|
木下和栄 丸山 隆 宮地聡子 伊藤 浩 | |
---|---|---|
98年11月13日放送 脚 本:庵野秀明 作画監督:中山由美 絵コンテ:伊藤尚住 演 出:佐藤英一 |
どんなに困難な状況に直面しても決してくじけないで初志を貫徹するさま。「撓」はたわむ、ゆるむの意。「屈」は押さえつける、くじくの意。 |
前回せっかく始まったOPが今回はない。今回は原作では3回分の話を一気にやるため、CMを二回挟んでの3パートに分けられた構成になっている。1〜5話では11分、9分に分けられていた本編が、7分、5分、8分と合計20分は変わらないよう3つに分けられた。OPは時間の都合で切り捨てたのだろう。ただ、「都合により」というテロップが物々しさを感じさせてしまった。前回のあらすじも音楽にテロップのみなのはスケジュールの問題か、それとも最初にはしゃいでおきたくなかったのだろうか。なんとなく「トップをねらえ!」の3話の出だしを思い出す。(テロップのみのあらすじが)
有馬の家に行くことになり、三話ぶりに月野&花野の登場。雪野とためをはっていた態度はどこへやら、子供っぽいテンションの高さを見せる。
三姉妹は有馬宅へ。浅葉もおり、コメディーアニメののりが続く。が、そこでの有馬と雪野のツーショットに関しては等身をさげることはなく、二人が恋人らしくなった感じが出てきた。
期末テストの結果が発表され、雪野は13番に落ちてしまった。3番の有馬にやっかむところは彼女の虚栄心が刺激され、久々にその見栄の部分があらわれたゆえんだろう。ただ彼女は落ちたこと自体は悔しくても、以前のようにそれで誰にどうこうするわけでもないだろう。
そんな二人は生活指導室に呼び出された。学年主任の川島先生は原作通りの顔であるがやはり声は清川さんで、まさにそのために後から顔とキャラを作られたと思うほど、ハマっている。
その川島主任は二人の成績が落ちたことは、二人がつきあい始めたからではないかと二人を問い詰めた。成績が落ちたこともそうだが、学年のナンバー1と2がつきあうというのは気になるし、覚悟のほどを聞いておきたかったのかもしれない。
その後のBパートでは幼少の雪野の回想で、彼女が狡猾で現金な子供だったことがギャグタッチで再び語られる。そしてそういう「見栄が全て」の考えは間違いだったことも。それはおおかた視聴者はわかっていることだが、それが終わって先生に「それは小利口な生き方です」と反発することに説得力を持たせるためのいわば復習みたいなものである。「つきあうのは大学からでいい」という先生に優等生的に対応するでなく反発するのは、ここまで見てきた者なら十分説得力がある。そして反発するなかで、改めて彼女は見栄のむなしさと有馬の大切さを実感することとなる。
その場はそれでおさまるが、有馬も雪野に同意見で彼も変わってきたことが知れる。ところが二人とも両親の呼び出しをくらってしまった。「私のせいだ」という雪野を慰めるのも彼の変化を象徴している。
そんな中、やはり宮沢一家はパワフルなコメディータッチののりである。よく考えると恋人がらみで両親を学校に呼ばれるとは、もの凄く恥ずかしくてうしろめたいのではないだろうか。雪野はともかく有馬は堪えるはずなのに、そうならないのはやはり雪野がいる安心感であり、それに負けないというのも彼自身の戦いのはずだ。この回ギャグの合間に二人の真面目な会話があり、そういう「何事も二人で」という感覚で満ちている。
いざ両親を交えての面談。川島先生はまず両親に納得させようという意思からか「彼らは道を踏み外そうとしています」と少々オーバーな熱弁を奮う。ただ一生懸命なのは理解でき、熱意のある先生だという気がする。
それに対し宮沢父が「ではなぜ先生は二人がつきあうと〜」と率直に自分の意見を述べてしまうが、その際のカウントと音が父の無垢な部分を感じさせてよかった。そのまま父はびっくりした先生に言葉を投げかけていき、「高校時代の一日は大人になってからの一月分よりはるかに貴重な日々ですよ」と非常にもっともな事を言う。なんだかんでいって父はハートのある人間だということがわかるだろう。言った直後の四分割の映像もその場の空気を伝える秀逸なものだった。ここでもまた効果的に「夢の中へ」のアレンジが使われた。
最後に二人は先生と和解した。結局話のわからない先生ではなく、物事がうまく解決していく「いい話」という感じあった。最後の雪野のナレーションと花の映像は、事態が丸くおさまったことを振り返らせてくれるものとなっていた。