1996年8日17日 カシュガル |
楽器屋の若主人。演奏も名手。 |
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朝、オプショナルツアーでカラクリ湖に行く人たちをホテルの玄関で見送った後、朝食。カラクリ湖は、この旅から帰ってすぐに出発する次の旅で、パキスタンから、カラコルムハイウエーを越えてくるときに、通ることになっていた。だから、今回は、カシュガルに残ることにしたのだった。
10時出発で、カシュガル市内の観光に出た。まず、小さなトラックの様なバンは香妃墓へ。日本では、乾隆帝の愛妃だった香妃(シャンヒ)の墓として知られるこの墓は、現地ではホージャ墳と呼ばれている。香妃とホージャは別な人で、ホージャという名の一族が埋葬されている所に100年位後に香妃が葬られたらしい。元々あったホージャ墳には、ユス・ホージャとその息子のアパ・ホージャが葬られたのが始まりだ。ユス・ホージャはこのカシュガル周辺に、イスラム教を伝えた人で、その息子は、王になりたいという野望に燃えて、宗教を利用して色々な権謀術数を巡らして、時の王を倒して王位についたのが1681年のこと。それから1693年までの12年間がこのあたりの暗黒時代だったという。
続いてバザールへ。ここのバザールはシルクロードで一番大きなものと言われているだけあって、実に色々なものを売っていた。ツアーの仲間も、みんな思い思いにあれこれと購入していた。中でも人気があったのは、旧ソ連製の双眼鏡で今はなきソ連の鍬と金槌のマークが入っているところがミソ。性能もいいらしく、400元はいい買い物だ。
私は、何種類かのフルーツとドライフルーツ、それに、ミンクのしっぽや切れ端の毛皮をぼんぼんにしたものをネットに縫いつけたかわいいショールを買った。それに、日本では見ないような長い柄のついた茶こしも。こういう、キッチン用品って、結構便利なものがある。ドライフルーツは、お世辞にも衛生的とは言えない環境で作られているのは分かっていたが、食べて腹をやられたことがないので、よく買うのだった。
一度昼食にホテルに帰って、4時になって、再び観光へ。エイティカール寺院とその横の職人街へ行った。このモスクで今年はいったい幾つのモスクを見たことになるのだろう。最初は知らなかった、説教壇やミヒラブなども分かるようになり、タイルの模様や(イスラム教徒は偶像を排するので、モスクの中の模様は幾何学模様がほとんど)なども見慣れてきた。それまで、何となく、怖いだけだったイスラム教にも、いいところがあるように思えるようにもなってきた。旅は私にいろいろなことを教えてくれる。
エイティカール寺院の中には、ホメイニ師が専用機で直接このカシュガルを訪れ、専用機で帰っていった旅の折りに、ここへ立ち寄って祈りを捧げたときに持ってきたというイランの絨毯があった。私には読めなかったが、絨毯にそのことが綴り込んであるらしい。彼もシルクロードに興味があったのだろうか。イランの革命指導者として、何となく畏怖していたホメイニ師が、一人の人間として、何となく、身近になったように感じられた。これもまた、不思議である。
職人街では、金細工、かばん、帽子、花嫁道具の衣装箱などを売っていたし、刃物屋さん、楽器屋さんなどをゆっくりと歩きながら冷やかして回った。途中で、道ばたで焼いているシシカバブを買い食いし(もしチャンスがあったら、絶対買い食いしてみてください。これは、おすすめ。おいしかったし、いい思い出になる。ただし、よく焼いてもらうこと。当たってもうらみっこなし)、同じツアーのお客さんの一人が、小さな鑿を3丁ほど買ったりして、職人街を満喫して宿に戻った。
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