Note 2005.12.17
ミニを買うきっかけ
買うのはミニと思ったところで、
実際にクルマを買うというのはそうは簡単なことではなかった。
なにせ、経済的にクルマを買う立場にならない。
人並み以上にビンボウなのである。
そうはいっても、クルマに乗る機会がないわけではない。
まず筆者が免許を取ったのを口実に、親父が乗用車を買った。
いままで自宅には商用車しかなく、親父もホントはクルマ好きであるから、
やっと自分が欲しい買い物をしたというヤツだったのだろう。
これが中古の日産オースター。
バイオレットの兄弟車で、よくアマチュアラリーで使われていた車種である。
我が家にきた個体も、前オーナーがラリーに使っていた気配があり、
インパネに標準装備でブーストメーターがついており、当時としては珍しいオーバーフェンダーを装備、
ステアリングはナルディに交換されていた。
足回りも明らかに堅めであったので、なにか手は入っていたと思われる。
これに親父は、ボディ色のメタリックブラウンに合わせて、
友人のタイヤ屋からゴールドのラリー仕様アルミホイールと、扁平率が高い幅広タイヤを奢っていた。
まだ今ほどみんながアルミホイールを買う時代でもなく、
またタイヤもこういうのを履いてる人は少なかったので、
派手さこそないが、クルマ好きにはなかなか目立つ個体ではあった。
このクルマで運転そのものが楽しみのひとつになったのだが、
クルマ自体は自分のものではない。
親元を離れると、自分で運転する機会は大学の恩師のクルマの運転手程度となり、
大学から出るとそれもなくなった。
しばらく運転そのものをすることがなく、ペーパードライバーの時期を経て、
初めて自分のクルマというものを得たのは、伯父の遺品としてであった。
トヨタハイラックスサーフディーゼルターボである。
実は伯父の遺品として選択できるクルマは2台あった。
もう一台はトヨタクラウン、しかも伯父が亡くなる直前に車検をとっていたので、まる2年車検付きであった。
一方、ハイラックスサーフは4ナンバーなので、1年車検である。
さらにサーフは伯父が飼っていた狩猟用大型犬2頭を乗せて走るのが常用となっていたため、
車内がどうしようもなくイヌ臭い(第三者曰く「イヌのおしっこクサイ」)という個体であった。
この状態でクラウンを選ばないのは酔狂だと思うだろうが、
それでもクラウンを選択しなかったのはATだったからというただ1点であった。
運転してる気がしないクルマはイヤだったのだ。
正直なところ、この間1度はミニを買うかどうか迷ったことがある。
これが、1990年のクーパー限定復活車だ。
オイルクーラーの標準装備に驚き、冷房付きに隔世の感がし、
後に致命傷になるとはその時には気がつかない、当時流行のガラスサンルーフがまぶしかった。
もう何とかして借金してでもと思ったが、
全く登校していないとはいえ、その当時はまだ学生の身分であった。
金を借りるアテもなければ返すアテはさらにない。
まだミニは現役で製造されつづけることだけを確認して、カタログ眺めて諦めたわけだ。
さて、伯父の遺品ということで、サーフを完全にダメになるまでは治してでも乗ると決めたので、
現実的にはミニを買うということから完全に遠ざかっていたのだが、
きっかけはひょんなことから訪れる。
まず生誕40年を目前にした1998年、ミニは2000年をもって製造が終了することが決まった。
新車で手に入れるにはもう現行車しかないわけだ。
ここで、本人は非常に焦る。
しかし、このときはまだ「MK-1のクーパーSを治しながら乗る。やっぱりハイドロでないと。」などという、
現実味の薄い野望への逃げ道もあったので、なんとしても現行車でなくてはならないという足枷はなかった。
ただ、新車をワンオーナーで、死ぬまで乗るつもりで最初からメンテナンスしながら乗るという
もう一方の計画に関しては、あと3年しか猶予はなくなったんだなとは思ったのである。
そして、1999年2月8日、道央自動車道にて多重衝突に巻き込まれ、サーフは修復不能の状態に陥る。
トラックがベースの、頑丈なサーフに乗っていなかったら死んでいてもおかしくなかった大事故であった。
通勤時の事故であったので、実際、会社のライトバンで通勤する手もあったので、もしそっちなら生きてた自信はない。
筆者の車は写真では左から2台目であるが、事故の最中はもっと中央寄りにあり、
筆者の後ろからきたクルマはすべて筆者のサーフに激突したのでどんどんはじき出されて路肩の方に寄ったのである。
さすがにこの状態になったクルマを修理することは不能であった。
サーフの修復を諦めたとき、まっすぐ筆者が向かったのは、
土地勘がある札幌競馬場の近くにあったROVER札幌桑園であった。
よく考えてみると、
ほんの幼児のころ、それこそ5歳くらいのときに乗ると決めたミニは、
ほとんどその姿を変えず、ほぼ30年以上筆者がディーラーを訪れるまで待っていてくれたわけである。
しかも、サーフは叔母の名義であり、名義変更していなかったので、最後まで自分の名義のクルマではなかった。
「最初に買うクルマはミニ」。
これは現実のものとなったわけである。