頤和園長廊物語N
コマースクリエイト梶@関口美幸
西 廂 記 |
西 廂 記
張生の父親は病で早世し、母親もそれを追うようにこの世を去った。張生は一人諸国を放浪しながら苦学を続けているが、未だ名を挙げることができない。この年、朝廷では科挙の試験が行われることになった。張生は早々と準備を整え長安に向かった。途中各地の名勝旧跡に遊び、この日はちょうど河中府(注:今の山西省永済県)を訪れたのだった。聞くところによると、この地にある普救寺は、則天武皇が建てた寺だそうだ。張生は荷物を旅館に置くとさっそく参拝に行った。普救寺は静かな趣の寺で参拝客も少ない。張生が寺の中を散歩していると、不意に花のように美しい少女を見かけた。この娘は前の相国の一人娘の崔鶯鶯である。鶯鶯の父親が病死した後、彼女と母親はその棺を博陵(今の河北省定県)に埋葬しようとしたが、道が険しくて博陵まで行き着くことができず、やむなく途中の普救寺に埋葬し、普救寺の西廂(西の棟)に住んでその菩提を弔うことにした。この日、鶯鶯はお付きの娘の紅娘に付き添われ寺の中を散歩していたのである。紅娘は見知らぬ男を見かけると、慌てて鶯鶯をつれてその場を離れた。
張生は鶯鶯を一目見るなり恋に落ち、科挙の試験のことなどどうでもよくなって、普救寺の一室を借りて住み着いてしまった。さて、張生が普救寺に住み始めてから数日と経たぬ内に、孫飛虎というならず者が五千の人馬を率いて普救寺を取り囲み、三日以内に鶯鶯を自分の嫁に差し出さなければ、寺ごと燃やしてしまうと脅した。鶯鶯の母親の老婦人は「この難を救ってくれるものがあれば、誰であろうと鶯鶯を嫁にやろう」と言った。
張生には杜確という仲のよい友達がいた。彼は十万の大群を率いて蒲関を守る将軍だった。普救寺から浦関まではわずか四十五里の距離だ。張生は急いで書をしたため蒲関に使いを出した。杜確はすぐさま五千の人馬をしたがえ、夜を日に次いで駆けつけ、孫飛虎を生け捕りにし、普救寺の囲みを解いてくれた。
鶯鶯一家と普救寺は張生の機転のおかげで難を逃れることができた。しかし、老婦人は前言を翻し、鶯鶯は甥の鄭恒と許嫁の約束を交わしているからと言う理由で、鶯鶯と張生は兄妹と呼び合うようにと言った。張生は老婦人のこの意外な言葉を聞くと、食事ものどを通らず、夜も眠れなくなってしまった。張生の鶯鶯を想う気持ちに感動した紅娘はこっそり、「今晩、鶯鶯が中庭に香を焚きに出てきた時に琴を弾いて彼女の気持ちを確かめてみたら?私が咳をするのが合図よ。」と知恵を付けてくれた。
夜の帳が降り、月光は水の様に澄み切っている。張生はすっかり琴の弦を合わせて鶯鶯が来るのを待っていた。軽い足音とともに紅娘の合図の咳が聞こえてきた。張生は熱い想いを込めて琴を弾き始めた。曲は『鳳求凰』である。その昔、司馬相如(注:漢代の詩人)が恋人の卓文君を射止めた故事にあやかろうというのだ。さて鶯鶯は張生の文君となる気があるだろうか?琴の音はもの悲しく響き渡り、人の心を打つ。鶯鶯は感極まって思わず涙を流した。
その後、張生が病気になったと聞いた鶯鶯は紅娘を張生の見舞いにやった。張生は一通の手紙を紅娘に託した。その手紙を見た鶯鶯は「相国の娘をもてあそぼうと言うのね」と怒り、返事をしたため紅娘に持たせると、「次からはこのようなことをしないでください」と張生に伝えるよう紅娘に言いつけた。しかしそれは本心から出た言葉ではない。紅娘がいなくなると、張生を想ってそっと涙する鶯鶯だった。ところで、鶯鶯が紅娘に持たせた手紙の最後には次のような詩が付いていた。
待月西廂下,迎風戸半開,
隔墻花影動,疑是玉人来。
この詩を見ると、張生は大喜び。いぶかる紅娘に「僕は詩の謎を解くのが得意なんだ。この“待月西廂下”というのは“僕に月が上がったら来い”という意味で、“迎風戸半開”は“彼女が戸を開けて待っている”ということ、“隔墻花影動,疑是玉人来。”というのは“僕に塀を乗り越えて来てくれ”、つまりこの詩は“今晩僕に中庭に来い”という意味なのさ。」
しかし、その晩、張生が実際に塀を乗り越えようとすると、鶯鶯から「張生さん、一体どういうつもりなの?私はここに香を上げに来ているだけなんです。あなたには何も関係ないでしょ。もし、こんなところを人に見られたら何と言えばいいと思っているのよ。」と言われてしまった。鶯鶯の心変わりにショックを受けた張生はまたも病に倒れてしまう。張生の病に気をもんだ鶯鶯は今度は紅娘に処方箋を渡すように言いつける。それを読んだ張生はまたも大喜び、それには今晩鶯鶯が張生の部屋に来ることが暗示してあったのだ。本当に鶯鶯は来るのだろうか?張生はそわそわと落ち着かない。ようやく戸を叩く音が聞こえた。紅娘が鶯鶯を伴って張生のもとへやってきたのだ。こうして二人は紅娘のおかげでついに結ばれることができた。
さて、まもなく二人のことは老婦人の知るところとなってしまった。老婦人は紅娘を尋問したが、逆に約束を守らない老婦人が悪いのだと紅娘に反論される。痛い所をつかれた老婦人は、ついに二人の結婚を許す。しかし、「崔家では無冠の士を婿に取ったことはない」と言って張生に科挙の試験で合格することを条件に出した。
翌日鶯鶯は張生を十里長亭まで見送りにいった。様々な思いが胸をよぎる。昨晩ちぎりを交わしたばかりなのに、今日はもう別れなくてはならないとは。別れの杯に酒をつぎながら、互いに向き合ったまま交わす言葉もない。
張生が去った後、鶯鶯は張生を思って涙せぬ日はなかった。ある時は楼上から遙か彼方を見て、張生の影が早く道にうつることを祈り、ある時は、中庭で香を焚きながら張生が弾いていた琴をなでながら物思いにふける毎日。
さて、それから半年が過ぎた。博学多才な張生は科挙の試験にトップで合格した。張生もまた鶯鶯を片時も忘れることがなかった。ところが、鶯鶯の元の許嫁である鄭恒が普救寺にやってきて老婦人に「張生は都で衛尚書の婿になった」と報告し、それを信じた老婦人は鄭恒に鶯鶯をやる約束をしてしまう。河中府の長官になった張生が意気揚々と普救寺に戻ってみると、老婦人や鶯鶯の様子がどうもおかしい。普救寺の和尚のとりなしで孫確を呼ぶことになり、孫確に問いつめられ嘘のばれた鄭恒は木に頭をぶつけて自殺した。こうして誤解の解けた張生はようやく鶯鶯と名実ともに夫婦となることができたのだった。
宝黛閲西廂記 |