赤穂義士親類書(あこうぎししんるいがき)


【概要】
 元禄16年(1703)正月22日、老中稲葉正通は大名四家(細川・松平・毛利・水野の各家)に預けられている赤穂浪士たちに親類書の提出を命じた。そのため赤穂浪士たちは親類書を認めて正月下旬に大名四家を通じて提出された。原則としては自筆であった。この親類書提出の命は幕府側が浪士たちの処分について何らかの決定をしたことを示す。
 赤穂浪士の親類書の現存状況は次のごとくである。
(1)「赤穂義士親類書」3冊 東京大学史料編纂所架蔵影写本
  原本は東京府柳荘太郎氏所蔵だが、現在は行方不明である。浪士自筆の影写本である。残念ながら四十七士全員ではなく、36名が収録されている。自筆の原本はもともとは江戸城紅葉山文庫に蔵されていたと推定される。
(2)「義士親類書」国立公文書館内閣文庫所蔵
  これを写した筆者は幕府の書物方関係者と思われ、江戸幕府所蔵の自筆の原本より謄写したと思われる。『赤穂義人纂書』所収の「義士親類書」は奥書や各項の表題等の文言が類似しているので、この写本(或いは同様の写本)を鍋田晶山も閲覧したと思われる。
(3)東京都文京区永青文庫所蔵(熊本大学附属図書館寄託)
(4)「久松家赤穂御預人始末記」愛媛県久松定武氏所蔵
  これは大石良金等10名の浪士を預かった松平(久松)家の御預記録であるが、この中に松平家御預の浪士10人分の親類書が収められている。また「松平隠岐守殿江御預一件」(『赤穂義人纂書』所収)にも同様に10名の親類書が収められている。
(5)「義士親類書」水野家・細川家御預分 『赤穂義人纂書 第一』所収
(6)「赤穂義士親類書」毛利家御預分 『赤穂義人纂書 第二』所収
(7)「松平隠岐守殿江御預一件」所収 松平(久松)家御預分 『赤穂義人纂書 第二』所収
 なお、(7)のように御預各家の記録類にも所収されているものがある。

【所蔵者】
 概要を参照のこと。
[閲覧]1→可(ただし、事前に閲覧申請の要あり)、2→可(20歳以上並びに学生から、直接行って閲覧申請)、3→可(ただし、事前に永青文庫理事長の許可書を得てから熊本大学附属図書館に事前に閲覧申請の要あり)

【刊本】
(1・3・4)→赤穂市史編さん室編『忠臣蔵』3巻 史実史料編(昭和62年、赤穂市)→一部脱漏がある。
(5・6・7)『赤穂義人纂書』
他にもある。

(005 2000/09/09)
(2000/10/30)

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