9月1日
だるさもここにきわまった感がある。それでも、トランクを片づけたり、洗濯物を洗って、大物を近くのコインランドリーに洗濯に持っていったりした。何をするにも、勇気を奮い起こし、体にねじを巻くようなそんな感じだ。
夕方、うつぶせに部屋の床に倒れてうつらうつらしていたら、八雲が背中に乗ってきた。背中が暖かくて気持ちよかったし、何だかうれしかったのでそのまま八雲の下敷きなって、一緒に寝ていたら、玉青ちゃんから電話があり、遊びに来たいという。私は八雲のベットになっているので起きられないから、勝手にカギを開けて入ってきてくれと言って電話を切った。玉青ちゃんは妹の知美ちゃんと一緒にやってきたので、ちょうど良かったとばかりに、知美ちゃんのお土産を渡した。なんだか1日とろけていた。
9月2日
朝、うまいことおたまで採取できたおしっこと一緒に虎千代を連れて北川動物病院へ。検査の結果は一応、潜血反応はなくなったということで、一安心。2度目の予防接種をしてもらってかえってきた。ところが、7月のはじめに家出から帰ってきた八雲を治療して下さったT先生に、八雲がやせていると言う話をしたら、「こちらが見て、明らかに異常にやせていると言うのだと困るので、一度連れてきて下さい」といわれる。後一週間でまた旅に出るかあさんとしては、もし何かあるなら1日でも早くわかった方がいいと思って、とんぼ返りで八雲を連れて病院へ。
診察の結果は、4キロくらい体重もあって、心配いらないと言うことだった。たびはぶたびだし、ことんも最初の頃の狐顔はどこへやら、ふっくらとしている。育ち盛りの虎千代は、もちろん、まるまるとしている。他の猫が太め系なのでどうしても相対的に八雲がやせて見えると言うところだろうか。それにしてもなんともなくて良かった。
一度八雲を家に連れ帰ってから、東京日産に車のエンジンオイルを交換しにいって、ついでにダイエーで買い物をして帰宅。ホームページを作って、夜になった。風邪を引いているのか、体がだるく外出する気になれず、夜の約束は断ってしまった。
9月3日
熱が出た。寝たり起きたりしながら、それでも気になって、パソコンの近くで丸くなっていて、起きあがっては、ぽちぽちと原稿を書いていた。資料を読まなければと思って、本を取りだしたがすぐに眠くなった。疲れが出たらしい。涼しくなったので(うちは帰国後、全く冷房を入れていない)ばてているのかも知れない。
9月4日
忘れてしまわないうちに旅行記をまとめてしまおうと、元気を振り絞ったけれど、ぼろ雑巾状態で参ってしまった。今日の約束もキャンセルだった。おやおや。だれか、元気を分けて下さい。もう来週の月曜日には出発なんです。あああ。
9月5日
私は今、猛烈に怒っている。前回の旅行でカシュガルでイヤな思いをさせられたガイドのエリキンが電話をかけてきた。時間が午前4時半。ばかやろう。1時間の時差があって、現地は北京時間で午前3時半、新彊時間で12時半だ。人のうちに電話する時間かどうかは、国によるからどうでもいい。頭来たのはその内容だ。9日に出発する旅の車のチャーターの最終打ち合わせで電話をよこしたふりをして、その話が軽くすんだら、電話をかけ直してくれと言う。何の話ですかと言ったら、キスしてくれという。ふざけるな。迷惑だと言って電話を叩ききった。
カシュガルに行ったときに本人から聞いた話では、日本から行ったツアーの女の子をナンパしては、ホテルの部屋でけしからん行為に及んでいると言っていたけれど(私にもはっきり、セックスさせろと言ったし、はっきりイヤだと断ると、なんと、服は着たままでいいからあそこだけ出せと言ったり、挙げ句はキスだけでもさせろと部屋まで追っかけてきた。すごいこわかったし、はっきり言って変態だと思ったんだぞ。)他にも、仲良くなった日本人の女の子に、再度カシュガルに来るときに色々ものを持ってこさせたり、お金を出させたりしていると言っていた。会社の予約票から、電話番号を調べて電話かけてくるなよ。
この変態ガイドの名前はカシュガル中国国際旅行社の日本部、エリキン・アブリミティという。アバンチュールとやらを求めるならそれで結構だけれど、その手のアクシデントは避けたい人は、とにかく彼がガイドで着いても、個人的に口を利かないことをお勧めする。私は、中国でカシュガルが一番嫌いな町になった。
もうじき、日本からお金持ちの団体が来ると彼は楽しみにしていた。カモを探す気だろう。それが何処の何というツアーか知っている私は、その会社に知らせるべきかどうか少し迷っている。
9月6日
朝から、必死で、ソフトバンクに納品するホームページを作る。旅行記を二つ書いて片方を自分のホームページ用に、片方をソフトバンク用にそれぞれhtml化して、納めるわけだ。それでも旅行の準備はしなければならず、3時直前に駅前の富士銀行にドルを買いに行ったら売り切れ。あわてて隣の東京三菱銀行に行ったがそこも555ドルしかなかった。3時になりもう手の打ちようがなくなったので、出発前に成田で両替する事にしてあきらめた。
その後、新橋のMOツーリストにカシュガルから先の旅行のバウチャーを受け取りに行った。4時半前に着いたが、結局全てのことが終わったのは6時半過ぎていた。それから、池袋に行って、kさんとご飯を食べた。時間が足りない。又ぎりぎりまでばたばたすることになりそうだ。
9月7日
今日でもう3日、3時間くらいずつしか寝ていない。何となく大忙しなのだ。今日もとうとう手が回らなくなって、まゆみちゃんが手伝いに来てくれて、沢山の手紙を作ってくれた。彼女にはお世話になりっぱなしだ。夕方から、K先生のお宅におじゃましてお台所を借りてご飯をつくって、楽しいひとときを過ごしたが、プロノートを持っていって仕事をしながら話をする羽目になる。先生はよく事情をわかって下さっているので、それでも顔を出しなさいとおっしゃって下さっていたのだ。あれこれ手を動かしながら話をしていた。
予定では今日も3時間くらい寝られるはず。荷物はまだ作っていない。
9月8日
インターネットガイド誌に納めるホームページがなかなか進まず、午前中にほぼこのままでは、破滅すると言うことがわかってきて、恭子ちゃんと玉青ちゃんにお昼から来て貰って、手伝って貰う。縦のものを横にもせず、ひたすらホームページのタグを打っていた。
出発前の大掃除は、台所を恭子ちゃんが、居室と仕事部屋を玉青ちゃんがしてくれた。続いて玉青ちゃんはお使いに、恭子は私の作って置いたリストに従って、荷造りをしてくれる。夕食はそれでも近くに食べに出たが、その後、横浜へ帰った恭子ちゃんは別にして、玉青と私は延々作業が続く。結局インターネットガイド誌に納めるホームページは12時過ぎにできあがり、今午前2時半だが、私はまだ、自分のホームページを作っている。
昨日のまゆみちゃんと、今日の玉青ちゃんと恭子ちゃんが手伝ってくれなければ私は間違いなく出発できなかっただろう。今回の旅行は山に上がるので本当は少し体を休めて出たかったのだが、毎日3時間くらいしか寝られなかった。参った。さて、最後のシルクロードだ。もうひと踏ん張りだ。