『メタモルフォセス館 ── 贖罪 ──  試し読み

 スピーカー越しに、西野の声が聞こえてくる。
「今日の話を聞いた。永人。お前は共にさらわれた少年から、逃げ出そうと持ちかけられた。だがお前は、それをいやだと言ったそうだな」
「はい……」
 神宮の声は、震えていた。思わずそちらに目をやると、顔の半分をマスクに覆い隠されているけれど、頬が赤く染まり、口端が微かに上がっているのがわかる。
 震えているのは、声だけじゃない。あいつは全身を小刻みに震わせていた。それと同時に、だらりと垂れていた奴自身が、わずかに膨らみ勃ち上がりかけている。
 神宮は、悦んでいるんだ。
 西野もそれに気づいているのだろう。じっと神宮の顔を見つめ、指の腹で優しく頬を撫でながら頬を紅潮させ、今にも笑い出しそうな顔をしている。
 一つ二つ、大きく息を吸い込んで、ようやく西野は言葉を続けた。
「永人。今日、お前を連れ帰る」
 スピーカー越しにでも、神宮が息を呑んだのが聞こえた。小刻みだった震えが、全身を包み込む激しいものに変わっていく。
「待って、いました。ずっと、このときを……」
 感極まった声で言い、奴は倒れ込むようにして、西野の足元に座り込んだ。
 膝で這いずり探りながら、男の脚に辿り着く。震えながらすがりつく神宮の頬に、マスクから漏れた涙が溢れ出る。
 信じられねぇ。これがあの神宮か? プライドが高く、善人ぶっていたクセに、本心では誰にも頭を下げようとしなかったあいつなのか?
「あ、あ……ありが……ありがとうござ……うっ……うぅっ」
 裸同然の身体をくねらせ、神宮は男の脚に身を擦りつけていた。後ろ手の拘束がなかったら、あいつはきっと両腕で男の脚にしがみついていただろう。
 ありがとうございますと言おうとしてるけど、そのたびに涙に邪魔されて言えてない。だからか神宮は、何度も何度も同じ台詞を繰り返す。最後まで言い切ることのできない、感謝の言葉を。
 西野は満足しきっているようだった。自分の足元でしゃくり上げている神宮の頭をずっと撫で続けている。その表情は、最初見たとき奴に感じた、優しげなものなんかじゃない。満たされた支配心と欲望が入り混じった、悪魔のようなものだ。
 西野の手が、不意に離れた。その指は神宮のマスクにかかり、留め金がついている耳の横を探り出す。
 金具の音が、聞こえた気がした。神宮の顔から、マスクが外れる。涙に濡れて大きく見開かれていた目が、すぐさまきつく閉ざされ、あいつは顔をうつむける。
「照明を落としてくれ」
 西野の声を合図に、部屋の中が暗くなる。多分どこかにいるマクシミリアンが、照明を操作したんだろう。
 ようやく人の顔かたちがわかる程度まで暗くなった部屋の中、西野は身を縮こまらせる神宮の肩に手を置く。
「顔を上げるんだ。そして、僕を見ろ」
 この館につれてこられてからずっと、目隠しのマスクを着けられていたという神宮は、ほんの少しの光でも眩しくて仕方ないだろう。顔を歪ませながら、それでも西野の言葉に従おうとする。声がした方に顔を向け、ぼんやりとした目を向ける。
「……西野……さん?」
 西野は笑っている。神宮に名を呼ばれたのが、嬉しくてたまらないというように。神宮に向けられる笑顔には、欲らしきものも見え隠れしているが、あの優しげなそれで覆い隠されている。
 これは取り繕ったものなのか? 自分が支配する奴隷相手に? それとも相手が神宮だから。馬鹿高い金を払ってでも手に入れたいと望んだ奴に向けるものだから、西野は自然と優しい笑みになっているのだろうか。
 真っ直ぐに神宮を見下ろし、西野は小さく頷いた。涙で頬を濡らしたまま、神宮の顔にも笑みが浮かぶ。
「あなただったのですか。あなたが、僕のご主人様……」
 笑いながら、泣いていた。神宮の頬を、新たに流れた涙が伝い落ちる。その頬を両手で包み込みながら、西野が顔を寄せていく。
 でも、キスはしなかった。奴はすぐに手を離し、ソファの上に座り直す。その前で跪いた神宮は、期待に満ちた顔をして、奴をじっと見上げている。
「永人。お前の正式な主人として、最初の命令だ。持てる手段を全て駆使して、僕に奉仕しろ」
「はいっ……」
 すぐさま神宮は膝で這い、西野のそばへとにじり寄った。


※ 本作品の内容は、全てフィクションです。
■ 実在の人物、団体、場所と同じ名称のものがあったとしても、一切関係ありません。
■ また、本作品は犯罪を助長する意図のものではありません。