【概要】
播磨龍野城主であった脇坂家(旧子爵)に伝来した史料で「赤穂城請取行列絵巻」とも呼ばれる。元禄14年(1701)に脇坂淡路守安照が赤穂城を請取に赴いた際の行列を克明に描いた絵巻物、紙本著色、9巻、1巻の長さ平均13b44.5p。「赤穂城請取文書」の一つである。脇坂軍の騎馬・徒士・足軽・仲間・諸道具・武具・軍船に至るまでその描写は詳細で描かれている人数は4545人である。これは「赤穂城請取行列衣装之書」を基に作成されたものと考えられるので、成立は元禄14年(1701)4月19日の赤穂城請取後であろうが、完成はほど遠くない時期と推定されている。また、作は龍野藩の絵師数名によるものという。制作過程については不明だが、今後下絵などが発見されれば本史料制作の過程なども明確となっていくであろう。
本史料は元禄期の武家の風俗を描いた物としても、近世に於ける軍役を知る史料として有益である。制作目的としては関連の史料の残存状態から後世の参考のために作成されたものとみてよい。
本史料は脇坂家に伝来したが、近代になって脇坂家が某華族へ貸し出したところ、そのまま行方不明となっていた。それが、昭和45年(1970)の大阪万国博覧会を機に発見され、アメリカのボストン美術館へ売却される寸前であった。しかし、この直前に神戸市在住の所蔵者が赤穂大石神社宮司であった飯尾精氏(現名誉宮司)へ申し入れをし、同社の宝物となったのである。この行方不明の間に持筒頭進藤大右衛門組の部分が切り取られているが、これは別途に赤穂大石神社に奉納されている。「赤穂城請取行列衣装之書」を見ると切り取られた進藤の組は巻一に当たる。
本史料は「赤穂城請取行列衣装之書」と対になっており、同じ箱に保管されている。
巻数 | 題 箋 | 法 量(縦×長さ) | 行 列(冒頭) | 備 考 |
---|---|---|---|---|
1 | 赤穂城請行列図 一 | 27.9p×1418p | 先手家老 脇坂玄蕃 | 別に断片あり(持筒頭進藤大右衛門、長さ90p) |
2 | 赤穂城請行列図 二 | 27.9p×1568p | 鉄炮頭 武久新兵衛 | − |
3 | 赤穂城請行列図 三 | 27.8p×1213.3p | 軍使 佐野勘七 | − |
4 | 赤穂城請行列図 四 | 27.4p×1383p | 軍使 三宅勝助 | − |
5 | 赤穂城請行列図 五 | 28.0p×1075p | 軍使 大藤長左衛門 | − |
6 | 赤穂城請行列図 六 | 28.0p×1160p | 徒目付 | 収城使脇坂安照はこの巻に「馬」とのみ記されている |
7 | 赤穂城請行列図 七 | 28.0p×1325p | 年寄役 角田喜兵衛 | − |
8 | 赤穂城請行列図 八 | 28.0p×1456p | 近習 宮村次郎兵衛 | − |
9 | 赤穂城請行列図 九 | 27.8p×1503p | 押家老 脇坂民部 | 巻末に脇坂家軍船が描かれている |
また、本史料のうち赤穂城請取に総押として従軍し、同城在番を勤めた脇坂家家老脇坂(田付)民部景英の隊の部分を模写した「赤穂城御請取行列之内書抜」(天明4年、龍野藩御抱絵師内外松意筆)が残されている。
【所蔵者】原本→兵庫県赤穂市 大石神社、脇坂景英隊の模写は龍野市立歴史文化資料館。
[閲覧]@原本→同社宝物殿にて展示、模写は未確認。
【掲載本】一部が赤穂事件関係の文献に掲載されているが、全体の掲載及び解説したものはない。
【参考文献】大石神社編『大石神社と赤穂城』(昭和60年、大石神社)、飯尾精編『赤穂城請取文書』(平成5年、新人物往来社)、龍野市立歴史文化資料館編『赤穂城請取りと龍野』(図録、2000年)、赤穂市立歴史博物館編『検証 赤穂事件 パート1』(図録、2001年)。
(066/2002/2/7)