上田城跡公園(2013.04.11) |
ちょっと肌寒い日でしたが、長野新幹線に乗って、信州の桜の名所、上田城跡の桜を見に行きました。上田城は1583年、真田昌幸が築城した平城です。現在は二の丸、本丸の跡が公園になっていて、国の指定史跡です。 |
上田駅から上田城跡公園に行く途中に上田藩主屋敷跡地があります。跡地は現在は県立上田高校になっています。桜の向こうが表門、両脇に土塀が続いています。 |
堀も残っていて、表門、土塀、堀とも上田市の文化財に指定されています。 |
桜のある学校は全国にたくさんありますが、上田高校の桜は一際美しく、卒業生の方々には忘れられない桜になっていることと思います。 |
二の丸橋を渡ると上田城跡公園になります。 |
二の丸橋の下は、今は、水はありませんが二の丸堀です。この堀跡を昭和3年から昭和47年まで上田温電北東線が走っていたそうです。 |
二の丸橋石垣の桜。 |
本丸跡をめぐる堀の両側には、もう大分散っていましたが、しだれ桜や満開のソメイヨシノが植えられています。 |
桜の向こうに見えるのは、南櫓、手前が北櫓。徳川氏が二度も攻めあぐねたのは、真田氏の戦略もさることながら、地形や堅牢な城の構造もあったようです。 |
戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露、太平洋戦争で命を落とした人を祭っている 上田招魂社。ここに植えられている桜は、ヨウコウという品種の鮮やかなピンクの桜です。ヨウコウは、戦場に散った人を悼む思いを込めて高岡正明氏が作ったサトザクラで、天城吉野(アマギヨシノ)と沖縄に多い寒緋桜(カンヒザクラ)との交配種です。 |
右は上田城櫓門。内部を見学できます。赤い旗のしるしは武門の誉れ高い真田家の家紋の六連銭、六文銭ともとも呼ばれます。死者が三途の川を渡る時、渡し守に払う渡り賃だそうで、いつでも死ぬ覚悟があることを示したものと言われています。 |
本丸跡の石碑。上田城は、真田氏→仙石氏→松平氏と城主が変わりました。明治になって全国の城が民間に払い下げられた時、本丸が変貌するのを恐れた材木・生糸商人の丸山平八郎が本丸付近を一括して買い取りました。後世に残すために市民のための公園にしたのち、真田神社に寄贈され、神社が管理していました。その後、大正期に神社から上田市に無償寄付され、現在にいたっているそうです。 |
南櫓は断崖の上に築かれています。中段の石垣は、長雨で一部崩壊したため、修復していますが、崖が張り出している部分は元々、石垣がなかったので原型通りに修復してあるのだそうです。今にも崩れてきそうに見えますが、モルタルで固めてあります。この場所にはしだれ桜がたくさん植えてあります。 |
この手前は駐車場になっています。駐車場付近は最近整備されたようで、しだれ桜もソメイヨシノも皆若い木でしたが、たくさんの日を浴びて元気に育っているようです。 |