雑学           中国を繙く27

「支那」は本当に悪くない言葉か(4)

櫻井 澄夫

   さてこれまで三回にわたって「支那」問題について触れてきた。その間色々な方から、資料の提供、ご意見、ご教示をいただいた。心からお礼申し上げたい。今回は、この問題を整理したりまとめるのは、ひとまず後にして、これまでこの問題について発言してきた日本人の研究や意見の内容について、ダイジェストしたい。その目的は本号の冒頭の「北京雑感」にも書いたように、長い間この問題が色々な人によって語られながら、それらを通覧している人がほとんどいないと思われるからだ。知識なく、低次元の議論が続けられるようでは、進歩がない。管見に入ったものだけでも列挙すれば、後の人たちの参考にもなるだろうと考えたのである。

   さて手前味噌だが、「支那」という地名の意味、性格、起源等に関しては明治以来いろいろな学者によって論じられてきたが、鏡味明克、楠原祐介、櫻井澄夫編著の「地名関係文献解題事典」(一九八一年。同朋社)が便利なのでこれによって調べてみよう。まず明治二九年(一八九六)植村仁三郎という人が、「史学雑誌」7−11・12附録に、「支那名義考」という論文を書いている。ついで明治三八年に木村正辞という人が、「支那国号の由来」という文章を、「東洋学芸雑誌」二二−286に書いている。だいぶ時期は下るが、昭和一六年に櫻井芳朗が「歴史」一六−4に、「支那という呼称」を、昭和一七年に東大の中国古代史の重鎮であった和田清が、「東亜史論薮」(生活社)に、「支那及支那人という語の本義について」といふ論文を書いている。櫻井芳朗は東大での和田清の弟子である。和田はシナという語の語源ではなく、その語の示す範囲、また北シナ、中シナ、南シナの使用例の混乱を述べ、シナは狭義の意味で限定して使用すべきを説く。学問的なシナ研究の当時における到達点であったといえよう。

   戦後になると当然状況は変わる。昭和三二年、岩倉具実が「ことばの教育」93に「Shinaは世界的な呼び名」という文を書き、言語学の分類用語、その他一般的学術用語などにおいては中国をシナと呼ぶのが普通であると主張、「日本人がシナと呼んでも気にしない」という郭沫若の言を紹介する。郭沫若さんはそんなことを言っていたらしい。それに対し、誌上討論の形で、さねとう・けいしゅうが、同じ雑誌の、「シナは中共か中国か」という文章の中で、「中共とは本来中国共産党の略語であり、シナはそのヒビキがよくないので中国人は嫌う、よって古来からある「中国」なる正式国号を使うべき」と述べる。ここに現在まで続く「支那」論争の戦後におけるはっきりした存在が確認できる。私が指摘した昭和一〇年代の日本人の中にあった意見の相違(かわら版九一号参照)が、昭和三二年になっても繰り返されているのがわかる。ここまでが「地名関係文献解題事典」による調査だ。

   さて昭和五一年に発行された「どう考える中国今昔」(二玄社)で、小野忍、目加田誠、栗田直躬、尾藤正英、三上次男ら当時の代表的学者が集まって座談会をやっているが、その中の一部で「中国、支那、清…呼称の歴史的由来」について論じ、この問題を一般向けに幅広く説明している。内容は平易だが現在の「支那」是非問題が持つ要素の多くにこの座談会は触れており、学者も一流と呼ばれるようになるとさすがにバランス感覚があると感じる。未見だが竹内好(「中国を知るために」)、青木正児(「支那という呼称について」)らの学者にも「支那」についての研究がある。

   岩倉具実の意見に近い考えは現在の学者の中にも生きている。ただしもっと学問的に洗練されてきている。その典型は「名前と人間」(岩波新書)を書いた一橋大学教授の田中克彦氏だ。全文を引用することはできないが、私がしばしば呼ぶ「支那派」とはまた違った立場のシナ(同書では「シナ語」として使用)使用者としての意見を明確に述べている。同氏はなぜシナ語ということばを使うかについて、「言語(学)の立場に即してみれば、ソビエト語やソ連語があり得ないと同様に、「中国語」は現実には思い描くことができない概念である。ついでに、「中華人民共和国」を翻訳した西洋諸語を思い出してみると、それらは、民族と国家とをとりちがえた。矛盾に満ちた表現となっている。たとえば英語のPeople's Republic Chinaがそうであるように、「中華」をチャイナ(漢)と特定の民族の名で訳すのは決定的に誤りであって、本当は、たとえば「セントラル・フラワー」とでもすべきであって、ここにチャイナというエトノス(民族)名を入れてはよくないのである。それは中国の国是にも反するはずだ」と同教授はいう。この人の本は面白いので、一読をお勧めしたい。私は二〇年以上前、ある雑誌に掲載された「固有名詞の復権」という田中教授の文章を読み、ショックを受けたことがある。私とはほとんど縁がなかった言語学という学問はこんなことまでやるのかと思ったからである。これはたしかその後、岩波から出た「言語からみた民族と国家」という本に入っているはずである。

   さあ話は大きくなってきた。次回は、最近の「支那派」の人たちの意見を並べてみよう。それによりこの人たちの考えがいっそう明らかになるはずだ。次には最近の中国の人たちを中心とする「支那」批判派の考えを並べ、学習してみよう。論点が明らかになってくれば、その先は私たち自身の判断の問題である。

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