連 載

 第 十 回

北京ダックと青春の蹉跌

菅納ひろむ

  この夏、久しぶりに日本に帰省した。ヤマンバ・メークだの、携帯電話の急激な普及、と言ったことは事前にウワサを聞いていたので特に驚かなかったが、言葉遣いの変化が気になった。例えば、レストランのウエイトレスなどが、やたら「○○になります」とか「○○の方(ほう)」という表現を使う。「こちら焼きソバになります」「お会計の方、五〇〇〇円になります」……と言った具合だ。「おいおい、この食べ物は今は違うモノだけど、これから焼きソバになるのかよ」と言いたくなる。普通に「焼きソバです」とか「お会計五〇〇〇円です」と言えばいいのに。例の「単語の語尾?をあげて相手に同意を促す?しゃべり方?(?のところで上にあげて読んでください)」は相変わらず全盛だし、だんだん男性にも感染してきている。どうもこうした言葉遣いが気になって落ち着かなかった。

  さて、本題は今月号特集の「北京ダック」なのでした。実は、北京ダックには苦い想い出がある。私は結婚した時、披露宴の替わりに横浜中華街のレストランに親戚や友人を招いて昼食会を開いた。料理は中華のフルコースであった。普通、日本の中華料理と言えば、北京ダックは、あらかじめ巻いたものが一つくらい出てくるだけなのだが、さすがに中華街のレストランともなると、本場同様に自分で巻いて食べる流儀なのであった。一応は結婚記念なので、私はトノサマバッタみたいな銀色のタキシードを着ていた。ところが、皮で包む時にちゃんと底を上向きに畳まなかったため、一口食べた瞬間、皮の下部から味噌がニュッと流出して、借り物のタキシードを汚してしまったのである。ウエイトレスがおしぼりを持って飛んでくるわ、新婦は「馬鹿じゃないのアンタ」と怒るわ、「うるさい、だからこんなモノ着たくなかったのに、お前が着ろと言ったんだろ」なんて結婚後の初ゲンカは起きるわ、宴会は一時騒然とした雰囲気に包まれてしまった。

 それ以来、何となく北京ダックは苦手な食べ物だったのだが、北京に駐在してからは、そうも言ってはいられない。お客さんのアテンドで、多い時は週に3回も北京ダック屋に行ったこともあった。どうせなら、と言うわけで、美味しいお店も何軒か確保しているし、今では正直言って北京ダックってなかなか素敵な食べ物だと思っている。それにしても、「老舗」と言われるダック屋の多くは、油っこいばかりでイヤな匂いのするダックを出すようになってしまっている。日本からせっかく北京に来て最初に北京ダックを食べるお客さんには、なるべく美味しいものを食べてもらおうと思って苦心する所以である。

  ところで、駐在員の仕事の一つが「実演」で、お客さんの前で、まず最初にお手本として北京ダックを包んで食べて見せる時がある。「いいですか。ネギとお肉にたっぷり味噌を付けて皮の上に乗せて下さい。まずは左を折って、次は必ず下側を上向きに折って下さいね。そうしないと味噌がニュッとこぼれて大惨事ですよ。それで右側も折ったらできあがり。後はパクッと食べて、ああ美味しい」なんてことを、さも知ったらしくやっているわけ。結婚披露の時の「青春の蹉跌」を思い出して内心ヒヤヒヤものなのだが。

          

                 四合院の中にある「利群kao鴨店」では、                          このまま食べたら、たれが服に…。

            昔ながらの「果木」(果樹の薪)で焼いている。


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