「わが胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」 筑前福岡藩の志士だった平野国臣の歌ですが九州男児の噴出さんばかりの情熱を歌っています。又鹿児島県出身の作家・海音寺潮五郎は「わが前に桜島あり西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ」・・・・・・と維新の偉人たちを見守った桜島を歌っています。
私の生まれ故郷はここからさらにバスで1時間南へ下った開聞岳の見えるところです、秀峰と呼ぶにふさわしい開聞岳を母親とすれば、この燃ゆる桜島は西郷どんのようなでっかい親父のような存在です。
若いころ超満員の急行「霧島」で西鹿児島駅に降り立つと、「サヒカブイデ ゴワス」(久しぶりでございます)と出迎えてくれるようでした。そして、しばし生まれ故郷でのんびり過ごし上京ともなると気も緩み、里心が芽生え、内心又孤独な都会へ帰るのかと複雑な気持ちになっている自分に「キバレヨ」(がんばれよ)と励ましているようでありました。
私ならずとも故郷を離れた薩摩人にとっては燃える桜島は心の支えになっているのではないだろうか。
帰郷の合間、城山から描きました、冬でしたのでとても力強くクリヤに見えました。
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