Note 2005.12.14
なぜミニを選んだか
クルマに限らず、選択肢があるものからいずれかを選択するときには、必ず何らかの理由がある。
それがとるに足らない理由であることもあれば、思い入れたっぷりの場合もあろう。
また心情的なことより、物理的経済的なことが優先した場合もあるだろう。
クルマを選ぶということになれば、たいていは性能、経済性、安全、実用性などの主要な選択要因と
それ以外の副次的な要因を絡めて選択されるものと思う。
ところが、クルマを選ぶにあたり、わざわざミニを選ぶというのはちょっと常識的な物差しからは外れていると思われる。
経済性でも性能でも安全性でも実用性でも、現代の日本においてこのクルマを選ぶのは酔狂であるとしか言えない。
ということは、そういう物差しとは全く違う物差しで選んだということになるわけだ。
ということで、ミニオーナー(元ミニオーナーも含む)に、なぜミニを選んだかを尋ねると、
各々様々な答えが返ってきて、それ自体がけっこうなドラマだったりする場合も多い。
「かわいいから」という結構よくある答えでも、冷静になって考えると、
ただ「かわいいから」という理由でそう安いわけでもない買い物をしてしまうのは、やはり普通の感覚とはちょっと違うだろう。
ましてや、いくら詳しいことは知らなかったとはいえ、
買うときには今後の維持は国産車よりはやっかいだろうくらいのことは考えたはずであるから、
「かわいいから」ミラジーノを買っちゃった人とはやはり一線を画すのである。
かく言う筆者のミニを選んだ理由は、幼少時代に遡る。
当時我が家は北海道の大動脈だった国道12号線沿いの借家に住んでいたので、
当時の男の子は皆そうだったように、筆者も3歳くらいから毎日国道沿いで自動車を眺めている子供であった。
自宅の前には日産があり、自宅の裏は自動車整備工場。
しかも、まだマイカーが普及するかしないかという当時としては珍しく、我が家にはクルマがあった。
べつに裕福だったわけではなくむしろその正反対なのだが、車を使って仕事をしていたからである。
ちなみに車種はコロナのライトバン。
これがトヨペットだったので、少年時代の筆者は日産とトヨタと裏の自動車整備工場に入り浸りでもあった。
5歳くらいのころには12号線を隔てた向かいにマツダもできたので、さらに入り浸る場所が増えた。
そんな子供であるから、これも当時の子供としては珍しくないが、道行くクルマの名前をことごとく言えた。
それを見た親は「この子は天才」と親バカ丸出しの勘違いをしていたようなのだが、当然現実は厳しい。
現代では考えられないことだが、
当時は国産車よりも外車の方が信頼度が高いという時代から、
ちょうど国産車の信頼度が追いついてきたという時代へ移行しているころで、
まだクオリティ全てに関して語るところまでクルマ文化は国内では成熟してないから、
すべてに成熟した外車のポジションは相変わらず国産車の遥か上にあった。
まだ日本は欧米に追いつけ追い越せだったのである。
しかも1ドル360円の固定相場、輸入車には高額な関税がかかるので、
滅多に見ることができない外車を街で見かけたら子供達は大騒ぎであった。
唯一なぜかビートルだけはけっこう見かけるので、子供に最も身近な外車はビートルなのであった。
当時、ミニカーの下に電極が突起していて、
それを電気が流れているコース上で走らせるというレーシングゲームのオモチャがあった。
我が家にあった最高級おもちゃであったが、このクルマがフォードアングリアであった。
しかしフォードが壊れたため、叔母が札幌のデパートまで用事で出たときに、
いかにも子供が喜びそうな宇宙船みたいな形をしたクルマを買ってきたのである。
この奇抜な形をしたクルマは街でも見たことがなく、てっきり空想の産物なんだと思いこんでいたが、
ある日小学館の子供向けの図鑑「交通の図鑑」を見ていて、非常にショックを受けた。
これは実在するクルマだったのだ。シトロエンDSである。
子供向け図鑑なのに、このクルマの先進性、そのテクノロジーに関して容赦なく解説が載っており、
自身が持っているレーシングミニカーだったこともあって、幼児ながらシトロエンDSは筆者のあこがれのクルマになっていく。
さて、国産車が庶民への普及を謀っていたころなので、
クルマに関する情報も雑誌、新聞、テレビなんかでも取り上げられるようになる。
男の子はほとんどすべからく自動車が好きであるから、幼児向けの雑誌や本にも当然クルマ情報が載っている。
そんな中で幼児はともかく世間で騒ぎになっていたのは、ミニのモンテカルロにおける活躍と、
小さいくせにとんでもなく速いらしいという、伝説みたいなもんである。
なぜ伝説なのかというと、実際には誰も速く走ってるところを見たことがないからで、
とにかくミニはシトロエンDS同様、見かけることがないのである。
ところが、筆者の住んでたイナカでは1台だけミニがあったのだ。
当時の言い方をすれば「ネズミ色」のミニで、走ってるのを見ると世間は大騒ぎである。
もちろん子供は走って追いかけるわけである。
こうして育った子供は、将来を夢想すると、
「オトナになったらシトロエンDSかミニに乗りたい」と考えるようになったわけだ。
さらに「ダメならビートルかフィアット500でもいいや」とも考え、
最後に「トヨタスポーツ800でも我慢する」なんてことを思っていたわけである。
オトナになって、クルマを持つということが現実味を帯びると、
まずビートルとフィアット500はそもそもの考えから外れていく。
クラシックカーに乗りたいと思ってるわけではないからである。
シトロエンDSはすでに製造が終わっていたが、
メカニズムの先進性は15年後にもこのクルマをクラシックカーに位置づけることを拒んでいた。
しかし、その維持にはかなりの覚悟が必要に思えた。
そしてミニである。
このクルマの底力は想像を超えていた。
15年経ってもクルマ自体はまるでクラシックカーではないのだ。
というのも、このクルマはある意味でコンセプトカーであり、
そのコンセプトが自動車の普遍的な目標だったからで、
さらにそのコンセプトの具現化でも、ミニを超えるものがその後も現れていないという事実があるからであった。
いずれにしろ、すでに製造されているクルマはビートルとミニだけになっている。
そうなればもうミニしかない。
こうして、「自分が初めて買うクルマはミニ」と運転免許証を取得するころには決めていたわけである。
しかし、免許を取得したからといって、クルマが買えるわけではない。
選択は完了していたが、いざ購入となるのは結局のところそれからさらにかなりの年月を必要とするのであるが、
それはまた後ほど。
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