(1999年 大阪樟蔭女子大学 国文学科 国文学会報に掲載の記事)
樟蔭に赴任して一〇年目になる。この間、毎年のように、学生とともに河内方言の調査をおこなってきたが、やっと全体像がぼんやりと見えてきたといったところだろうか。
物好き。今、このことばは自分のためにあるような気がしている。本当に自分は「物好きな方言の研究者」だと思う。一般人から見れば、それほど面白いとも思えないことを、飽きもせず一〇年にわたって続けているのだから。
最近あらためて感じることは、ことばは文化を映し出す鏡だということだ。自らの文化を歴史的観点からどのようにとらえ、後世にどのように伝えていこうとしているのか。このことに関する人々の考え方が、ことばの上に深く投影されている。しかも、これはまったくの無意識のうちにおこなわれているのである。
調査中に、年輩の方々と雑談をしていて思うことは、ことばを含む「文化」を次世代に伝承することについて、ためらいを感じている人が多いということである。このことと、調査の結果に見られる方言の世代差とは無関係ではない。大ざっぱに言って、六〇代から四〇代にかけて伝統的な方言の使用が半減し、四〇代から二〇代にかけてさらに半減するといった具合なのである。
次の五年程度をかけて、ここ一〇年間におこなってきた調査の詳しい分析とまとめをおこなっていこうと思っている。
以下は、月刊『言語』の一九九九年七月号に掲載された記事の転載である。田原が現段階で考えるところの、河内方言像をまとめたものとお考えいただきたい。
河内方言は、大阪府のほぼ東半分で話されている方言であり、大阪市以北の摂津方言、堺市以南の和泉方言と並ぶ大阪府の三大方言の一つである。「河内弁」という呼び名の方が一般的である。
河内弁というと、他の地域の人は、きたないことば、喧嘩腰のことばといったイメージを持つかも知れない。たとえば、「うちと、なんぼ喧嘩さらしたか、あのガキ」(あたしと、どれだけ喧嘩したことか、あいつ)、「あのあんだらめ、こんなことしやがって」(あのバカ、こんなことして)、「死んだ、いうのん聞かんよって、メシ食てとりあえず生きとるんやろな」(死んだって聞かないから、食いつないでなんとか生きてるんだろうね)、といったものがあげられる。いずれも田辺聖子が、小説の中で三〇代半ばの河内のOLに言わせているセリフである。
これらの表現は、一見、粗暴で大げさに見えるかもしれない。確かに、実際にこういった言い回しについて調べてみると、自ら使うと答える人の割合は低い。しかし、このような言い方が、若い女性でもできるのが大阪弁の特徴であるし、特に、近しい人のことについて、親しみを込めて批判したり、けなしたりするこういった表現については、河内弁の得意とするところである。
もちろん、誰に対しても、このような乱暴な(アラクタイ)表現をするわけではない。一方では、敬意のこもった言い方もふんだんに使われている。要するに、相手や状況に応じて、いくつもしゃべり方のスタイルを持っていて、それを巧みに使い分けているのである。興奮して悪態をついている若い女性に、「今、サラスゆうてたけど、そんなん使うねんなぁ」とつっこむと、「あれは冗談や。ほんまは使わへんねん」としゃあしゃあとした顔で答える。この「冗談」というものまで一つのスタイルとしてしまうことが、許容度の高さの証明であり、さらには、河内弁の豊かさの秘密でもある。