『メタモルフォセス館 ── 零れた想い ──  試し読み

「奴隷に主人を選ぶ権利などありません」
 言ってることは理解できるけど、売られる側の俺としては、はいそうですかと納得する気になんかなれない。でも、と反論しかけたところで、俺は言葉を遮られた。
「しゃべりすぎると生意気な奴隷とみなされ、そういう少年を力ずくで屈服させたがるような男に目をつけられますよ」
 それもいやだ。
「翔。緊張しすぎです。少し落ちつきなさい」
 緊張しすぎ? 俺が? 自覚はなかったけれど、そうかもしれない。話しすぎたか、いつの間にか顎が痛い。
「で、でもよ、やっぱ気になることとかいろいろあるし……」
 おしゃべりが止まらない。この無愛想な男が相手でも、なにかしゃべらずにはいられない。やっばり俺は、ひどく緊張しているのだろう。
「彼らの日本語のことですか?」
「ああ……」
「彼らは皆、教養のある方々です。それに日本語を使用することで、日本語しか話せないという君を買うことへの、アピールができる」
「俺?」
「そうです。旦那様のご配慮です」
 ご配慮ときたものだ。それは売り手として、客への配慮なんだろうが、こいつの口ぶりだと、まるで売られる俺に配慮しているようにも聞こえる。
 そんなこと、あるはずないのに。
 思いが顔に出たのだろうか。俺の顔を、無言で見つめていたマクシミリアンが近づいてくる。俺の背後に回り、ジャケットの襟を直しながら話しかけてくる。
「いいですか? 鷹尾翔。君は、旦那様が躾る奴隷です。少年奴隷を欲しがる者ならば、誰もが手に入れたいと願う、シン・ソールズベリの奴隷です。君が彼らに望まれるのは、当然のことなのです」
 耳元で聞こえるマクシミリアンの言葉は、いつもどおり、淡々としたものだった。晴れた空は青く、夜になれば暗くなる。そんな当たり前のことを話して聞かせるかのように。
 その言葉の一つ一つが、俺の胸に落ちてくる。
「彼らの話を聞いていて、その素性は推察できたのではありませんか?」
「あ、ああ……。なんか、俳優みたいなのもいたし、撮影で足止め食らって来られないのも俳優だよな? あと、あの金髪の王子様みたいなの……」
「正真正銘の王子です」
 俺は再び息をのんだ。施設で小さい女の子にせがまれて、シンデレラだの白雪姫だの、古い絵本を読んでやったこともあるけれど、サーモンの男はそこに描かれてる王子様そのものだった。それがマジもんだったとは。
 じわじわと、胸の中にくすぐったいような感じがしてきた。信じられねぇ。これが今から売り飛ばされる気持ちかよ?
 嬉しいみたいな、誇らしいみたいな。こんなの、絶対ありえねぇ。
 だけどこれは、現実なんだ。シン・ソールズベリが調教する奴隷ってのが、こんなにすごいことだったなんて。
「言ったはずです。旦那様の名声は、奴隷売買に関わる者の間では、比類なきものだと」
 俺の気持ちなんかお見通しだって感じで、マクシミリアンは言う。
「奴隷売買に関わらずとも、そういう世界があると知っている者なら、一度は耳にしているはずです」
 それはさすがにヤバくないか? 人をさらい、調教して、売り飛ばす。どれをとっても、犯罪行為のはずなのに、そこまで名前が知られてるってのは。
 それとも、シン・ソールズベリってのは偽名で、知られたところでどうってことはないのだろうか。
 ちらりとそんな思いがかすめたけれど、マクシミリアンに気にした様子はない。俺の両肩に手を置きながら、こいつは淡々と話すだけだ。
「ご自身の名声を高める。あの方は、そのため今までやってこられたのですから」
「自分の、名を高めるため……」
 思わず呟いていた。その事実と、それ以上に、マクシミリアンがここまでシンについて語るのが初めてだったのとで、俺はちょっと驚いたのだ。
 背後でマクシミリアンが息をのんだような気がした。音が聞こえたわけではなく、そんな気配すらない。
 ただ、俺にはそう感じられたのだ。
 恐る恐る振り返ったけど、マクシミリアンに表情はなかった。端正な顔を、いつもと同じ能面みたいな無表情で覆い、俺の肩から手を離した。
「そろそろ時間です。行きましょう」
 そして俺は、ステージに向かう。もと来た通路をたどり、奴隷少年のお披露目があった、大広間の方へつれて行かれる。
 だけど俺がつれられたのは、また別の場所だった。
 大広間の一階下のフロアにある、暗く雑然とした奈落の底に、俺はつれて行かれたのだ。


※ 本作品の内容は、全てフィクションです。
■ 実在の人物、団体、場所と同じ名称のものがあったとしても、一切関係ありません。
■ また、本作品は犯罪を助長する意図のものではありません。