1996年6月9日(第6日)
第38番 金剛福寺 〜 第45番 岩屋寺 |
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38番 蹉た山金剛福寺−−−肌守り このお寺のお守りに、私は大層おかげを頂いている。このお寺はご本尊が私の守り本尊の千手観音だ。そこで、一番最初にお参りした6年前、私はこのお寺でご本尊の梵字の刻まれた銀の指輪お守りをおわけいただいた。それ以来、その指輪をはめていると、肩こりになりにくいし、悪いこともあまりない。指輪のお守りは、私にとっては肌身はなさず付けていられる大変便利なものである。時々、ふとした拍子になくしてしまうことがあるが、それは厄が落ちたのだと理解して、予め予備に分けていただいておいたものを取り出してまた身につけている。 気に入ったお守りを見つけることも、知人友人の誰かのためにそれをお分かちいただくのも、お遍路の喜びの一つである。 |
39番 赤亀山延光寺−−−お遍路用品・鈴 私は、お遍路用の腰に付ける鈴を求めて、腰に下げて歩いていたが、今回、へんろみち保存協力会の『四国遍路ひとり歩き同行二人』を読んだ所、手に持つ鈴が正式のものらしく、また、それは読経の時に手に持ってお経の句読点としてならすか、長い山道などをゆくとき、早朝深夜などの歩行の際に腰に付ける以外は、鳴らないようにずた袋などの中にしまっておくものだという。 私は魔除けの意味も有ると聞いていたので、遍路中、ずっと腰に下げていたが確かに歩くたびに鳴り続けて回りに迷惑だった。明らかに勉強不足である。 鈴自体は、値段は1000円くらいからずいぶん高いものまであるが、やはり値段のいいものの方が音がいい。私は、一回目のお遍路で購入した鈴をずっと使っているが、音はちょっと余韻が少ない。今から15年ほど前に、父が一人で歩き遍路に来たときに購入したという父の鈴は、すばらしい音がする。本当に気に入ったものに出会ったら購入するのでも、車遍路の場合はよさそうである。 鳴らし方は、読経前2回、各経文・真言の後1回、読経後2回と同書には記されている。 | |
40番 平城山観自在寺−−−納札入れ 納札入れというものを売っている。首からかけられるケースに鉛筆と納札を一束くらい入れたものなど色々あるようだけれど、私は最初にお遍路に行ったときに購入したけれど、使ってはいない。理由は、未使用の納札自体を保存するには封筒で充分だし、明日納めるために準備した分は、ウエストポーチに厚手の封筒を加工して作った納札ばさみに挟んで入れているからだ。 歩き遍路の場合は特に荷物の重さが限られるので、購入はあまりすすめない。車での遍路であっても、特別に必要なものだとは思えない。お金を使えばいいってものでもないようなので、倹約、倹約。なお、納札、お線香、ろうそく、マッチが一つに収まる製品がある。これは値段が張るがとても便利。 | |
41番 稲荷山龍光寺−−−お遍路用品・地図 車で回る場合の地図は、よく出回っているのは二冊。
◎ 雑誌四国 四国八十八ヶ所詳細地図帖(A-4版) 連絡先(0878)85-1939
徒歩で回るのには、なんと言ってもこれが一番。 | |
42番 一か山仏木寺−−−保険証・常備薬 お遍路は、たとえ自家用車で回る場合でも結構疲れるものだ。そこで、旅先での不慮の病気や怪我に備えて、保険証のコピーと常備薬くらいはもっていきたいものだ。私は、普通のかぜ薬、ビタミン剤などの常備薬の他に、高野山で売っている『大師陀羅尼錠』という黒い丸薬を持っていく。これは、腹下しや水あたりにも効くし、とにかくちょっとしたお腹の具合なら、これで良くなるのだ。機会があったら試してみてははいかが。 |
43番 源光山明石寺−−−お遍路用品・ろうそく線香入れ ろうそくと線香を入れるものは各種出回っているようだ。両方入るものは図体が大きい。私は線香だけを筒型の線香入れに入れて腰から下げ、ろうそくはどこかのお寺かお葬式で頂いたお灯明セットの紙箱に入れて、ウエストポーチに入れていた。前は、ろうそくとお線香を一緒にその筒に入れていたが、この方法はお線香が筒の中でおれやすい。お遍路ではない観光のお参りの時は、ファミリーマートというコンビニで購入した西武系の無印良品の子供用の筆入れのアルミの円筒を利用している。これも小さくて結構便利。 勿論、前にも書いたように、各お寺でばら売りをその度に購入してもいいが、毎日の予算を決めて贅沢をさけて回るお遍路のこと、歩き遍路で荷物を少しでも小さくしたい場合などは別としてろうそくとお線香は持参をすすめる。 なお、納札、お線香、ろうそく、マッチが一つに収まる製品がある。これは値段が張るがとても便利。 | |
45番 海岸山岩屋寺−−−四国88ヶ所とは 真言密教の巨人・弘法大師空海は、承和二年(835)に和歌山県の高野山・金剛峰寺にて入定された。お大師様と1100年以上も後の現代に慕われるお大師様のご遺徳をしたって、お大師様の入定後、高弟らが四国のお大師様のゆかりの地を経巡ったのが88ヶ所の起こりで、お遍路の始まりは、それに先だって、お大師様にお会いしたい一心で21回も四国を回った、衛門三郎だと言われている。 以上がお遍路の始まりである。 四国の人々は、お遍路さんに実に寛大である。それは、昔からの風習のようで、時代が下ると、飢饉や疫病で定住地を追われた人々が、お遍路になって、四国で果てるという哀しい話も数え切れないほどあったという。特にハンセン氏病の患者さんが家を追われて、お遍路さんになって四国を回り、帰って伝染病の蔓延を引き起こしたなどの問題もあったようだ。 しかし、それでも、その気候の様に穏やかで暖かな四国の人々の心は、住処を失ったお遍路さんを暖かく迎え、食べ物や一夜の宿を与え、その遍路を助けたという。 その暖かさは、現代においても色濃く残っているように思われる。私が、子猫を連れて車に寝泊まりしながら、お遍路したとき、実に沢山の方から暖かな思いやりを示された。特に、猫が病気になってお遍路で移動しながら、駆け込んだ獣医さんが都合5カ所あったが、全ての病院で、お遍路さん値段といわれて法外に安い金額で(思うにほとんど使っていただいた医薬品の原価だったのではないか)診察していただき、手厚い手当をしていただいた。猫は幸い一命を取りとめ、現在、私が原稿を書いている横で、可愛らしかった子猫の姿がまるで夢のように、まるまると太って長々と寝そべっている。 私見だが、この四国の人々の暖かな心なしには、お遍路そのものの存続もあり得なかったのではないだろうか。あなたもお遍路に出て、土地の人とふれあうことがあれば、きっと私の言いたかったことがなんなのか、明確に感じることができるだろう。 しかし、一方で、お遍路をしている人は、そうまでして悔い改めたり、償いをしなければならないほどの大罪を犯した人であるという、いわれのない偏見があったりもする。私はたまたま、レストランで知り合った高校生の女の子に、小さな声で「人でも殺したの」と聞かれたことがある。目が飛び出るほどたまげたけれど、どうしてそう思うの?と聞いたら、お母さんがそういう人ばかりだと彼女に教えたという。これは実話である。このあたり実に四国という土地は面白いところである。 また、お遍路をしているといって、人を信用させ金品をだまし取ったり、一夜の宿を提供してくれた人の好意をあだで返すように泥棒を働いたりする人もいるようだ。哀しいけれど、それも人の一つの姿かもしれない。 | |
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