『秘密の親友 秘密の……』 試し読み

 晦日市東晦日三丁目には、和菓子屋が二軒並んでる。
 片や鼓月。江戸時代から続く老舗で、茶事、会席に使われる、高級和菓子を主に取り扱ってる。
 店の作りは澄ましたもので、格子に磨り硝子を組み合わせた引き戸は、年中しっかり閉ざされている。ガラス越しにうっすら見える店内は、隅を和風庭園風にしつらえていて玉砂利を敷き詰め、そこにこしらえた小さな池に、金魚まで泳がせる凝りようだ。
 店は広く、商品台は奥まったところに置かれていて、肝心の商品も、外からだとよくよく目を凝らさないと見えない。ガラスケースの中に、いかにもお上品そうな生菓子を、ぽつりぽつりと並べてる。
「あんなにお高く止まった造りで、客に度胸試しさせてどーすんだよ」っていうのが、うちの店での一致した意見。
 俺。神谷颯太んちの店は、その隣にある神楽屋の方。
 こっちも江戸時代から続いてる、立派な老舗の和菓子屋だ。ただし隣の鼓月と違って、歴史も伝統も笠に着ない、庶民の味方。
 路面ぎりぎりに、ずずいっと陳列ケースを押し出して、年中置いてる串団子とぼたもちをずらり。もちろんそれらだけじゃなく、春は桜もち。夏は水ようかん。秋の月見団子に、冬は歳暮のお使い物から正月の餅にいたるまで、季節の変化も忘れずに。お値段の方でも、気軽に食べてもらえる価格設定で、町の皆さんに愛されるよう努めている。
 こんな感じで、同じ和菓子屋といっても、うちの神楽屋と隣の鼓月じゃ正反対。
 この辺りは、江戸時代に藩の政策だとかで、和菓子職人が集められた町だった。だがそれも時代の流れと共に、店も職人も激減してしまった。なのに何の因果か、よりにもよってこうして隣り合った二軒の店だけが、きっちり生き残ってしまったのだ。
 店構えも客層も全く違うからか、今んところはお互い食い合うこともなく、それなりにやってはいるけれど、やっぱ昔からの因縁はあるらしい。
 物心着いた時から、俺はこう言い含められて育ってきた。
「隣の鼓月んちの子とは、遊ぶんじゃないぞ」と。
 それは俺だけじゃなく、三つ年上の涼彦兄ちゃんもだ。そして隣の香月兄妹も、やっぱり鼓月の店主をやってる親父さんから、そう言われて育ったらしい。なにしろ俺と同い年の香月迅とは、幼稚園から同じ園。同じ小学校に通っていたのに、ろくに口をきいたこともなかったのだから。


 月曜日の朝。俺はいつもと同じ時間に家を出る。朝の八時をちょっとすぎたとこ。向かうは歩いて十分のところにある、県立青雲高校。
 俺が出るのとほぼ同時に、隣の鼓月から香月迅も出てくる。同じ学校に通っているので、登校時間も同じというわけ。お互いずらす気は全くなし。
 あいつは俺と同い年なのに、妙に大人びた感じがする。俺より後まで成長期が続いたものだから、俺より十三センチ背が高い。そこにいささかの思うところがないわけではないのだが、俺だってまだ完全に成長期が終わってはないはずだ。現在、一六九.五センチ。最低でもあと五ミリは伸びてもらわないと困る。
 それはともかく、香月迅に続いて、あいつの妹で小学五年生の舞ちゃんが出てくる。もうランドセルは卒業していて、手提げカバンを手にしながら、元気な声で兄貴の迅に「行ってきまーす」と挨拶して──たとえ目が合っても、俺には絶対言わない──それぞれの耳の下で結んだ髪を跳ねさせながら駆けていく。そんな可愛い妹を見送り、あいつもまた学校に向かって歩き出す。
 さっきも説明したけれど、俺と迅は同じ学校に通っている。だから自然と俺たちは、並んで歩くことになる。ただし、道の両端に離れて。もちろんお互い挨拶はしない。言葉も交わさず、目も合わさない。二人して前だけを見て、ただ黙々と歩いていく。
 歩きながら、俺は思う。
 いったいどういう経緯があったのかは知らないが、せっかくのお隣さんなんだから、もうちょっと仲良くしてもいいんじゃないんだろうかと。
 どんな因縁があるのやら。それとも単に、商売敵が隣同士で生き残ってしまったが故の必然なのか。
 そんなことをつらつら思いながら、俺は前を向いたまま、時々目だけを迅に向ける。
 あいつの視線は微動だにせず、真っ直ぐ前を向いている。視線が変わるのは、行き交う人の中に近所の人や学校の友達、先輩後輩といった知り合いを見つけ、挨拶するときぐらいのものだ。つくづく、落ち着いた奴だと思う。なんつーか、ちと若さが足りないんじゃないか?なんてことさえ思う。
 通った鼻筋とキリリと引き締まった口元は、いわゆる男前の部類に入るのだろう。襟足のところですっきりと短く切られた黒髪といい、真っ直ぐな眼差しといい、青雲高校の若侍の名に恥じない佇まいだ。
 ちなみにあいつを青雲高の若侍と名づけたのは、尻に教育がつく方の国営放送アナウンサーだ。今年の夏に開催された全国剣道大会決勝戦で、迅はそう呼ばれていた。以来あいつは、若侍とあだ名されている。それを本人は照れるわけでも自慢するわけでもなく、さらりと流しているのだから、これまたちと憎ったらしい。
 どうせうちの空手部は、県大会の準決勝で敗退しちまいましたよ。しかも準々決勝を勝ち抜いたその日、次の準決勝にも気合いを入れるぞと組み手をやって、すっ転んで足をくじいた俺のせいでなんだから……くそっ。思い出すと、今でも頭を掻きむしりたくなる。先輩も部のみんなも、不可抗力だと慰めてはくれたけど、それで今年の大会が戻ってくるわけでもなし。
 あーあ。いやなこと、思い出しちまったなぁ。
 ともあれ、たぬき顔だの犬っころみたいだと、部の先輩たちにしょっちゅうからかわれている俺とは、容姿も佇まいもずいぶんな違いだ。
 なんてことを考えながら、てくてく歩いていると、そのうち学校も近くなる。それにつれて、周りを歩く人の数も増えてくる。
 十月に入ってすぐにあった衣替えのせいで、俺も含め、周りの男どもは誰もが学生服姿だ。入学してすぐ合い服に替わった一年生の、まだ新しいの。一年二年とたって、貫禄が増したてかりのあるの。
 二年生であるにもかかわらず、迅の学生服にはそれがない。本人だかお袋さんだかが、きっちり手入れしているのだろう。
 同じ二年生だけど、俺の学生服にもてかりはない。今年の二月、雨に濡れてストーブで乾かしてたとき、袖のところを焼いてしまった。おかげでまた新しいのを買ってもらったのだけど、母さんにはさんざ文句を言われてしまった。
 黒ずくめの学生服や、濃紺の生地が厚くて重たそうなセーラー服の中に混じって、俺と迅は校門をくぐる。
 校庭の端をこれまたてくてくてくてく歩き、校舎に辿り着く。生徒用の入り口から中に入り、靴箱に入れた上履きを取り、そこでいつもの癖が出る。後ろを振り返り、校舎の外に視線をやる。
 ここまで来ると、外は見えない。裏を返せば、外部の目も、もう届かないってことだ。
 ここは学校という、隔絶された世界の中。俺にとっては、セーフティゾーン。
 上履きに履き替えた俺は、脱いだスニーカーを靴箱にポイと放り込み、こちらを振り返って立っていた迅の腕に、迷うことなく飛びついた。
「おっはようっ。迅っA」
「ああ。おはよう」
 両腕でもってしがみついた俺を、香月迅は今日もしっかり受け止めてくれた。


※ 本作品の内容は、全てフィクションです。
実在の人物、団体、場所と同じ名称のものがあったとしても、一切関係ありません。