【札幌スキー連盟の誕生】
札幌スキー連盟の発足は昭和4年12月7日、スキー仲間が大同団結し41団体1,966人の会員により結成されたものです。発足に伴う経緯として、当時の秩父宮様との関わりと宮様スキー大会の開催について紹介いたします。以下に「宮様スキー大会70年史」から抜粋・引用し、札幌スキー連盟の誕生についてまとめてみました。
昭和3年2月。秩父宮様は厳冬の北海道へお成りになりました。
道民の冬の生活をご視察かたがた、札幌近郊の山々やニセコでスキーを楽しまれるためのご来道でした。これより先、当時北大スキー部長の大野精七氏は、友人の槇有恒氏を通じて、「一度宮様に冬の北海道へおいでいただきたい」とお願いしていました。大正15年、北大スキー部創立15周年にあたって、手稲山に日本で初めての西洋式の山小屋、パラダイスヒュッテを完成、昭和2年にはスイス人グブラー、ヒンデル両氏の手でヘルベチュアヒュッテが完成していたからでした。このモダンな山小屋と雄大なスロープに宮様をお招きして、思う存分スキーを楽しんでいただきたいというのが大野氏の願望でありました。
宮様は2月20日に上野駅を出発、21日夜札幌にお着きになられました。翌22日三角山で行われた北大スキー部のスキー大会をご覧になり、23日盤渓峠、幌見峠のスキー行、札一中の雪戦会や中島公園のスケート競技会など、道民の冬の楽しみの一端をご覧になられました。
このように市民とスキーを楽しまれた宮様はその後、手稲山から奥手稲にツアーし前出のパラダイスヒュッテに泊まられ、朝里岳、春香山などのスキー行やニセコまで足を延ばしアンヌプリの1,200m台地まで登られました。
この秩父宮様の「スキーを楽しまれる」ためのご来道は、昭和初期という時代の社会的背景を考えると、実現したそのこと自体がスキーを愛好する人々を感激させ勇気づけるものでした。スキー行を通して宮様が語られ、残されたお言葉の中に「将来日本でオリンピックを開催するとしたら、山が近い上、雪質に恵まれ、しかも大都会で大学もある札幌において他にない。そのためにはオリンピック用のシャンツェが必要だ。良い場所を見つけ、設計をして送ってくれれば、私が造れるようお世話しよう。」
しかし、当時国内にはオリンピック級の大きなジャンプ台を設計する者がいない状況でした。
稲田昌植全日本スキー連盟会長と木原均博士(ともに北大スキー部OB)は宮様にお会いしご相談申し上げたところ、「大倉喜七郎男爵」にお願いしてスキーの先進国ノルウェーから専門家を招き、設計のお願いをしてはどうかということになりました。同時期、ノルウェー公使が京都に滞在中であり、早速二人がお願いに上がったところ、その場で快く承諾され、すぐさま本国に伝えられました。それからわずか1カ月半後に、ノルウェースキー界の重鎮であり、シャンツェ構築の世界的権威者のヘルセット中尉の来日が実現したのは、この時の宮様のお口添えがあったからでありました。
このように、昭和3年2月の秩父宮様のご来道は、スキー界を大きく刺激しました。ヘルセット中尉の来日はサンモリッツオリンピックの参加があったとはいえ、技術の手ほどき、施設や競技運営のイロハはもちろんのこと、スキーの何たるかを学びとる絶好の機会となりました。中尉は「秩父宮様のご希望で、日本に世界的なジャンプ台を造ると同時に、ノルウェーのスキー術を紹介するためにやってきた。力の限り正しい真のスキー術を数万、数十万のスキー人にお伝えしたい。それが日本スキー界の将来の発展に役立てば、これに過ぎる喜びはない」と語り、その言葉通り、2ヶ月間精力的に活動し関係者を感激させました。日本のスキー界は、幾多の変遷を繰り返して今日に至っていますが、肝心カナメの礎が築かれたのはこの時期であったと言っても過言ではないでしょう。
この教えに呼応する形で現れたのが札幌スキー連盟の発足でした。ヘルセット中尉の話に出てくるノルウェーのホルメンコーレン大会の存在が、「東のホルメンコーレン大会」を目指すという発想となり、この経緯を経て連盟の発足に至ったのでした。これにより発足当時の22条からなる連盟規約の第一の事業として、「秩父宮殿下、高松宮殿下御来道記念スキー大会」があることは、「スキー団体の相互親睦と技術の進歩、普及を図る」という本来の目的と共に、「宮様スキー大会」を開催することが連盟創設時の大きな目的の一つであったともいえましょう。
昭和47年、札幌の地で第11回冬季オリンピックが開催されました。35カ国、1,665名の役員・選手を迎え、11日間にわたったこの大会は、70m級ジャンプでのメダル独占、オリンピック史上最高と称賛された組織力とすばらしい施設づくり、競技運営の冴えをみせました。その中心的役割を演じたのは半世紀にわたって営々と競技運営、選手強化に当たってきた札幌スキー連盟の歴史を積み重ねてきた先人たちであり、そして、その根底に流れる精神的支柱は、あの秩父宮様のお言葉とご発想でありました。