないので気に入った。朝に雲、暮れに雨というのも今回の内容そのままのようでしゃれている。
有馬の家庭問題が初めて描かれ、少々極端なドラマ的な描き方ではあるが、彼のトラウマをこれでもかと強調する内容であった。それは有馬が宮沢に向く引き金となるが、決してそれだけではないだろう。彼が雪野の胸に触れてから、最後のシーンになるまでは夏休みのいろんなことがあったのだから、いきなり最後までいってしまったという風には見えない。あの期間に高まるものや、雪野の心の準備などもあってしかりだろう。
そういった部分の描写がよかったので、今回は同性に感情しやすいため男性と女性の視聴者では全然違う感想をいだくのではないだろうか。特に男にしてみれば、初めての異性、あこがれの彼女とついに、といった感情の盛り上がりを有馬と一緒に体験してしまうかもしれない。雨のバス停で「家には誰もいない。…どうする?」という有馬の演技も非常によかったし、相手の表情だけで同意を示しあうのも、緊張と期待が一気に高まる二人を見事に表現していた。
夏休みの楽しい期間を有馬が雪野を求めるシーンではさみ、さらにそれを有馬のトラウマのシーンではさむという構図であった。雪野を手に入れてもトラウマはなくならない。ここから先は彼自身の問題である。
1月27日(水) |
伊藤賢治氏オーケストラデビュー |
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「チョコボの不思議なダンジョン2」(以下「チョコボ2」)のCMの音楽を聞いて私は首をかしげた。
「おや?
どう聞いても伊藤賢治さんの曲だ。前作は担当でなかったのになぁ。春には「サガフロンティア2」がひかえているから担当したとは思えないし、どういうこと?」と。
ここで説明せねばなるまい。伊藤賢治氏は「ロマンシング・サガ1〜3」「サガフロンティア」と、スクウェアのサガシリーズの作曲者である。私にとってSFC版の「ロマサガ1」の音楽に出会った時の衝撃は、今でも忘れられないほど強烈であった。その緊張感とテンションの高い燃える曲群、それを引き立てる多種多様なドラム音の使用は他の追従を許さないであろう。それ以来すっかり私はこの人に惚れ込んでしまった。同じスクウェアのFFシリーズの植松さんがメロディーで惹きつける人ならば、伊藤さんはテンションで惹きつけるとでもいおうか。ともかくコンシューマーの作曲者の中では1、2を争うほど好きな人なのである。
結論から言うと、チョコボ2には伊藤さんも参加していた。担当の人がスケージュールが厳しくなり、伊藤さん他2名に応援を頼み、4人の合作という形であった。元々伊藤さんはCMで使われる曲だけのはずだったそうだが、他にOPとEDのムービーシーンの曲を作ったそうであり、おいしいところを一人じめである。特筆すべきはCMとムービーシーンの曲のため、完全にオーケストラの演奏を生録音してそれを流すわけで、オーケストラ用に作曲と編曲したのは初めての体験のことだそうだ。それでいながらちゃんとしたものになっており、ファンとしては頼もしい限りである。まぁCMの曲がどう聞いてもサガフロの大ボスの曲「BOSS4」にそっくりという問題もあるが、オーケストラで伊藤節が聞けて満足である。
次回作は「サガフロ2」と思っていたが、その前に「チョコボレーシング」を担当するとのこと。今までにないジャンルでこれも楽しみだ。
(余談だが、「トバル2」についている体験版CDに「サガフロ」のムービーが入っているが、その曲がとんんでもなくかっこいいのである。「これは伊藤さんの最高傑作の曲かもしれない! これがメインテーマならサガフロは楽しみだ!」と思っていたのだが、結局その曲はゲームでは使われなかった。一体あの曲はどうなったのだ?)
1月22日(金) |
今後のカレカノ スタッフと展開 |
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カレカノの監督問題である。先週のEDでは「佐藤裕紀、あんのひであき」という表記になっていたが、総集編を含めたためかもと思っていた。しかし本日の放送ではOPにしっかりと「佐藤裕紀、アンノヒデアキ」という表記になっており、明らかに今までと体制が変わったとみるほかない。さらにガイナックスのHPを覗いて今後の放送予定を見ると、20話から庵野氏は脚本からも外れているのである。(その後は今石洋之氏と佐藤裕紀氏が脚本を担当するようだ)こうなると庵野氏の監督降板の噂も本当のことのようである。どのようなことが原因かはわからないが、ファンとしてはやはり残念だ。
ただ、本当に庵野氏が降板したとしても監督に表記され続けるだろうし、またそうであって欲しい。監督としてこの作品を立ち上げてきたのだから、表記は当然のものであるはずだ。こういったことは東映動画などではよくあることで、この場合監督ではなくチーフディレクターと呼ばれるが、最初の立ち上げと数本をまとめあげ、番組が軌道にのるとあとはほとんどタッチしないというものである。
(ここで私が好きな話をさせていただく。東映動画の美術に椋尾たかむら氏という人がいた。この人は東映動画の初期から関わっている大ベテランの第一人者であり、「セーラームーン」の美術を担当するのだが、放送開始三ヵ月後の92年6月に亡くなってしまう。しかしそれから先の5年間、セラムンシリーズの美術にはこの人の名前が表記され続けるのである)
さらに今後の展開であるが19話から文化祭の話になるのだが、今後の放送予定によると23話まではわかっており、原作一話をTVの一話でやる感じで今までと比べて非常にスローテンポな展開である。23話が先月のララ1月号の話であり今月の2月号が24話にあたるのだろうが、読んでみても当分この話は終わりそうもなく、残り25、26話までかかるのは決定的でとてもオリジナルの展開をする余裕はないと思われる。
一体どうしてこういうことになったのか、20話以降ほとんどガイナックスの人間が演出や作監をしないことなど、どうも体制に異変が生じているのだが、正式な発表がない限りその理由はわからないし憶測でものを言うのも控えたいと思う。
ただ、納得のいくものが作られるのを期待しつつ、静かに見守っていくしかないだろう。
1月20日(水) |
デビルマンレディーの9〜11話を見るが… |
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先日の17日のイベントで上京した大阪部長より、デビルマンレディーの続きを受け取る。(12話を取りのがしたそうで9〜11話の3話分しかないのが残念)
で、さっそく見てみたのだが……。
つまらない。ただの退治話である。私が望んでいたのは、主人公「不動ジュン」の自分がデビルマンであることへの葛藤や、また人間達がビースト化することを彼女がどうとらえるかといった「人間悪」のテーマ部分である。ほんとうに出てきたビーストをやっつけるだけであり、同じ退治物でも何かしらの人間ドラマが内包されていた『美夕』の方がまだましであった。
実際8話では自らすすんでデビルマン化する男性が登場し、「俺はこの力を誇りに思う」とジュンにからんできたので、これは今後が楽しみだと思っていたのに彼はまったく登場しない始末。
この先ストーリー重視の話も当然あるのだろうが、OPに意味ありげに映る3話で登場した謎の少年が、それ以来姿を現わさないどころか話題にものぼらないというのは、やはり問題ではないだろうか。
なぜここまでストーリーを進める回とそうでない回に極端に差があるのかというと、これは私個人の見解だがシリーズ構成の小中千昭氏によるところが大きいのではないだろうか。小中氏は特撮出身の脚本家であり、最近では「ウルトラマンティガ」などもやっていた。特撮物はいってみれば正義の味方が毎度悪者を退治するだけであり、ストーリーの進展というのは基本的になく、最後の方に終わりに向けて発生するというのが普通である。そう考えると非常にこのデビルマンレディーの進み具合というのは納得がいくのである。
しかしいくら小中氏が特撮出身といえどアニメ作品をやる以上それを意識するのは当然で、氏が構成を担当した『魔法使いTai!』、『Lain』、『バブルガムクライシス』(現在放送中)などはそこまで極端ではない。ここで改めてデビルマンレディーのスタッフに目をやると監督が平野俊貴氏なのである。思うに平野氏は最後に「実はこうだった」という展開が好きであり、その「もったいぶる」という感覚を小中氏がシリーズ構成していったために、このような極端な構成になったのではないかと推察したしだいである。
1月12日(火) |
今月のアニメ誌見聞録 |
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さて先月は冬コミ準備で休んでしまったが、今月も「アニメージュ」「ニュータイプ」「AX」「B-MAGAZINE」のアニメ誌四誌を読んでのレビューである。
・私にとっての目玉の記事はやはり「アニメージュ」の幾原邦彦×佐藤竜雄×大地丙太郎×桜井弘明の四者対談である。ただでさえ対談記事が好きな私だがこの豪華な顔ぶれには「載っている」と聞いただけで珍しく自分で本を買ったほどである。これに庵野秀明、佐藤順一が加わればほぼ完璧であるのだがお二人とも忙しいのだろう。
実は大地氏と桜井氏は対談記事に登場するのは初めてである。この二人と佐藤氏はチャチャでコンビを組んでいたので面識があるのは当たり前だが、この三人と幾原氏はほとんど初対面ではないかと思ったのだが、のっけからアットホームな対談がかわされ、そこそこに面識があるらしかった。
あまり深刻で濃い対談になることもなく、内輪での談笑的な対談になっているのが以外だったが、このハイセンスな四人がそろったのだからそれも必然かもしれない。大地氏の「セーラームーンが羨ましかった。やりたかった」発言、幾原氏の「劇場版ウテナは新しいことはしますよ。かつてない作品を見せます」発言、桜井氏がウテナ21話に参加した経緯など、他では聞けないような話題が貴重であった。
特に最後の幾原氏の「ポケモンが気になる。あの作品の受け方とか、作品の成立のさせ方っていうのが、ちょっと理解の範疇を越えている」が私としては印象に残った。90年代の最後に独走するあの作品が、来世紀の展望を担う一つの鍵であることは間違いないであろう。
・私の一押しの演出家、桜井弘明氏が初監督の作品となる『十兵衛ちゃん』。原作と総監督を大地丙太郎氏が担当するということで4月からの新番では一番注目している。しかし残念ながら、深夜アニメだということが判明した。この二人のコンビなのだから、やはり金曜6時からのゴールデンタイムで子供達にも見て欲しいと思っていたので結構ショックである。「十兵衛の後を継ぐための資格が「ぽちゃぽちゃのぷりんぷりんのぼんぼーん」(PPB)で、その体型を満たした菜ノ花自由という女の子が主人公」だそうで、PPBというなんともムチャな言葉だが、そういうお色気部分が深夜になった理由か、それとも深夜になったからそうしたのかはわからない。なんとなく大地氏なりの『セーラームーン』をやりたいのだろうという気がする。音楽は「はれぶた」の増田俊郎氏で、ハイテンポな曲が聞けそうだ。
・カレカノの18話、6巻最後のあの大事な話はなんと絵コンテに佐藤順一氏が参加するそうである。いわずと知れた『セーラームーン』『クレヨン王国』の生みの親であるが、佐藤氏が特別参加というと『少女革命ウテナ』35話「薔薇物語」で突然の参加ながら傑作を作り出したという過去があり、同様の成果を期待する次第である。そしてその次の19話からはやはり現在連載中の文化祭の話になる。問題はそれに何話分費やすかでオリジナルの話数が決まってくるのだが…。
・カレカノといえば、ガイナックスの佐藤裕紀プロデューサーがニュータイプの著名人の一言の欄に次のような文章を書いていた。
「エヴァもそうですが、今回の作品はそうしたいと願う気持ちを大切にするというのが、テーマ(ポリシー)でした。しかし、人はそれをワガママと呼ぶのかもしれません。まったく残念です」
この文章の意味する正確なところはわからないが、カレカノでの前向きな姿勢、まずは行動からという姿勢が、わがままとして受け止められているとしたらそれは本当に残念である。他人に強要しない、干渉しない、という悪い意味での日本人の「いいひと」的な感性がやはり世間を占めているのだろうか。それではますますシンジのような人間が増えていくことになるのだが…。
・「AX」でのねぎしひろし氏のコラムは前回に引き続き「天地無用 in
LOVE2 遥かなる想い」に関するものであった。
「本来ありえない展開を作ることで天地と、天地をとりまく女性たちの本音を描いてみようと…。天地自身が本当に好きな女性は誰?
という問いに自分なりの解釈をつけてみたかったのだ。ここで発想したのは天地にとっての理想の女性ではなく天地自身を絶対必要としている女性を登場させることによって、天地がその女性に対してどのような対応をとるのか?」
といった感じであり、おきらくですすめられたOVAと違い、はっきりと決断を下したTV版の完結篇という趣旨はより明確になり、身応えのあるものになりそうな気がする。次回のコラムともども、5月の公開が待ち遠しい。
1月7日(木) |
「お約束の記号」の怖さ 〜『火魅子伝』OP |
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昨夜から新番組の『火魅子伝』が始まった。OPの絵コンテ演出を後藤圭二氏が手がけるとわかっていたので、「もしや」という予想をしていたのだが、予想通り、いやそれ以上の内容の悪さのOPで正直愕然とした。
ちょっとここでブレンのLD
VOL.5に収録されている富野監督といのまたむつみ氏のインタビューの一部を読んでもらいたい。
富 野「でも、そういう記号の組み合わせで物語が創れるかもしれないと思った世代がいるらしいのね」
いのまた「それをするとみんな同じになってしまいますよね。たとえば恋人のあり方とか…」
富 野「全くそうですよね。それは良くない」
いのまた「リアクションであるとか、影の付け方であるとか。ひとつカッコイイという記号があると、全部がそれに従ってしまう」
何がいいたいかおわかりだろうか。
この『火魅子伝』のOPは「顔を上げる人物のアップ」「横向きから正面を向く人物をズームしながらの回り込み」というOPではよくあるカットが多い。が、問題はほとんど全部がそういうカットだということだ。このためこのフィルムがただのプロモーションフィルムに成り下がり、少しもOPの機能を果たしてないように思われる。(女性キャラだけの映像であり、少しも内容も意図も感じることはできない)そして、これこそが先程のインタビューの話にあった「カッコイイ記号」そのままに作ってしまったものだと見える。
「OPにこういうカットは似合う」「OPにこういうカットはお約束」ということをあろうかことか、全面に押し出してそれのみで作ってしまい、「OPとはどういうものか」「OPとはどんな役目をになうのか」ということが全然考慮されていない。
こういった回り込みといったものだけで作られたOPというと、『爆烈ハンター』『セイバーマリオネット』の頃山程あってうんざりしたのだが、最近では『アウトロースター』に続きまさかここまで強烈なものを見せられるとは思ってもいなかった。この『火魅子伝』のOPには私の大好きなアニメーターである山岡信一氏、平山まどか氏も参加していただけに余計残念だ。
後藤圭二氏というとその『爆烈ハンター』から人気が出てきた人であるが、『ナデシコ』から一気に人気が爆発し、それ以来描く絵はどんどんつまらなくなっていった。わかりやすくいうと絵がどんどん記号化していったのである。まだ出たての頃に変に人気がつくと当人のためにならないといういい例だろう。そんな氏だからこそ、OPの絵コンテなんかやったら「悪い意味でのサンプリング作品しかできないに決まっている」と思っていたら案の定そうなってしまったということだ。
これは個人攻撃になってしまうが、数年前から後藤圭二氏はコミケで同人誌を出しているが去年の夏コミではあのうたたねひろゆきの「ウロボロス」の本を抜いて、ほとんどコミケで一番売れた部数が多いらしい。しかし問題は本の内容で、「こういう本が作りたいんだ」という意図が見えればいいのだが、今までの仕事のラフ集にゲストのイラストが載っているだけで「この本は作る必要があるのか?」という内容なのである。この事もあり後藤氏への私の悪印象はつのるばかりである。こういう怠慢な姿勢がせっかくの才能を停滞させる結果になると、同じ業界人で忠告してあげる人はいないのだろうか?
1月6日(水) |
とりあえず『カードキャプターさくら』サントラ2 |
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なんだかよくわからないタイトルである。冬コミ終わって年が明けてから、マックに向かったり文章書いたりするのがすごい抵抗があって…。たまってたアニメを見ようとも思うのだけれど、それすらも何か気がのらなくて…。やはり反動なのだろうか。
しかし何か書かねばなるまいと思い、とりあえずは今日やっと買ってきた「さくら」のサントラ2の事を。
一番聞きたいと思っていた目当ての曲が一番最初に入っててびっくり。あいかわらず、とてもスタジオ録音したのをミックスダウンしたとは思えないほどの、大編成の曲群である。作曲者の根岸貴幸氏というと、『サクラ大戦』『ガオガイガー』の主題歌の編曲者であり、田中公平氏の名曲の良きアレンジャーという印象だったが、この作品のBGMで見事に一人立ちできることを証明したと思う。これからもがんばってほしいものである。
ちなみにブックレットのインタビューにあった通り、やはりこの作品のBGMの元ネタというかモチーフはサターンのゲーム『ナイツ』であった。機会があればこちらもぜひ聞いて欲しい。
しかし「さくら」の作品世界を監督は「少女漫画の世界」と言っているが、それはちと困りものの気がするのだが…。
1月5日(火) |
去年のアニメを振り返って |
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まずはいきなりですが、私の去年のアニメのベスト5をあげてみようと思います。
1.『ブレンパワード』
2.『彼氏彼女の事情』
3.『センチメンタルジャーニー』
4.『トライガン』
5.『ジャイアントロボ』(忘れてる人はいませんか?
最終巻は去年です)
というところです。細かい理由は特に説明しません。逆に言えば、これしか真面目に見てなかったし、これ以外は人に勧めないんじゃないかと思います。
お次は、冬コミのペーパーに書いた文章をそのままアップしてみました。(なんて簡単な日記だ…)
簡単にですが、ここでちょっと今年のアニメについて語ってみようと思います。
非常に多くの、おそらく百本近くのアニメが今年はありました。けれどもその割にはあまり楽しかったという印象はありません。「TV放送はLDを売るためのプロモーション」ということが視聴者側にも露骨にわかる作品内容と制作のあり方のため、本数自体は多く賑やかになっても、肝心のファンにはそっぽをむかれていたのではないでしょうか。その辺のことをただ今発売中の雑誌「GaZO」の最後のあとがきで、エヴァやウテナやカレカノのプロデューサーである大月俊倫が自らの問題として語っています。興味のある方はぜひ一読を。
今年男性が主人公の作品、いわゆる男向けの作品は『アウトロースター』『カウボーイビバップ』『トライガン』と、全て主人公が銃を持った「冒険物」でした。それは言ってみれば「ロボット物」が全滅した時に、ではこの後男性に向けてどんな作品を提供していくかといった時に消去法として選ばれたような気がします。今スポーツ物をやっても受けるとは思えませんからね。ただ、どれも作品の善し悪しは別に男の子が見て楽しめるという感じではなく、そして異世界が舞台でした。
逆に女の子が主人公の作品は数多く、そして現代が舞台なのです。『カードキャプターさくら』『プリンセス9』『センチメンタルジャーニー』『ファンシーララ』『アキハバラ電脳組』『彼氏彼女の事情』等、魔法などのあるさくら、ララ、アキバが娯楽部分を重視するのみでテーマらしきものがなかったのに対し、その他のプリ9、センチJ、カレカノは「恋」を扱う作品でした。これはとても興味深く、またこれからのアニメ作りを考えた時にも大事なポイントになるのではないかと思います。結局のところ、ただ動けば、ただ楽しければ、ただ面白ければ、アニメを見てくれる時代ではなくなったのではないでしょうか。もっと視聴者一人一人に関係することを、現実に還元できることをやっていかなければいけないのではないかと思います。
「ロボットや魔法といった非現実に頼ってきた今までのアニメ。これからは日常描写が大事」が今年私が一貫して言っていた意見です。アニメというメディア自体は世間に認知されてきたけれど、肝心の作品の内容は一般を向いてこなかったつけが回ってきたのではないでしょうか。
そういう意味ではブレンが始まる直前に富野氏が語った「去年でアニメは終わった。これからは新しい時代がくる」というのは非常に的確な意見でしょう。ヤマトやガンダムで引っぱりあげられたアニメ界ですが、その後とりたてて自らを磨くこともなくなんとなくそのままできてしまいました。そして97年、エヴァの完結ともののけ姫で今までのアニメでできることはやりつくしてしまった感があります。
そうなった今、今年のブレンやカレカノのように「支えがあるから生きていける」というごく当たり前の事を真正面から描いていくのは当然の流れではないでしょうか。広く一般の人に見てもらうには、門戸の広い誰にとっても無関係ではないわかりやすいテーマであるべきです。ただしそれを個人一人一人の胸に届くようにするにはたぐいまれな日常描写と感情表現が必要です。それこそが今後のアニメにとって必要不可欠のものとなっていくことでしょう。