以下は、山口県立柳井高等学校同窓会近畿支部(琴柳会)が発行している会報「やない」へ執筆した原稿である。ことばに関連する内容なので掲載する。


私の仕事 ―― ことばの研究

大阪樟蔭女子大学 田原広史

 今春、同窓会幹事である山本康子さんのお誘いをきっかけに、三〇期の幹事をお引き受けし、四月九日、六月二一日の幹事会、および七月三日の総会に参加させていただいた。最初は、山口弁の中に放り込まれておぼれそうになったが、しばらくすると、ぬるめの温泉に浸かっているような、ゆったりとした心地よい気分になった。

 大阪に住んでいると、常に回りのことばを気にしなければならず、「別のことば」の中でどのように振る舞うかという点に関して、なかなか気が抜けないのだが、この同窓会という場ではその心配がまったくない。逆に、いつもあてがっているつっかえ棒が突然とれたみたいで、ギクシャクしてしまい、かえって居心地が悪くなるくらいである。

 考えてみると、これまで、このように大勢の人と初めて会う場面で、その場の全員が同じ方言をしゃべっているという状況に遭遇したことがなかった。柳高を卒業して以来、東京、大阪と渡り歩いてきたので、大人になってから、大勢の同郷人に囲まれるということがなかったのである。これは私にとって、大いなるショックだった。生まれたところでずっと生活している人にとっては、この状況はごく当たり前のことなのに、自分がそれを経験したことがないということを、改めて認識させられたからである。ことばを生業としているのに、このような当たり前の経験がなかったとは。冒頭に書いた「おぼれそうになった」理由は、この遅すぎた初体験によるものだろう。

 琴柳会の会員の方々は、山口から大阪に移り住んでいるわけであるから、ご自身および身の回りのことばについては、ことのほか関心が高いのではないだろうか。以下では、私の仕事についてふれることで、ことばをどのようにとらえるかについてご紹介したい。

 私は、高校卒業まで平生で暮らし、その後東京で八年過ごした後に、大阪に移り、今年で一三年目になる。大阪に移ってからは、大阪の方言を中心にことばの研究をしてきた。具体的には、社会とことばとの関係をさぐるものである。どんな人がどんなことばを使っているかを調べることによって、人間が社会生活を営む上で、ことばがどのような役割を果たしているかを明らかにするのである。

 「どんな人」とは、男性か女性か、歳はいくつか、どこの生まれか、どんな職業かといった、それぞれの人が持っていて捨て去ることができない、「属性」と呼ばれる要素のほかに、たとえば、伝統を大事にすべきだと思っているか、はやりに乗りやすい質か、人に影響されやすいかといった、その人の考え方、性格、個性にかかわるものまで幅広く含んでいる。

 「どんなことば」とは、その人がしゃべったときに、具体的に現れることばすべてを含むもので、共通語か方言か、あるいは、大阪に住んでいる山口県人だったら、どの程度大阪弁が混ざるかという、「どこのことばか?」といったことばで表されるものと、同じことばの中でどのように使い分けをおこなっているか、たとえば、同じ大阪弁でも、古い大阪弁をよく使うか、より丁寧なことばを多く使うか、それとも荒っぽいことばを好んで使うか、といったものとがある。

 この二つの要素が組み合わさって、ことばが現実の社会で使われているわけである。この組み合わせには、社会的なルール、あるいは合意がある。たとえば、大阪では、若い女性が「なにさらしとんじゃ」とか「このドアホが」などということば遣いをすると、「あいつヤンキーやな」と言われるだろうし、年寄りではない男性が「ワシは知らんで」といった、山口ではごくふつうの自分を指すことばを使うと、「なんちゅうじじくさい」ということになる。これらの評価は、社会的な(ここでは大阪の)ルールに基づいているわけである。

 よその土地で暮らすにあたっては、このマイナス評価を受ける言い方については、ある程度、敏感になっておく必要があるだろう。大阪のようにことばを一つの文化として大事にしている土地柄では、特に気をつける方がよいと思う。ことばに気をつかうということは、その土地の文化を尊重することにもつながる。ただ、大阪について言えば、大阪人は他所の人のことば遣いについて、おおらかな一面もあるので、あらかじめ、山口の人間であることをほのめかしておけば、いくらか手加減をしてもらえる。逆に、中途半端な大阪弁に対しての評価は非常に厳しいので、やるなら役者になるつもりで、完璧を目指す必要があるだろう。

 このことばと属性との決まり、すなわち、ことばのどの部分についてこだわるかは、方言によってかなり異なる。もし、ご自身のことばについて、大阪の人が意外な反応をした時は、ルール違反をしている可能性が高い。このルールを、土地の人に一人一人会って、調査をしながら、少しずつ明らかにしていくのが私の仕事である。

(1999年8月17日)


注  柳高(りゅうこう)−柳井高等学校の略称
   琴柳会(きんりゅうかい)−柳井高等学校同窓会近畿支部の愛称
   平生(ひらお)−山口県熊毛郡平生町(柳井市に隣接する町)