『メタモルフォセス館 ── それぞれの惑い ──  試し読み

 一息吐きながら、ふたりきりなのをいいことに、俺は思いきって聞いてみた。
「なあ、さっきの話だけどよ」
「コッホか?」
「ああ。そのことで、さっきマクシミリアンがシンに言ったんだ。旦那様が自分の手で、コッホを殺したいんじゃないかって。シンとコッホって、知り合いなのかな?」
 剣は答えない。俺の質問を、考えているみたいだ。
「どうだろうな。俺はコッホという名を聞いたのは、今回が初めてだ。シン様とその殺し屋が知り合いというのは……」
 それでも否定しないのは、シンもまた調教師という、闇の世界で生きている者だからだろう。
「可能性はあるってか?」
「ゼロではないだろう。俺が知らないだけという可能性なら、十分ある。まあ、その話だと、知り合いなんて穏やかな間柄ではなさそうだがな」
 そうだな。殺したいなんて思うなら、恨みとか因縁とか、そういう暗くて強い関わりだ。
 シンとコッホの間の因縁。そんなのがあるのなら、オークション真っ最中の舞台の上で、シンがあんな無茶をしたのもわかる。
 なにしろあのときのシンは、コッホが残したかも知れないってだけの小さな薔薇を見た途端、ひどく動揺して、逃げるように去ったのだから。
「なにがあったんだろうな……」
 ぼそりと口にした俺の言葉に、剣は困った顔をする。
「おい。今のは俺の憶測だからな。証拠もないのに、そういうことを口にするな」
 証拠か。その言葉で、剣が昔刑事だったって話を、ちらりと思い出した。
 俺にとってはどうでもいいことだし、剣にとっても今では忘れたい過去だろうけど。
「でも、そう言われると、なんとなくしっくりくるんだよな」
 まだ引きずろうとする俺に、剣は文句言いたげな顔をする。とはいえさすがに剣も、シンの過去は気になるようだ。
「そんなに気になるなら、マクシミリアンに聞いたらどうだ? あの人なら、コッホのことも知っているだろうからな」
「マクシミリアン? 教えてくれるはずないだろ」
 あいつに聞くなんて、冗談じゃない。言った剣も、そりゃそうかって、苦笑している。
 そうでなくてもマクシミリアンは、俺をこの館から追い出したがっているみたいだ。あいつもシャムと同じで、コッホ狩りの成功を望んでいるとしか思えない。
 ここしばらくのマクシミリアンの態度を思い出し、いやな気持ちになってしまう。そんな俺の隣では、剣もマクシミリアンのことを考えてるみたいだ。
「でも、知ってるとしたら、マクシミリアンしかいないぞ。彼がこのメタモルフォセス館では、一番の古株だからな」
「みたいだな」
「俺が来たときには館にいたし、シャムは俺よりも後だ」
 珍しく、剣がいろいろ教えてくれる。それが俺には妙に嬉しい。
 いつかどこかへ売り飛ばされる少年奴隷じゃなくて、この館の一員として扱われているみたいだからか。
「ってことは、俺たちの中じゃ、マクシミリアンが一番シンのことを知ってるってわけか」
「そうなるな」
 俺たちって言葉にも、剣は気にした素振りは見せない。なんだかますます気分が乗ってくる。
「そっか……。マクシミリアンは、俺たちが知らないシンを知ってる。か……」
 口にしたら、ちょっとムカついた。
 俺はシンのなにを知ってる? シン・ソールズベリって名前と、奴隷調教師としてなにをしてるか。それだけだ。
 あとは黒髪で肌が白くて、宝石みたいに綺麗な青い瞳をしてるってことくらいだ。
 俺なんか、シンのことはほとんど知らないと言ってもいい。
 剣はどうだろう。シャムの奴は?
 やっぱりマクシミリアンが、一番シンに近い。
「剣は、シンをどう思う?」
「なんだ? いきなり……」
 ギョッとした顔をして、聞き返してくる。そんなことを聞こうとする俺を、気味悪がってるみたいにも見える。
「いいだろ? 知りたいんだよ。シンやマクシミリアンや、この館のことを」
「ってな……」
 剣が言い淀むのは、この俺にどこまで話していいものか、迷うからか?
 でも、俺は知りたい。少しでもこの館のことを知って、より深く館の中に入り込みたい。
「別に、秘密を教えろって言ってるわけじゃないから、いいだろ。剣がどう思ってるか。それを聞きたいだけだよ」


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