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再び「自転車通勤ノススメ」

By 菅納ひろむ

   縁あって今月号から「かわら版」に本エッセイを連載することになった。
   私はある経済団体の北京事務所で働く駐在員。そろそろ北京生活も丸4年になろうとしている。日常生活や出張等で出くわした事や考えた事のあれこれを、所属する団体の機関誌やホームページ等に書いてきたのだが、ひょんなことから本誌の編集担当者と知り合いになり「その線で『かわら版』に書いてみませんか」というお話をいただいた。
   「その線」とはつまり「ごく普通の駐在員なんだけど、ちょっと斜に構えて、たまには少し面白いことを書いている。あまりタメにはならないけど、誌面にちょいと変化をつけるのには良さそう」という意味と理解した。亡き根箭前編集長、櫻井さん、森田さん等の本誌執筆陣には常々敬服しており、そこに同居させて頂くのは浅学菲才の身に余る大事ではあるが、そういう趣旨なら、とお引き受けすることにした。

子供を後ろに乗せて走る筆者
   さて、私は塔園公寓から長富宮辧公楼まで自転車で通勤している。自転車通勤については昨年の本誌11月号で編集部の関口さんが大傑作をお書きになっているが、私も思うところあり、連載の1回目に敢えて同じテーマで「相乗り」させていただく。
   従来は同僚と相乗りで自動車で通勤していたが、約1年半前に次男が現地の三里屯幼稚園に通い始めたのを機に自転車に変えた。日本人幼稚園と違い送迎バスがないので、行きは私、帰りは妻が分担して送迎することにしたのだ。
   送迎だけが目的ならタクシーに乗ったって大して高いわけではない。しかし「やってみたかった」のだ。そしてすぐに病みつきになった。今や子供が休む日でもつい自転車にまたがってしまう。ただ、近頃は酷暑、酷寒の時や、体調の悪い日、雨の日は乗らないようにしている。自転車はあくまで楽しみのためであり、精神的、肉体的負担を伴う「義務」にはしたくない。そう決めてから更に楽しくなってきた。
   じゃ、何がそんなに楽しいか、というと、自動車での通勤では味わえない次のような良さがあるのだ。
   @その時々の気分で自分の好きなルートを適時に選んで市井を走り回れる。
   A街の匂いや空気の温度、人いきれ、といった微妙な感覚を実感できる。
   B何か面白そうなものがあれば、いつでも立ち止まってヤジウマしたり買い物したりできる。
   C家族と暮らして会社で働く者には意外に一人きりになる時間がない。自転車なら子を送った後は、退勤時も含めてずっと一人。これは私にとって色々な考え事をする貴重な時間になっている。例えばこう言った文章の構成を考えたりする時、ゆっくりペダルを踏むリズムは最適だ。
   D運動不足の身、少しは健康にも良いかも知れない。大げさに言えば環境保護にもね。
   もっとも、物事にプラス・マイナスの両面があるのは世の常。自転車通勤にも欠点がある。例えば交通事故の危険性はもちろんある。ただ、人民大衆銀輪部隊の流れに加わりゆっくり走っている分には重大な危険は少ないように思う。後は大気汚染である。バスの後ろなんか走って、排気ガスを吸い込むのは気持ち悪い。裏通りを走る等の工夫も必要。
   他に、思いもよらなかった落とし穴もある。関口さんも書いたように、前を走る人が突然振り向き様に「たん」とか「手鼻」を飛ばしてくることは頻繁だ。頭上から食べかけのカップラーメンが降ってきたことすらある(幸い「命中」はしなかったが)。これらはもう防ぎようがない。「誤爆事件」にでも遭ったとか、話のネタが増えたと思って我慢するしかない。
   ところで、ここで言う「自転車」は「ちょっと生活のスタンスを変えてもっと北京を楽しんでみよう」という考え方の象徴でもある。つまり、実際に自転車に乗らなくても、例えば、時には公用車の後部座席から助手席に移動してみればどうだろう。意外に視野は広がるし運転手さんとの話もはずむ。また、たまにはゴルフのお誘いを断って行く先知らずの「公共汽車」に乗って子供でも連れて北京探索をしてみたら、必ず想い出に残る出来事の1つや2つは体験できる、等々。
   行動と思考のパターンを一ひねりすれば北京駐在生活はもっともっと楽しめるはず。自分や知人の体験をネタに、そんな視野から理路「騒然」と本欄を続けてみたい。

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