北京雑感 |
「北京かわら版」編集顧問 櫻井澄夫
こんなもの書いても反応があるだろうか、と思いながら「かわら版」九〇号から「「支那」は本当に悪くない言葉か」というタイトルの連載を始めた。そうしたら私の言う「支那派」の一人が、東京都知事に当選してしまったものだから、突然時の話題になり、中国の政府や新聞、一般の人々などからご当人は一斉に攻撃を受けてしまった。私の所にも、政府関係者も含め、様々な方々からの接触、意見、資料の提供があった。こりゃいかんと私も過去のこの問題に関わる資料集めを始め、体勢を整えている。
まだ中途だが、わかってきたことは「支那」の問題は古くて新しく、日中双方の人が実に長い間さまざまな意見を述べていると言うことだ。一方、強硬な意見を述べながら、相手の事情に対する理解や認識が甘い。つまり勉強していない。そこへきてもうできあがっている自説を解説補強するために、都合のよい資料を持ち出す。二流の学者などのよくやる手だ。都合のよい資料に基づく一見整然とした解説に、普通の人は惑わされる。そして感情的な批判を開始し、ついには紙礫ならぬ石を投げ合う。
戦後五〇年以上もたって、なぜ「支那派」ががんばるのか。「支那」は使っちゃいけないといわれながら、その理由が正確に理解されていなかったからだ。そんな教育もなければ、この問題の研究も断片的にしか行われていない。それは「支那派」の人たちに限らない。どのような主張を持とうとも、自説他説を問わず、関連資料をもれなく集め、結論を導き出すという姿勢で取り組まないと、相手を納得させるのは難しいだろう。「過去」の評価はまだ完全に固まったわけではない。正しい「歴史認識」は、教科書を丸暗記し、お題目のように唱えることではなく、周辺に眠っている事実を記録し不断に再評価しつづけることから始まる。近現代史の場合ならなおさらだ。「支那」はこれからも論争の種になるだろう。二番目、三番目の支那が出てこないことを、祈る。