『メタモルフォセス館 ── 渇望せし者 ──  試し読み

 浮遊感で、目が覚めた。
 あれほど強く俺を苦しめていた刺激は、今は全く感じない。ただ身体が、ひどく重たいだけだ。
「気がついたか」
 目は開けていたはずなのに、周りが全く見えてなかった。ぼんやりした頭のまま、声のした方を見る。
 すぐそばに、シンの顔があった。濃い色のサングラス越しに、うっすらとだけど俺を見つめる目が見える。
 作り物みたいに濃い青の瞳が隠れているせいか、その目はなぜか優しそうな感じがする。
「……シン?」
 シンの姿を見つけた途端、俺は手足を動かそうとしていた。弱々しくもがいて、少しでもシンから離れようとする。だけど俺の胸元にあった奴の手に力が入って、逃れることはできなかった。
 そのときやっと、俺は気づいた。
 俺は、シンに抱き上げられていたんだ。
 横抱きにされた身体は、宙に浮かんでいた。上手くもがけなかったのはそのせいで、身体を支えるものがなかったから。
 ……違う。それだけじゃない。俺の身体は、全く力が入らなくて、動かそうとしてもそれが自分のじゃないみたいに、腕も脚も上手く動かなかったんだ。
「なんだよ。俺……どうしたんだよ……」
 問いかけた声も、かすれて弱々しいものだった。がさがさしたその声は、まるで自分のじゃないみたいだ。
「気を失ったんだ。今朝の……四時頃だったか。マクシミリアンにバイブを入れさせてから、六時間だ。それまでにも、何度か失神していたようだが、完全に気を失ったのはその時間だったな」
 失神。バイブ。単語の一つ一つが、頭の中を素通りしていく。
 でも、俺は覚えていた。薄ぼんやりとしていた記憶が、シンの言葉をきっかけにみるみる鮮やかになっていく。
 そうだ。俺は昨夜、マクシミリアンの奴に尻にバイブを入れられた。身体の中で蠢くそれにさんざ狂わされ、悲鳴を上げてのたうった。
 俺の中に、もうそれはない。それが入っていたところは、ぽっかりと虚ろになったみたいで、ほとんど感覚をなくしている。
「っ……シン。離せよ……」
 抱き上げて、運ばれている。それがいやで、俺はなんとかシンの腕から逃れようとする。
 やっぱり脚は動かない。手は、かろうじて動いたけれど、腕を高く上げることさえできやしない。そして脚は、ぴくりとも動いてなかった。腰から下が、全く麻痺してしまったみたいだ。
「下ろせってば……」
「それで立てるのか?」
 足を止めたシンが言う。間近に顔を覗き込まれて、俺は息を飲みそうになった。
 立てるはずがない。立つどころか、脚をろくに動かすこともできないのに。
「っ……こんな……俺に触ったりしてたら、汚れるぞ」
「気を遣ってくれるのか?」
「誰が」
 鼻先で笑われて、俺はぷいとそっぽを向いた。本当は、もっと強烈な嫌みを言ってやりたいのに、これじゃ嫌みにもなっていない。
「ほっといてくれ。俺なんか……こんなべたべたで……」
 言ってるうちに、涙が出そうになる。鎖で繋がって手枷と足枷の他は、なにひとつ身につけていない。裸よりもみっともない格好だ。その上身体中が乾きかけた精液でどろどろになっていて、据えたにおいに自分でも吐き気がしそうだ。
 なのにシンは平然としている。べとべとになった俺の身体を気にする素振りも見せず、平然とまた歩き出している。
 扉の開く音が聞こえた。ひるとマクシミリアンがバスルームのそばで扉を開けて待っている。
 俺を抱き上げたまま、シンは扉をくぐりぬける。
「なにするんだよ?」
「バスルームですることは、決まっている」
 俺の身体をバスタブの中に落とし、心はシャワーのコックを捻った。最初から熱い湯が吹き出して、俺の膝にかけられる。
「下を向け」
 言いながら頭を押されて、俺は俯いた。反射的に押し返そうとしたけれど、それより早く湯がかけられた。熱い湯は肌に心地よく、思わず目を細めてしまう。
 なんだよ。これ……なんだこいつが、俺の身体を洗ってくれるんだよ。
 汚いから洗いたくなるのはわかるけど、だったらほっといてくれ。これくらい、俺は自分でできる。
 バスタブの中で身を捩り、シンの手からシャワーのヘッドを取ろうとした。
 だけどやっぱり、手も上がらない。
「動くな。湯がはねる」
「いいから……ほっといてくれ」
 こんな奴の世話になんかなりたくない。その思いだけで、俺はシンを振りほどこうとする。
 押しやろうとした手を掴まれた。そのまま下ろさされ、どんどん身体を洗われていく。あんなにべとべとだった汚れも、湯の勢いに流れ落ちていく。
「立つことすらできないくせに、これで自分を洗えるのか?」
「でも……」


※ 本作品の内容は、全てフィクションです。
■ 実在の人物、団体、場所と同じ名称のものがあったとしても、一切関係ありません。
■ また、本作品は犯罪を助長する意図のものではありません。