南蛮外科医で幕府医師の栗崎家に伝わった文書。東京大学附属図書館所蔵。影写本東京大学史料編纂所架蔵(昭和7年9月影写)。本史料の内容は次の通りである。
番号 | 史料名 |
---|---|
@ | 正羽公御筆 「金瘡部 四」 |
A | 「栗崎氏家譜」 |
B | 「畠山義寧書状」(元禄14年3月14日・栗崎道有正羽宛、吉良義央手負ニ付登城召) |
C | 「先祖書」(三代目栗崎道有正羽) |
D | 断簡5通 |
@の「金瘡部 四」は吉良義央の傷の様子並びに治療の詳細を記した史料である。「正羽公御筆」とあるが、異筆の部分が見られるので道有正羽の自筆の記録を後世になって写して記録の保存につとめたものと思われる。また吉良だけでなく、徳川(水戸)綱條をはじめ19名の診察記録があるので、近世医学史上でも有益な史料といえる。「四」とあるから他にも数冊あったのであろう。現在でいうカルテのようなものである。Aの「栗崎氏家譜」は後欠であるが、栗崎家の由緒を知ることが出来る。Bの「畠山義寧書状」は吉良義央が浅野長矩の刃傷によって負傷したので、高家である義寧が道有正羽に対して至急に登城するようにと命じた書状である。その筆跡は雑で事件の緊急さを窺わせる。Cは道有正羽の経歴を記したものである。その他Dのような断簡もあるが、これは道有正羽の自筆であった「金瘡部」の断簡とも考えられれる。ただ赤穂事件とは関係はなさそうである。もともと栗崎家の所蔵であったのだろうが、東京大学史料編纂所の影写本の奥書には「東京市杉並区天沼一三〇 松崎實氏所蔵」とある。恐らくは数人の所蔵を経て現在の所有となったのであろう。
【所蔵者】
原本→東京大学総合図書館
影写本→東京大学史料編纂所架蔵
[閲覧]両者とも可(ただし事前申請の要あり)
【刊本】
赤穂市史編さん室編『忠臣蔵 3巻』史実史料編(「金瘡部」の吉良上野介義央の部分のみ・昭和62年、赤穂市)
(009 2000/09/09)
(2000/10/31)
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