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                万寿盛典はいくつある      奈良大学教授 森田 憲司

  「万寿盛典」という名前の本は、もう一つある。これまで紹介してきたのは、康熙帝の還暦の祝賀の記録だったが、『四庫全書』にはもう一つの「万寿盛典」が収められている。それが、康熙帝の孫の乾隆帝が八十歳の時に作られた『八旬万寿盛典』だ。

  乾隆帝が八十の賀を迎えたのが乾隆五四年(一七八九)で、この年に編纂がはじめられ、完成したのは五七年のことだったという。祝賀の内容を伝えることを目的としている康煕の場合とは違って、この本には、乾隆帝の治績を称える内容も含まれる。そして、やはり「図絵」の巻があって、祝賀の光景が書かれている。

  ただ、次に紹介する瀧本氏の解説にも書かれているように、絵は康煕のものと比べると緻密さに欠け、作品としては落ちる。しかも、街並みや人々の暮らしの描写が少なく、史料としての価値を減じている。

  筆者は、『乾隆八旬盛典』は『四庫全書』のものだけで、出版はされなかったと思っていた。ところが、『清朝北京都市大図典』(遊子館、一九九八)には、乾隆の『万寿盛典』の刊本の一部が影印されていて、乾隆五七年(一七九二)刊本となっている。  

  あわてて調べてみたが、筆者がよく利用する図書館、文庫の類の蔵書目録には掲載されていない。小野勝年氏の論文を確かめてみると、氏も見ることができなかったと書かれているから、かなりの珍本のようで、知らなくても仕方がないと、一安心した。

  前回に日本で出版された「万寿盛典」があるが未見と書いたのが、この『清朝北京都市大図典』で、この本には、『康煕万寿盛典』の図版全部と、『乾隆八旬盛典』の図版の一部が影印されているほか、版画研究家の瀧本弘之氏の解説がついている。また、各画面にその場面の簡単な紹介がついているのも便利だ。なにしろ高価な本なので、これまで手にも取らずにいたが、今回の原稿の参考に図書館で閲覧して、はじめて内容を知った。万寿盛典の基本的文献といえば、「康煕万寿盛典図考証」をはじめとする小野氏の一連の著作ではあるが、瀧本氏の解説もあらかじめ読んでおけば、参考になったはずで、毎度のことながら不勉強と思いこみはこわい。

  『清朝北京都市大図典』はさておき、今では『四庫全書』の影印版は、主な大学の図書館ならどこにでもあり、必要な時にはすぐ参照できるし、コピーも取れる。今回の図版もそれだが、便利な時代になったものだ。乾隆の『万寿盛典』を見ることができなかった小野氏が聞かれたら、どう思われるだろうか。近いうちには、『四庫全書』の電子テキストが売り出され、自由に内容を検索できるようになりそうだ。すでに広告は出ている。

  さらに言えば、清朝の学者たちならどんな感想を漏らすだろうか。清朝の最も優れた学者の一人である銭大マの元朝の科挙についての研究を再調査することが、筆者の最近の本業の一つなのだが、彼が見ることのできたものよりはるかに多くの書物を、我々は日常的に使っている。

  そもそも康熙帝の『万寿盛典』も、厳密に言えば一つだけではない。本になる以前に、彩色の画巻が描かれている。瀧本氏によれば、本来の画巻は火事で燃えてしまい、現存するのは版本をもとに書きなおされたものだということだ。ついでながら、『四庫全書』の『康煕万寿盛典』は、当然のことながら写本だから、普通に知られている木版印刷のものとは異なっている。小野氏によれば乾隆の画巻もあるらしい。とすれば、「万寿盛典」はいくつあることになるのだろうか。  

   清朝で長命な皇帝といえば、康煕、乾隆の二人だから、他の皇帝の「万寿盛典」は、たぶん存在しないだろうが、西太后の長寿の祝いの式典計画図が、雑誌『紫禁城』に紹介されたことがある。また、その他の行事を描いた絵巻、たとえば婚礼のものは、日本で開かれた展覧会で見たことがある。あるいは、前回書いた『南巡盛典』のような巡幸の絵巻としては、康熙帝の南巡の画巻が、やはり『紫禁城』の初期に連載で紹介されており、その全貌を見ることができる。

『八旬万寿盛典』第77巻より

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