市野賢治
で、話は2週間ほど前にさかのぼるわけ。
休み時間、あたしが本読んでたら、きみちゃんたちが来た。・・・何? あたしだって本くらい読むわよ。
「ね、めぐ、ちょーっと頼まれてくれないかな?」
本から視線を上げると、引きつった笑顔できみちゃんが言った。なんかやな予感。
「ほら、あと半月くらいでバレンタインデーじゃない? なにか企画しようって気、ないかな?」
あ、なるほど。見ればカップルの片割ればっかり。
「バレンタインデー、ねえ。単にチョコあげるだけじゃ不満?」
しおりを挟んで本を閉じると、きみちゃんたちに体を向ける。
「んー、ってゆーかあ、どうせやるならクラスみんなでやりたいな、って思って」
美樹ちゃんが言う。ん、そういうことなら乗りましょう。
「でも、美樹ちゃんたちは相手がいるからいいけどさ、あたしみたいな独りものって空しいだけなんだよね」
そう言うと、悦ちゃんが突っ込んだ。
「あれ? 譲くんと付き合ってるんじゃなかったの?」
「ゆ、譲くん? いやあ、別に数学の一件以来特に何もないよ?」
あうー、なんだって口ごもるんだ。
「ま、そういうことにしといてあげるけど、さ」
「なにが『してあげる』よぉ。事実なんだからしょうがないじゃない」
・・・言ってて空しいけど。
「で・・・どうしようかな? とりあえず家庭科の本多先生にでも、相談してみる?」
ということで、家庭科室に向かうことになったわけ。
家庭科室は特別教室棟の3階。あたしたちの教室も3階だから、渡り廊下ですぐ。しかも本多先生は若くて気さくで何でも相談にのってくれる。
「・・・で、ひとりもののわたしに相談にくるとはいい度胸してるわね」
そう言いながらも笑顔で準備室に入れてくれる。
「そうね、チョコ作るときには男女別にするくらいはしてあげるわよ。ちょうどC組って13日に家庭科あるから」
教務手帳を見ながら本多先生がそう言ってくれる。
「まあ、恵美さんが何かやりたいっていうなら話は別だけど」
ちょっと、本多先生までそういうこと言うわけ?
「そんな風に見えます?」
「聞いたわよ。田嶋先生の件」
ありゃ。あの先生のことだから自分からは言わないはずだし、とすればどこから漏れたんだ?
「気持ち分かるわ。わたしもあの先生には苦労させられたクチだし」
と、みんなで顔を見合わせる。
「・・・って、本多先生ってうちの卒業生でしたか?」
「いいえ、別の高校だけど、わたしが生徒のときに田嶋先生がうちの学校で教えてたの。それで」
なんだ、別の学校でもおんなじだったのか。ま、あの性格が変わるとも思えないけどさ。
「それはいいとして、なにか企画はあるの? 恵美さん」
「特に何も。・・・独りものには酷な時期ですよね、本多先生」
ため息交じりに言う。
「わたしにふるわけ? その話題。・・・そっか、恵美さん以外は彼氏持ちか」
げ、きみちゃんたちがつきあってるってのまで知ってるのか、本多先生。
「何か当て馬みたいなかんじでいやだよね、恵美さん」
ちょっとすねたような表情で言う。この辺のノリがいいから、あたしたち生徒に好かれる、と思う。
結局手作りチョコを家庭科の時間にやるってことくらいしか、その日は決まらなかった。
で、例の一週間前。
男女共習でキャベツの千切り実習が終わるころになって、本多先生が三角巾を取りながら言った。
「来週の時間だけど、男子は図書館で自習。女子はあとで指示するから、準備を怠らないように。いいわね」
エプロン姿のさまにならない男子たちが、女子に理由を聞こうとする。と、
「来週は13日。次の日は14日。わかるね? 男子は理由を聞かずに静かに自習のこと」
意味深に言う本多先生の真意が飲み込めた男子は深々とうなずくとおとなしくなる。そうでない人もいたけどさ。・・・君のことだよ。君の。
チャイムと同時に購買や学食に駆け出す男子を見送って、女子が集まる。
「ブロックのチョコはこっちで一括して注文しておくから、必要量を今週中にまとめてわたしまで。コーンフレークとかパウンドケーキとかは各自用意すること。1時間で作って、次の時間はラッピングだから、手際良く。ね」
「はいっ!」
・・・なにか異様に気合いの入っているのが何人か。見れば彼氏持ち。・・・かーさんまで目が真剣だよ。これはひょっとして・・・
「じゃ、作るのは型にいれて固めるのと、チョコケーキと、ブラウニーだね。ブラウニーは時間かかるから、ラッピングは自分でやる、いい?」
本多先生の声にまたまたいい返事が飛ぶ。
「それでは、不肖わたくしが音頭を取らせていただきます」
ちょおっと待て! それはあたしのせりふだ! そう思って本多先生を見ると、あたしを見て笑ってる。誰だバラしたのは。
「レディー、ゴー!」
「おー!」
Ladyにひっかけて言った、というのはあとからかーさんに聞いてわかった。
さて、問題の昨日。
2時間目が終わると同時に、女子の半数がダッシュで家庭科室に向かう。取り残されたあたしを含め何人かが、ばつ悪そうに出て行く。君が笑ってたの、見てたんだからね。
家庭科室に入ると、すでに湯気がもうもうと立ちこめている。本多先生があらかじめ湯煎しておいてくれたのだ。
「おー、来たな娘ども。まだ休み時間だっていうのに」
目が笑ったままで本多先生が言う。
「よーし、ブラウニー班は窓際、ケーキは真ん中、型入れは廊下、各自準備!」
はやいなあ。みんなしっかり準備終わってる。
「さて、ブラウニー班はこれだけね。なんだ、ほとんど彼氏持ちか」
あたしの顔見ながら言わないで欲しかったな。
「湯煎のチョコにはバター入ってるから、泡立てでつやが出るまで混ぜる。その間別の班見てくるから」
そう言って本多先生は去って行った。
「ね、慎二くんのどこが気に入った?」
それぞれに渡されたボウルに泡立て器を突っ込んで、きみちゃんに聞く。
「んー、彼って見た目よりすっごくしっかりしてるの。それに外見通り優しいし」
う。聞いたのが間違いだったかな。一人に聞いたら他の人にも聞かないと気まずい。
「じゃ、美樹ちゃんは?」
「えっとぉ、やっぱりスポーツマンの彼ってあこがれだったのよね。わたしもスポーツ好きだし。で、体育祭の時に・・・きゃっ」
真っ赤になるなぁ。
「話はいいけど、つや出たの?」
よかった。本多先生が帰ってきた。
「まったく、のろけるのもほどほどに・・・おっ、さすがかすみさん、上手ね」
かーさんのボウルをのぞきこんで本多先生が言う。と、
「おや意外。恵美さんいいじゃない。卵とバニラの方にかかっていいわよ。あ、砂糖は分けてあるから」
意外って、なんかちょっとくやしいな。
「あらごめん。誉め言葉と受け取って」
また表情に出たのかな。
とろけたチョコの入ったボウルにラップをかけておいて、卵とバニラの入った別のボウルを取る。これもお湯につけて温めつつ、かーさんと向かい合ってハンドミキサーでぐるぐるとかき混ぜる。
「めぐちゃん、もう少しあっためないと砂糖溶けないよ」
「あ、ありがと。・・・ところで、かーさん誰にあげるの?」
と、急にかーさんは声を小さくして言う。
「実は告白まだなの。これで一発勝負かけようと思って」
「かーさんの腕なら大丈夫だって。ところで誰?」
つられてひそひそ声になって聞く。
「・・・梶原くん・・・」
瞬!? ま、まあ蓼食う虫もなんとやら・・・
「あいつ性格悪いよ。中学校のときさんざんやられたもん」
「そう? でもわたしの作ったもの一番おいしそうに食べてくれるの、彼なの」
・・・すごい理由。
「めぐちゃんもおいしそうに食べてくれるよね。いつもありがと」
「だって、実際おいしいんだもん、かーさんの作ったのって。他の男子だってみんなそう言ってるよ」
「そうよねえ。かすみちゃんみたいに料理うまくなりたいなぁ」
追い付いてきた美春ちゃんが言う。
「あ、わたしそろそろ終わるから、このハンドミキサー使って」
かーさんから渡されたハンドミキサーと格闘する美春ちゃん。
「ぶきっちょなのに、我ながらよくやると思うのよ、私」
・・・コメント不能。体育祭のバイキング昼食で最後まで手を焼いたのが美春ちゃん。夜中に卵買い出しに行かされたの、覚えてるぞ。
「でも、やっぱり手作りって響き、大切にしたいのよね」
「はいはい。智幸くんは幸せよね」
「あっ、めぐ冷たいなぁ。応援してくんないの?」
「あんだけあつあつのカップル、応援の必要なんてないと思う」
学校の行きも帰りも、休日だって一人でいるとこ見たことないぞ。
ようやく追い付いた美樹ちゃんにあたしのハンドミキサーを手渡して、室温で冷ます。今のうちに他のとこのぞいてみよ。
チョコケーキ班は・・・あ、ここもかき混ぜ中だ。
「めぐ、もうリタイヤ?」
悦ちゃんが言う。
「ちょっとお休み。冷まさなきゃなんないの。悦ちゃんだって、手がおろそかだよん」
「いやあ、これがなかなかとろーんとしてくんないんだよね」
ま、泡立て器の回転が鈍いのを見ればうなづける。力入れすぎだってば。
型入れ班は・・・なんというかほとんど泥んこ遊びの感覚。一番歓声があがってる。大理石の上で星型だの月型だのの枠に流し込んでは、漏れたりあふれたりでまた歓声。本多先生も手を焼いているみたい。ま、メンバー見ればほとんど売れ残りの面々だから仕方ないか・・・自分はどうなんだって声が聞こえそうだけど。
寂しくなって戻る。
「あ、来た来た。さ、小麦粉とベーキングパウダーふるうから、手伝って」
かーさんが待ってた。ボウルのラップをはがしてチョコと卵バニラを混ぜ、かーさんがふるってくれた粉を軽く混ぜて交代。ふるいをもう一度繰り返して、あとはひたすらかき混ぜる。
「・・・ね、めぐちゃん、譲くんとはどうなの?」
言われて、抱えたボウルを落としかけた。
「きみちゃんからも言われたよ、それ。・・・つきあってるように見える?」
ちょっと首を傾げて、かーさんが言う。
「めぐちゃん見てるとね、最初は『男なんてっ』って片意地張ってるんだと思ってたんだけど、だれにも、それこそ男子にも絶対にひいきというか分け隔てしないってこと、わかったの」
「それで?」
「それがさ、最近なんだか譲くんと一緒というか、話してることが多いな、って思ったから。それで」
そんな自覚ないんだけどな。
「ま、確かに他の男子よりわりと話が合うし、何といってもクラス委員長でしょ? 何か企画立てるとどうしても彼との話し合いが増えるのよね」
なんか言い訳がましいな。
「そろそろいいんじゃない? 中に入れるの、何持って来た?」
ボウルをおいて袋からいろいろ取り出す。
「かーさんは?」
「んと、クルミとレーズン。あと、固めのクッキーも持って来たよ」
ちゃんと大まかに砕いてあるところが準備いい。
「あたしもクルミ。レーズンはあたしあんまり好きじゃないからパス。で、ナッツのミックス砕いたの持ってきた」
「それだと甘みが薄いんじゃないかな、ブラウニーにしては」
「いいのいいの。甘いのあんまり得意じゃないから」
かーさんが何か不審の目で見る。
「さっ、ちゃっちゃと混ぜて焼いちゃおう」
ゴムべらでさくっと混ぜて、型に流し込む。平らにならしたところで本多先生が来た。
「あら早いわね。準備いいなら、早めに焼いちゃう?」
あたしとかーさんに向かって言う。
「はい。お願いします」
巨大なオーブンに二人して突っ込む。先生が扉を閉める。
「何か、お祈りする?」
意味深に笑って言う。と、かーさんが両手を組んで額にあてた。なにか小さくつぶやいて立ち上がる。
「めぐちゃんは? これやっておくと気持ち落ち着くわよ」
なんか半信半疑でおんなじ格好をしてみる。・・・何言えばいいんだろう。
「上手に焼けるように、とか、彼のこと思ってればいいの」
かーさんから助け船が出た。
「じゃ、焼くわね。その間、他の人たちの手伝ってあげて」
ダイヤルを回して本多先生が言う。じゃ、と思って歩き出すと、二人とも美春ちゃんの方に足が向いていた。顔を見合わせて苦笑しつつうなずく。
というわけで、これがそのブラウニー。どだ? おいしそうでしょ。
甘いの苦手だっていうから、ケーキ班じゃなくてブラウニーに回ったんだぞ。クッキーも入れなかったし。
で、その・・・譲くん、あのね・・・
目次へ戻る
あとがきを読む