中国を繙く32

「支那」は本当に悪くない言葉か(9)

櫻井澄夫

   前回、この連載の締めくくりの第1回として、「支那」のこれまでの歴史的な使われ方について簡単にまとめた。今回からはこの言葉の持つ現在の問題点を列挙して、まとめていこうと思う。

一、中国とチャイナ、支那の関係
   明、清、中華民国、中華人民共和国などと国名がしばしば変わった国を一貫して「中国」(あるいは中華)と呼ぶのは、外国人にとっても、中国人にとっても便利である。しかし、中国と「チャイナ」等が全く同じものに付された名称であるかという問題に対しては、過去はもちろん現在においても意見があるだろう。
   一国の国名は本来、自国の言語により、記されるものである。「中国」はチャイナなどCで始まる外国語表記の他、Sで始まるもの、Tで始まるものなどがある。日本でもっぱら使用された「支那」も(ローマ字ではないが)その一つ(S音で始まる)と言えよう。またチャイナ、シナ系の言葉とは別に、ロシア語に見られるように、(「契丹」が原型といわれる)キタイ、カタイ系の言葉(英語のキャセイも国名でないがその一つ)もある。  これら外国語の名称は、中国が選んだと言うより、各国が自国の言語で呼ぶ「中国」を指し示す各国語で表記した名称を、中国が受け入れた、或いは追認したものであると言えるだろう。各国の中国大使館の現地語による看板を見ればそれははっきりしている。
   つまり(英語を例に取るならば)チャイナは「中国」と全く同じ物とは言えず、「中国」の英語による表記(あるいは翻訳?)がチャイナが適当であるとの判断、選択により、採用されたものであるといえるだろう。それは「清」もチャイナ、中華民国もチャイナ、中華人民共和国もチャイナと呼ばれた事実を思い出せばわかりやすい。現在、大韓民国(韓国)も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も、原型(正式名称)では「韓国」「朝鮮」と両者は異なった国名を持っているにもかかわらず、英語による表記では両者とも「korea」を採用している。これもどちらも外国語による呼称、習慣に引きずられて自国の外国語名を決めた例と言えるのだろう。つまり「Korea」は、「韓国」「朝鮮」の翻訳でも、近音を充てた国名でもなく、このあたりを指す歴史的な呼称に基づく外国語による名称である。これがいやならChosun(朝鮮)など、自国の言語に基づく、英語、外国語を使用すべきである。ビルマからミャンマーへの変更など、近年他国にも国名表記変更の例がある。都市名だが、ボンベイからムンバイへの変更なども同種といえるだろう。外国のつけた地名を自国風にあらためた例がいかに多いかは、イギリスのエイドリアン・ルームなどによる専門書を見れば、理解できる。日本でも戦時中、ジャパンからニッポンへの英語表記に手をつけた証拠が、占領地などにある。国際試合に出場するスポーツ選手のユニフォーム上の、「Nippon」の文字も発想的には、(外国人の決めた、外国語による自国表記に対する、ある種の違和感の存在に根源があるという点で)その延長線上にあるのではなかろうか。また田中克彦教授の言うように、語源的に見ればチャイナ(漢)という漢族という一民族の名称を、現在の中国の英文名に採用したのは、国是からして誤りだったのかも知れない。「もし」ロシア或いはロシア語の影響が世界的に強くなっていたら、バンクオブチャイナ(中国銀行)は、バンクオブキタイとなっていたのか。キタイという北方民族契丹の名称を、「中国」の外国語名称として、自ら積極的に使用できたかという、外国人から見た疑問も生じるだろう。しかし大使館の看板などに見られるように、実際は外国ではこう呼ばれているのだからしょうがない、という消極的な理由で現地国の「決めた」名称が使用され続けているのが実状であろう。
   つまりこういったことはこれまで専門的に議論されず、疑問をもつことさえ遠慮するような雰囲気にあったのかも知れない。これはもちろん中国、チャイナ、キタイ、シーヌなどだけの問題ではなく、世界各国の国名表記に広く認められる普遍的な問題である。

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