−−ローマ字運動の趣意書−−
財団法人日本のローマ字社
わが国には,もともと文字がありませんでした。中国から渡来した漢字を日本語にあてはめて,様々な苦心の末「音」と「訓」をまぜ合せて,漢字だけの日本文ができました。万葉がなです。それからカタカナ・ひらがなが生まれ,漢字仮名混じり文が日本語を書く定型となって今日に至っています。
漢字は日本文化に大きく寄与しましたが,日本語はもともと母音・子音がそれぞれ独立にはたらく性質をもっていますので,これを音節文字の仮名と表意表音文字の漢字で表わすことは,日本語の性質にそわない無理不自然が表われます。漢字は字で書けばわかりますが,耳で聞いただけではわからないことば(同音異義のことばなど)がふえていますので,日常の話さえ思わぬ行き違いがおこります。
これを救うのに,表音文字であるローマ字で綴れば,口でいうまま書けますから,日本語がたやすく分かりやすく表わされ,美しく育っていきます。このことを ’大和ことばのよみがえり’と言います。これで文字学習の負担は軽くなり,わが国民の言語生活は豊かさを増します。
ローマ字はその根元はエジプト文字で,フェニキア文字,ギリシア文字と発展し,時代とところに応じて世界の文明を担ってきました。決して英語国民または西欧諸国民だけのものではありません。現在,世界で最も使用範囲の広いものです。今日のような情報化・国際化社会では,ローマ字で日本語を書きあらわすことが,最近の日本の文字文化といえましよう。
ローマ字の世の中になると,漢字で書かれた書物が読めなくなるという意見があります。これは文字にこだわりすぎてのことで,漢字文化伝承の研究は専門の学者によって続けられます。今日では,源氏物語のような文化遺産も口語訳でその内容が伝わっています。多くのものがローマ字で綴られれば,それらはすベて一層やさしく理解きれるようになります。現に,土岐善麿氏の'Uguisu no Tamago' は漢詩のローマ字による日本語訳であり,多田斉司氏の'Man'yôsyû' は古典の書きかえです。ローマ字でこそ古典文化は伝わリやすくなります。そのうえ哲学から科学・技術に至るまでの書物が戦争前すでにローマ字書きされました。
第19世紀までの漢字文化圏が,現代では大きく変わりつつあります。ベトナムはすでに19世紀ごろから日常文字だった漢字はローマ字化されていますし,中国自身も漢字改革に向い,ローマ字のきまりを制定する機関を政府に設け,着々とローマ字実用化への準備中ともみられます。これらの国々では,文字改革によって日用文字を平易にすると同時に民族語と民族文化とを継承発展させるでしょう。
ローマ字で日本語を表記するのに,今使われているのに”ヘボン式”といわれる綴り方があります。これは米国人ヘボン(1859年来日)が,自分の耳で聞いた日本語を英語流のローマ字で綴り,和英字引をつくった時のものが基になって”へボン式”といわれています。この綴り方は敗戦による占領政策のため,今も使われていますが,日本語の表記としては,同じ音韻をことなる文字で書くほか根本的にまずい点が多くあります。
田中舘愛橘は1885(明治18)年日本語に適したローマ字の綴り方・つけはなしを提案しました。それが日本式ローマ字です。これは,現代の音韻論にかなった先駆的業績です。政府は戦前・戦後の二回にわたって文部省に学識経験者による委員会を設け,それぞれ数十回にわたり会合をひらき,調査研究した結果,告示・訓令をもって”日本式ローマ字”に準拠した綴り方を決定発表し,今後これを使うよう求めました。いわゆる”訓令式”または内閣告示式といわれているローマ字です。
この訓令式の源となった”日本式ローマ字”をよりどころとして普及活動を続けるために「財団法人日本のローマ字社」が設立されました。
日本のローマ字社はl909(明治42)年,田中舘愛橘,田丸卓郎,芳賀矢−(いずれも当時の東京帝大の教授)によって創立され,1915(大正4)年,財団法人となり,ことし88年をむかえるローマ字普及団体です。その目的は,創立者により提唱され常に研究されている”日本式ローマ字”に則った方式のローマ字で国語を書くことです。従ってその事業はローマ字正書法の研究成果の普及で,具体的には学術書から−般書にいたるローマ字の図書の出版であります。研究の面では常に新しい問題がおこります。これを解決するに当っては,政府の法律命令を待つなどの他力本願的な方針はとるべきでなく,国民の問題として自発的に国字改革運動に参加する人々が集まって,ローマ字運動を社会に根づかせることこそ最もだいじな基礎的な仕事であります。この意味で「日本のローマ字社」の役割は大きく,現在理事長柴田武(東京大学名誉教授)を中心に財団の運用に当たり,ローマ字の普及に努めております。会員には,機関誌