[授業報告]
演習U・演習V・演習W
―音声言語学ゼミナール―
大阪樟蔭女子大学 田原広史
1.はじめに
大阪樟蔭女子大学国文学科では、二回生時から各分野に分かれてのゼミが始まるというユニークな方式を採っている。原則として、二回生の時に所属したゼミのまま、三回生、四回生と同じ教員のもとでゼミを受講し、四回生時に卒業論文にまとめることになる。科目名はそれぞれ演習U、演習V、演習Wである。ここでのローマ数字はグレードというよりは、むしろ学年に対応している。演習Wは他大学の卒論演習にあたるものである。
このシステムの利点は、教員が三年かけてじっくりと卒論指導をできることであるが、他の大学において、二回生から卒論指導を始めるという話はあまり聞かない。それは、この方式が非常に手間のかかるものだからであろう。国文学科のすべての教員が三学年分のゼミを担当するわけであるから、必然的に他の授業の持ちゴマを圧迫することになる。実際、本学では6コマがノルマとなっているから、残り3コマしか他の講義科目を持つことができなくなる。
本学は、古くからゼミ中心のカリキュラム構成をとってきた歴史があり、特に国文学科は少人数教育を売り物にしてきたこともあって、ゼミ中心のこの制度が維持されてきた。国文学科一期生が卒業した1953年から1970年くらいまでは学生数も50人以内であり、この制度は良い意味での「寺子屋的な」性格を帯びていただろう。しかし、1970年代に入り、定員増などで学生数が100名を超え、一ゼミあたりの平均学生数が15名に達するようになってからは、少人数とは言え、この制度の利点を生かすことが難しくなっていると考えられる。
もっとも、ゼミのあり方については、学科内で統一が図られているわけではなく、各教員がそれぞれの考え方に基づいておこなっている状況なので、ここで述べることは、筆者の考えるゼミのあり方ということになる。持ちゴマ数を圧迫する問題はともかくとして、このシステムは、卒論指導上、特色を持たせやすい方法であることには違いない。筆者は、このシステムに沿って約10年ゼミを指導しており、この3月、9回目の卒論生を送り出した。送り出した学生の数は122名になる。
本稿では、前半にこれまで改良を重ねてきた過程をまとめ、後半に今年度の授業内容を紹介する。あわせて、末尾にこれまでに指導した卒業論文のタイトルを掲載する。以下、具体的卒業年度についてふれる際には、(田原ゼミ)1〜9期生と表すことにする。ちなみに、1期生は卒業年度が1991年度というように、西暦年度の一の位が卒業期と偶然同じ数字になっている。また、国文学科の通称にしたがい、演習U、演習V、演習Wを、2ゼミ、3ゼミ、4ゼミ、この三つの演習全体を単にゼミと呼ぶことにする。
2.国文学科におけるゼミの位置付け
本学国文学科では、さまざまな授業が開かれているが、形態別に見ると、講義、講読、演習の三つに大きく分けられる。「講義科目」には、国文学概論、日本語学概論、国文学史概説、特殊講義などが、「講読科目」には各時代別あるいは作品別の国文講読が、「演習科目」には、ここで取り上げているゼミ(演習U〜W)の他に、一回生配当の入門的な基礎演習がある。授業の人数の目安としては、講義が50〜100人、講読が25〜50人、演習が15人以内というところである。
この中でゼミの占める位置を考えてみたい。筆者はつねづね大学教育における卒業論文の重要性を強調してきた。学生に対しては、すべての授業は卒業論文に集約されるべきであるとまで言っている。そして、卒業論文を書くための直接の行程(あるいは工程)となるのが、このゼミというわけである。
国文学科では学則上50種類程度、選択科目およびリピート科目を含めると100をゆうに越える数の授業が開講されているが、この中で一人の学生が4年間に受講する数は30科目程度である。このうち約半分は必修科目なので、残り半分の選び方が問題になってくる。筆者は、学生にまったく自由に選択させるのではなく、ある程度教師が履修指導する必要があると考えている。基本的には、学年が進むにしたがって、興味ある分野を選択し、専門性を高めるために受講科目を絞っていくことが望ましいと思われる。
その初期段階に2ゼミの選択が位置づけられることになる。2ゼミを選択した段階で、それ以降の選択がかなり絞られてくると言ってよい。国文学科の8つのゼミは下に示す通りであるが、この中で本ゼミは語学分野の中の「現代語ゼミ」である。筆者は、履修指導としては、日本語教師を養成するための日本語教育課程に属する科目を中心に受講するように指導している。
文学分野 ― 和歌、中古(2)、中世、近世、近代 (中古は2名で担当)
語学分野 ― 古典語、現代語
現在、2ゼミでは志望動機書による選考をおこなっている。一回生の11月に、希望するゼミを表明するにあたり、800字以上の志望動機書を学科に提出する。希望者が定員(現在16人)を超えたゼミについては、各ゼミの教員が志望動機書に基づいて選考し、選考に漏れた学生は第二希望、第三希望のゼミに回されることになる。筆者は、選考にあたり、志望動機書、一回生時の授業の出欠、提出物の状況を加味し判断している。
筆者が担当するゼミの名称は、上では語学系分野の「現代語」に属すると述べたが、具体的には、表題にある通り、「音声言語学ゼミナール」と称している。これは「話しことばを中心とした研究」という意味で、書記言語に対する音声言語を研究対象とする分野ととらえている。
上にも述べたように、筆者はこの三学年にわたる演習を一連のコースとしてとらえ、具体的な最終目標を卒業論文として設定しており、2ゼミの段階から授業の中で学生にその点を強調している。一言で各学年の内容を言うならば、2ゼミでは研究に必要な技術を学び、3ゼミでは卒論のテーマを選定し、4ゼミでは卒論を執筆する、ということになる。
3.これまでおこなってきた改良点
始めての2ゼミを1989年度に受け持って以来、不備と感じる点を修正し、筆者なりに改良しながら現在に至っている。取り組んできた内容は、通常の授業に関することと、通常の授業以外のイベントに関することの二つに分けられる。まず、3-1では通常の授業内容についての、3-2では発表会等、通常の授業以外のイベントについての変遷をそれぞれ振り返る。
3-1.通常の授業内容について
通常の授業内容については、最初の5年くらいは暗中模索の状態だった。2ゼミ、3ゼミ、4ゼミの関連づけもはっきり意識しておらず、一貫性もなかったように思う。卒論テーマが決まる3ゼミの終盤から4ゼミにかけては、目的がはっきりしているのでやりやすいが、2ゼミ、3ゼミの前半については、方針が立てにくい。現在のように2〜4ゼミを関連づけた形に移行したのは、1996〜1997年度にかけててであるから、まだ三年ほどしか経っていない。
・2ゼミ
2ゼミについては、前任者の担当分野を意識して、当初は音声学中心の演習内容であった。これは1989〜1995年度までの7年間続けた。1996年度に、以下に述べる方言調査を授業の一環として導入したのを機に、それまでの音声学中心の演習内容を一新した。新しい内容では、方言調査に関わるものを一つの柱としたが、それは現在までの4年間続けている。もう一つの柱については、実験的に毎年テーマを変えながら現在に至っている。
1996年度は、各人が日本語に関する本を一冊選び、その内容を一人30分程度で紹介するものであった。その際の方針としては、ハンドアウトは配布せず、必要に応じてホワイトボードに板書すること、発表者以外のものは要点をノートにとり、次週までにまとめてくるといったものであった。狙いは、発表者については、口頭で要領よく説明し、的確に板書するための訓練であり、発表者以外については、ノートの取り方とまとめ方の訓練をおこなうことである。この内容はこの年度限りであったが、ノートのまとめ方の訓練については、国文学科必修科目である「日本語学概論(現代語)」においておこなっている。
1997年度は、筆者が担当している一回生の必修科目である「日本語表現論(話しことば)」において自分たちでおこなった調査結果を、パソコンを用いてグラフ化し、資料を作った上で、発表するという内容であった。作業は二人一組で協力しておこなわせた。一般家庭へパソコンがある程度普及してきたことと、日本語研究センター内のパソコンがWindows95機で統一され、かつ、二人に一台程度揃ったことにより、この年から本格的に全員にパソコン教育を開始した。この学年は今年度卒業した9期生が二回生の時にあたる。パソコンを中心とした授業は筆者としても始めての経験であり、要領が分からず手探りの状態であった。特に、なぜパソコンを学ぶのかについての説明が足りず、多くの学生が一時的にパソコン嫌いに陥ってしまったことは反省点であった。
1998年度は、前年度の反省に立ち、より基本的なところから訓練を始めることにした。また、現在おこなっている作業が、卒業論文の中でどのように生かされるのかについても十分に説明するようにした。
1999年度は、整理する対象を前年度の2ゼミ、すなわち一学年上の学生がおこなった方言調査のデータに変え、もう一本の柱である方言調査との関連を図った。1999年度の具体的内容は「4.現在行っている内容」で詳しく述べる。
通常以外の授業における課題として、卒論中間発表会のすべての発表をそれぞれ400字にまとめること、最終発表会のそれぞれの発表について、キーワード5個を抜き出した上で感想を述べること、の二つを課している。
・3ゼミ
3ゼミについては、当初から論文講読をおこなっているが、1990〜1994年度までの5年間は、2ゼミ同様、音声学を中心とした論文に限定し取り上げていた。しかし、この頃から卒業論文への取り組みを早めることの必要性を感じ始め、分野を音声学に限定することが実情に合わなくなってきた。
そこで、1995年度は学年途中から、各自の卒論テーマを意識した論文を選び、紹介するよう指示した。論文の選択については学生に任せたところ、一般向けの雑誌等から選んだ者もあり、囲み記事的なものなども含まれてしまったので、1996年度については専門雑誌『日本語学』から選ぶように指示した。その後は、出典については幅を持たせ、二回生の春休み中に個別に指導をおこなった上で、3ゼミが始まる時点で、完成したハンドアウトを提出させるようにしている。
現在では、ほとんどの学生が、3ゼミの時に取り上げた論文を取っ掛かりとして、卒論テーマに結びつけている。スケジュールとしては9月中旬に、以下に述べるゼミ合宿をおこなって各自テーマを発表するので、合宿までに全員が一回ずつ論文紹介をおこない、10月以降は卒論テーマに沿って、先行研究のまとめを進め、ある程度進んだ者は予備的研究に入るように指導している。その後、12月下旬に卒論テーマの予備登録、1月末に本登録があり、三回生の春休みから本格的に卒論に取り組むことになる。
原則として、一人につき授業一回分を使って発表をおこなうので、一人あたりの発表の回数が極端に少なくなる。それを補うために、発表者以外の者は次週までに、論文の内容を800字でまとめてくるよう指導している。ただ、どうしても授業内容が単調になりがちなので、もう少し工夫の余地がある。
通常以外の授業における課題としては、2ゼミ同様、卒論中間発表会のすべての発表をそれぞれ400字にまとめること、最終発表会のそれぞれの発表について、キーワード5個を抜き出した上で感想を述べること、の二つを課している。
・4ゼミ
4ゼミは卒論演習ゼミなので、9月下旬の卒論発表会、1月中旬の提出締切、2月1日の最終発表会、2月中旬の製本用原稿提出といったイベントに向けて、各自の論文内容の進み具合をチェックするという趣旨でおこなっている。チェックにあたっては、一人ずつカルテ様のスケジュール表を作成、ファイルしておき、毎週の授業の冒頭に「進み具合」と「来週までに進めること」を各自に記入させている。
近年は、卒論への取り組みを早めているせいもあって、以前と比べて質の高いものが多くなった。また、全体のレベルについてもある程度の水準が保てるようになったと感じている。
3-2.通常の授業以外のイベントについて
ここでは、通常の授業以外のイベントをまとめて紹介する。これまでに改良を加えてき
た主な点をまとめると下の表のようになる。
年 度 |
最終 発表会 |
合宿 発表 |
中間 発表会 |
A4判ワ ープロ化 |
卒論の 製本 |
ゼミ 調査 |
備考、その他
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1991(H3) |
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1992(H4) |
○ |
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4ゼミで発表会を一日半で開始 |
1993(H5) |
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○ |
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3ゼミで合宿発表開始 |
1994(H6) |
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○ |
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←最終発表1日に変更、中間発表1日半で開始、2〜3回生も全員出席 |
1995(H7) |
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1996(H8) |
4 |
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2 |
○ |
△ |
○ |
2ゼミで方言調査開始 |
1997(H9) |
4 |
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4 |
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○ |
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2ゼミで本格的にパソコン教育導入 |
1998(H10) |
6 |
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4 |
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学年暦変更で行事を9月に集中 |
1999(H11) |
6 |
4 |
4 |
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合宿資料を4頁に統一 |
数字は資料の頁数、△は製本手前までいった年
・最終発表会、中間発表会(4ゼミ)
まず、2期生から卒論最終発表会、4期生から中間発表会をそれぞれ導入した。当初は、プレゼンテーションの経験をさせることと、公開で口頭試問をおこなうことが目的であったが、中間発表会の導入にあたって、下級生(3ゼミ、2ゼミ)の学生も出席を義務づけ、四回生が、最終目標である卒業論文にどのように取り組んでいるかを直接見させることも目的として加わった。9期すなわち今年度からは、すでに来年度の2ゼミに内定している一回生も出席を義務づけることにした。時期は一貫して、一月末ないし二月初めにおこなっているが、ここ5年は、後期試験後の空き日にあたる2月1日に固定している。
卒論指導上、すでに提出し終わった段階でおこなう最終発表会より、途中段階でおこなう中間発表会の方が重要であると考え、それまで最終発表会を一日半でおこなっていたものを、中間発表会導入と同時に一日とし、その分、中間発表会に一日半かけることにした。1998年度に大学の学年暦が変更になり、それまで9月下旬であった前期試験期間が7月下旬に変わり、8,9月が夏休みとなった。これを受けて、それまでは後期の第一週の授業期間中に強行していた中間発表会を、8期生から夏休み中の9月下旬におこなうことにした。
・ゼミ合宿(3ゼミ)
ゼミ合宿については、4期生以前も3ゼミの9月末ないし10月初めにかけて一泊二日でおこなっていたが、当時のゼミ合宿の目的はゼミ内の親睦を図ることであった。国文学科では、三回生の12月下旬に卒論テーマの仮登録、1月末に本登録をおこなうことになっているので、4期生の時からゼミ合宿の一部を、それまでに暖めているテーマを表明する場として利用することにした。一人15分程度で半日かけておこなっている。
中間発表会のところで述べた学年暦の変更にしたがって、9期生より合宿の時期を夏休み中の9月中旬に早め、さらに、合宿前に準備期間が十分とれることもあって、それまで形式を統一していなかったハンドアウトを統一し、かつ前日に冊子化するようになった。
・ゼミ調査(合宿によるフィールドワーク)(2ゼミ)
8期生が2ゼミの時、すなわち1996年度、ゼミに方言のフィールドワークを導入した。それ以前から方言調査自体は毎年おこなっていたが、「社会言語学演習」という別の授業でおこなってきたものを、2ゼミの授業の一部として始めることにした。
ゼミにフィールドワークを導入した理由は、当時このゼミで取り上げられる卒論テーマの半数以上が、言語調査に関わるものであったため、被験者の選び方、電話による挨拶、録音機の使い方などの調査方法、およびコーディング、集計、グラフ化などの整理方法を体系的に教えておく方がよいと考えたからである。それ以降、フィールドワークは2ゼミの授業内容の柱となっている。現在は夏休み中の9月上旬におこなっている。
・資料の作成
卒論最終発表会、中間発表会、ゼミ合宿、この三つの行事に関わる発表資料については、形式を年とともに整えていった。初期は形式も量も自由としていたが、4期生の時にB4判で1〜2枚、6期生の時にA4判ワープロ書きに統一、量についても中間2頁、最終4頁に統一した。さらに、7期生の時に中間4頁、8期生の時に最終6頁とそれぞれ増やし現在に至っている。合宿時の資料については、開始した年は自由としていたが、現三回生である10期生の時に4頁に統一した。
資料の形式については、形式を整えること自体が目的ではないが、形式・量を整えることが内容の向上につながると考えている。形式を統一し、全体を綴じて冊子にするためには、決められた日までに清書し、印刷しておかなければならない。冊子にするとなると、一人だけ遅れることは許されないから、自然と計画的に資料を作ることにつながる。また、決められた量に合わせることは、内容を何度も見直すことになり、結果的によい資料ができる。要するに、制限が加えられることによって、逆に、時間と手間をかけることにつながっていくということである。
・卒業論文の製本
発表会の資料が整ってきたので、次に卒業論文の製本を目指した。国文学科の卒業論文は公式には保存されていない。提出分は正本しかなく、しかもそれは卒業式当日、本人に返却するので、基本的には残っていないと考えられる。筆者のゼミでは1期生から、提出後、返却するまでの間にコピーを取って提出するように指導してきたが、それでも徹底せず初期のものは一部欠けている。
卒論を保存する理由は、研究上の必要性ももちろんあるのだが、ゼミとしては、後輩に研究を受け継いでもらうためである。現在、新たな卒論執筆にあたって、100を越える卒論の中からテーマが選ばれることが多い。筆者自身も積極的に先輩の研究の後を継ぐように指導している。卒論一回限りで研究論文となるものはまずないが、何度かテーマの継承がおこなわれると、学問的に見ても、質の高い研究に発展していく。
逆に、卒論執筆時には、後の人が見たときに研究内容がそのまま再現できるように、資料の整理をおこない、結論を導くにあたっての手続きを詳細に記述するように指導している。そのためには、日頃から資料を他人に分かりやすく作るよう心掛けねばならない。
一連の改良の最終段階とも言える、卒論の製本が始めてできたのは7期生の時であるが、実はその一年前の6期生の時に、製本一歩手前の状態までいった予備段階を経ている。すなわち、すべてワープロ打ちでA4判に統一がなされた。ただし印刷は片面であった。製本すること自体は目的ではないが、製本することによりさらに校正をする段階が追加され、よいものになると考える。もちろん学生自身の達成感もより大きくなるだろう。
また、製本の利点として、量的な制限から解放され、資料性が高まることもあげられる。ワープロ原稿でしかも両面印刷であるから、本文自体は少なければ20頁10枚、多くても40頁20枚くらいである。その分資料を整理して加え、すべてのデータを含む一つの冊子にまとめることができるからである。それまでは、本文と資料が別々になっていることが多く、散逸しやすい状態にあったが、すべてが一冊にまとまっているので、その心配もなくなった。
現在、国文学科では卒業論文は手書きで提出することになっているので、本ゼミでも学科提出分の清書については手書きでおこなっている。三回生時の先行研究のまとめに始まり、中間発表会の資料作成、さらに下書きをへて清書まで、すべてワープロを使っているので、学科提出分のみ手書きで清書させるのは学生には少々気の毒な気がするが、いったん手書きで清書することでさらに推敲が進むと良い方に解釈している。
4.現在おこなっている内容
1999年度におこなった授業内容を学年別にまとめると次頁の表のようになる。3で述べたように、10年にわたって改良を加え、到達したものと考えていただきたい。以下では、現在おこなってるゼミの内容について、2ゼミについては一回ごとにおこなったことを、3ゼミについては各学生が担当した論文名および最終的な卒論タイトルを紹介する。なお、4ゼミの内容については、個々の指導内容は省略する。なお、この表は毎年夏におこなう高校生向けのオープンキャンパスの時に張り出しているものである。
・2ゼミ
2ゼミの目標は、研究をおこなうにあたっての基礎を固めることである。研究に対する考え方を学ばせるとともに、研究に必要な心構えを身につけさせる。研究をするにあたって必要なスキル、具体的には、ワープロ、パソコン等の使い方、録音機の使い方、フィールドワークの準備と体験、その後の整理、分析を一年かけておこなう。以下に回ごとの具体的な内容を紹介する。
田原ゼミ学年別スケジュール(1999年度)
2 ゼ ミ |
3 ゼ ミ |
4 ゼ ミ |
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自己紹介、ガイダンス 方言調査データを、パソコンを用いて整理しながら、パソコンの使い方を覚える。 方言調査のための訓練、準備をおこなう。 |
各自担当した論文のハンドアウトを用いて、授業の中で、発表をおこなう。論文が一つ終わるごとに、全員800字の要旨にまとめ、提出する。 |
予備調査実施 結果の検討 本調査の準備 基礎資料に基づきデータ分析を始める。 |
就 教 職 育 活 実 動 習 な ど |
2泊3日で、東大阪市内の50人程度に方言アクセント調査を実施する。 |
卒論テーマの候補を探す。その成果をまとめて、1泊2日のゼミ合宿で発表する。 |
本調査実施し、回収分から順次入力作業をおこなう。 進んだところまでをまとめて、中間発表会で発表する。 (2,3回生も全員出席) |
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調査の整理。フェイスシートの入力、MDのダビング、文字化、パソコンを用いた音声編集作業を体験する。 前期に作成した資料を分担して、分析し、班ごとに発表する。 |
テーマが固まった者から、順に関連文献の紹介をおこなう。 ☆卒論予備登録( 12月) ☆卒論本登録(1月) |
データ集計 資料作成 下書き 清書 ☆提出(1/13) 要旨、発表会の資料作成 |
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卒論のテーマを念頭に置き、次年度に担当する論文を決め、ハンドアウトをワープロで作成する。 |
参考文献収集 先行研究のまとめ 基礎資料作成 予備調査の準備 |
☆卒論発表会兼口頭試問 (2,3回生も全員出席) 製本用原稿をまとめて提出 |
前期
1.ガイダンス(4/9)
今年度の予定を書いたプリントを配布し説明する。パソコンの適性度のチェックをおこなう。チェックにあたっては、小幡浩二1998『パソコンはいらない なぜ必要でないか、なぜ必要か』講談社ブルーバックス、の第10章「あなたにパソコンは必要か」の中にある自己診断チェックリストを用いた。宿題として、次週おこなう自己紹介をあらかじめ文章にまとめてくることを課した。
2.自己紹介(4/16)
一人3分を目安に自己紹介をする。聞いている人は、できるだけ精密にメモをとる訓練をおこなう。田原は、内容、発声等で気づいたことをコメントした。
3.パソコンの説明(4/30)
パソコンの基本について解説する。現在普及している機種、OSの種類、フォーマット、コピー、バックアップ等、データ管理の基本、磁気媒体の種類、研究室内のパソコンの配置とプリンタネットワークの概要、具体的な使い方と、使用にあたっての決まりについて講義した。
4.パソコンの説明、次回以降の作業の説明(5/7)
前回講義した内容について一通り確認し、実際に自分でできるかどうかを試させた。昨年おこなった方言調査データの整理をするにあたって使用するMDプレーヤ、データベースソフトの解説をおこなった。
5.6.7.調査データの整理(5/14,5/21,6/4)
昨年度おこなった方言調査資料の整理をおこなった。音声資料についてはMDのダビング編集作業と、既に文字化してあるものをパソコンに入力、フェイスシートについては、データベースソフト(ファイルメーカーPro)を用いて入力作業をおこなった。次に、入力したものをプリントアウトして、確認作業をおこなった。6回目に1〜5回までの授業内容をまとめたワープロ書きのノートを提出させた。
8.音声データベース化作業(6/11)
MDに編集した音声データをパソコン内部に取り込み、編集して音声ファイル化する作業の概要を説明し、実際の操作を見学させた。筆者が共同研究としておこなっているアクセント調査の結果に基づいて、放送されたテレビ報道番組、NHK発信基地「関西弁アクセントに一大事〜揺らぐ1000年の伝統」(30分、99/02/14放送)を見せる。来週までに、何度か見直して、内容をまとめてくるように指示した。
9.10.番組批評(6/18,25)
先週見せた番組に加え、やはり同様の取材を受け作成された二つの番組、NHKおはよう関西「変わる関西弁」(5分、98/12/14放送)、よみうりテレビズームイン朝「関西弁がなくなる?」(5分、98/12/16放送)を見た上で、研究の内容、各番組の報道姿勢、番組内容の正確さという点から批評した。9月に同様の研究内容について、さらに追加調査をおこなうので、そのための予備知識を与えるという目的でおこなった。
11.フィールドワークの基礎知識(7/2)
筆者が執筆した「河内方言調査について」(『フィールドワークを歩く』嵯峨野書院)、「日本の方言探訪−F大阪(河内)編」(『言語』1999年7月号)を配布し、これまでにおこなってきた調査について理解させた上で、フィールドワークの基本的な事項について講義する。また、調査にあたっての班分けをおこなった。5〜10回のノート提出させた。
12.13.14.調査の準備(7/9,7/16,7/23)
9月に東大阪市でおこなう方言調査の準備をおこなった。調査マニュアルを配布し、注意すべき事項について説明した。また話者の紹介状況等について逐次報告した。3人で一組になり、質問者、機械係、話者に分かれて模擬調査をおこない、やりにくかった点、調査の趣旨が分からない点などを報告し、説明、議論を重ねた。次に、MD編集作業の練習、住宅地図の必要部分を張り合わせる作業、各自の調査訪問地の確認をおこなった。
15.直前打ち合わせ(9/3)
話者名簿、スケジュール表、録音機、調査票、記念品などの携行品を確認した。また、調査注意事項についても再確認した。
16.17.18.方言調査実施(9/10,11,12)
2泊3日で調査を実施した。夜のミーティングにおいて、調査状況の報告、次の日の予定の確認をおこなった。最終日は調査が終了した者から大学へ集合し、後かたづけ、お礼状書きをおこなった。
19.20.卒論中間発表会見学(9/21,22)
円形ホールで、21日の午後と22日の朝から夕方まで、四回生の卒論中間発表会を見学した。夕方から上級生とともに懇親会をおこなった。発表の要旨400字、質疑応答内容、自分の感想、以上の三点をすべての発表についてまとめ、10月末までに提出するよう指示した。
後期
21.ガイダンス(10/1)
後期の日程を確認し、授業でおこなうことの説明をおこなった。方言調査の資料整理の分担を決めた。
22.23.24.25.調査の整理(10/8,22,29,11/5)
フェイスシートを入力し、プリントアウトして確認をおこなった。同時にMDのダビング編集作業をおこなった。文字化作業にあたって表音カナ表記について説明を加えた。22回目に11〜21回分のノートを提出させた。24回目に卒論中間発表会のまとめを提出させた。
26.作業のまとめ(11/12)
調査の整理でおこなってきたことを各自確認する。音声データベースについて説明した上で、音声ファイル、文字化テキストをデータベース上に組み込んでいく工程を見学させた。
27.28.29.31.昨年の待遇調査の整理(11/19,26,12/3,17)
27回目に22〜26回分のノートを提出させた。まず、昨年、東大阪市でおこなった待遇表現調査を学生同士でおこなった上で、昨年の結果を分担してまとめた。その際、あらかじめ参考とすべき文献を紹介し、それぞれの文献の記述を加えた上でまとめさせた。適宜、進んだ部分までを提出し、次の作業についてアドバイスした。
30.卒論への道(12/10)
今年度2ゼミでおこなったことを確認し、来年度3ゼミでおこなうことを説明した。卒論のテーマを見つけるにあたって参考となる学会誌、紀要、雑誌、原稿集等を紹介した。
32.33.担当論文を決める(1/14,21)
27〜31回分のノートを提出させた。また、待遇調査をまとめたものを提出させた。3ゼミで各自が担当する論文を探した。まとめるにあたって、現三回生が作成したハンドアウトを参考として配布した。
34.卒論最終発表会の見学(2/1)
四回生がおこなう卒論最終発表会を朝から夕方まで見学した。夕方からは2ゼミが幹事をつとめ、予餞会をおこなった。課題は、それぞれの発表について、キーワードを5個抜き出し、各自の感想をまとめることである。
・3ゼミ
3ゼミでは論文講読をおこなっている。学術論文を数多く読みこなすことで、学問的知識を増やすことはもちろんであるが、自分が担当し、紹介するものについては、卒論のテーマを絞っていく過程、さらに先行研究をまとめる過程と位置づけている。授業内で、論文を丁寧に読み込み、細かく指摘をおこなうことにより、ことばを研究の上でどのようにとらえるか、いかに論理的に考えるかを、肌で感じ、身につけることが目的である。また、授業内で紹介されたすべての論文について、800字の要旨を作成することにより、重要な部分を抜き出し、的確にとまとめる訓練をおこなう。これは、卒論を書くにあたっての準備運動、体力づくりととらえている。
今年度3ゼミで担当した論文を以下にあげ、その論文を担当した者(10期生、2000年度執筆予定)が最終的に決めた卒論テーマを併記する。
1 「日本語教科書の語彙」山下喜代『日本語学』(1993.2)
→「日本語教科書に見られる『文化語』の使用の特徴」
2 「文法変化と方言」渋谷勝己『言語』(1998.7)
→「大阪方言における可能表現の使用実態について」
3 「奈良県西吉野・大塔地域の言語調査報告」真田信治・宮治弘明
『大阪大学日本学報』9(1990)
→「奈良県中和地域における敬語表現について −助動詞の地域差・世代差の分析−」
4 「童謡の語彙」中野洋『日本語学』(1992.2)
→「児童詩における語彙の特徴について −自立語の品詞別分析−」
5 「熊本の地域語について」村上敬一
『地域語の生態シリーズ 九州篇 地方中核都市方言の行方』(1996)
→「佐世保市におけるネオ方言について −九州他都市との比較−」
6 「日本人の好きなことばとは?」加治木美奈子『放送研究と調査』(1996.8)
→「関西における語形・文法形式のゆれについて −世代・性別による違い−」
7 「新聞のあて字 −スポーツ新聞の場合−」佐竹秀雄『日本語学』(1994.4)
→「スポーツ新聞にみられるあて字」
8 「『坊ちゃん』における笑いの表現と擬声語」太田紘子『就実語文』(1993)
→「灰谷健次郎の擬音語・擬態語にみる特徴と時代による変化」
9 「流行歌・言葉の考現学」鶴岡昭夫『日本語学』(1996.6)
→「オリコン年鑑における曲名・歌手名の変遷」
10 「マンガの擬音語・擬態語 −作家にみる−」越前谷明子『日本語学』(1989.9)
→「手塚治虫のマンガに見られる擬音語・擬態語」
11 「女子大生の敬語意識」岸本千秋『武庫川女子大学言語文化研究所年報』9(1997)
→「女子大学生の敬語意識の特徴 −他世代との比較−」
12 「そして誰もいなくなった −俵万智を中心とした短歌の言語学的研究−」今野真二
『日本語学』(1992.7)
→「現代短歌にみられる言語学的特徴 −俵万智を中心として−」
13 「「呼称」という論点」渡辺友左『日本語学』(1998.8)
→「近畿地方における呼称の性差・世代差について」
14 「中河内及び南河内における近畿アクセント○○型の発話の実態」杉藤美代子
・奥田恵子『大阪樟蔭女子大学論集』17(1980)
→「奈良県における2拍名詞4類・5類の実態」
5.まとめ
以上、このゼミの10年を振り返ってみた。個別の事柄については細かく述べてきたが、根本的な教育方針については十分に触れられなかったので、ここでまとめることにする。
本学の学生に対する、ゼミ教育および卒論指導はどうあるべきなのだろうか。例外はあるが、ほとんどの学生は卒業後、学問の世界にとどまることなく社会へ出ていく。また同時に、ほとんどの学生は、将来、家庭人として次世代を育てる立場にある。そのような学生にとって、ゼミにおける具体的教育内容そのものは実用的とは言い難い。
筆者は、ゼミ教育および卒論を指導する過程は、専門的な知識教育ではなく、むしろ教養教育が主となるべきだと考えている。すなわち、学問の世界に身を置くことによって、その世界に潜む奥深さや、一般社会に通ずる普遍性を学びとり、真実を見抜く目を磨くとともに、より高度な常識を身につけ、そのことで社会に貢献できる人間を育てることである。この場合、学問は人間育成の手段に過ぎないとさえ言える。しかし、学問はそのための十分な手段となりうるものである。
2ゼミから始まり、卒業論文を完成させるまでの過程に、さまざまな要素を盛り込むことによって、上に述べた目的のかなりの部分は達成できると考えている。基本を学ぶことから始まって、興味あることを徐々に絞っていき、自分で決めたテーマを、自分で責任を持って育て、自分が納得できるまで頑張って、きちんと仕上げる。その過程で、教師に相談したり、説明したり、議論したり、説得したりといったことを通じて、また、後輩の前で発表することを通じて、真剣に何かに打ち込むこと、他人に理解してもらうことの大変さ、苦しさ、そして自分で何かを成し遂げた時の喜び、さらには学問の真の面白さといったものを学んでいけるのではないか。それは、彼女たちの卒業後の人生において、何らかの縁となるはずである。教師としても、このような流れの中で卒業論文の指導ができることは理想であるし、このような目標に向かって学生とともに歩む過程は、まさに教育の醍醐味と言えるだろう。
今振り返ってみると、この10年は、上に述べた流れを模索する時期であると同時に、その流れを作るための「インフラ整備」とでも言える時期だったような気がする。今後は、教育内容をさらに深め、一人でも多くの学生にこの喜びを味わわせてやれるよう、さらに研鑽していきたい。
【1992〜1999年度卒論タイトル一覧】
<田原ゼミの項目にあるので省略します。>