芥川龍之介 『蜘蛛の糸』の謎



「人生は一行のボオドレエルにも若かない」芥川龍之介『或る阿呆の一生』

中国服を着た芥川龍之介(大正10年)


 日本で生まれ育ち、普通に教育を受けた人の中で、芥川龍之介を知らない人はいないのではないかと思う。 
 また、数ある芥川龍之介の作品の中でも、『蜘蛛の糸』が一番有名なのではないだろうか。

 『蜘蛛の糸』は、傑作だと思う。人間のエゴイズムを端的に表現しており、小学生にもその主題は理解出来
 るであろうし、大人になってから読んでも、無駄の無い綺麗な文章の流れが、非常に素晴らしく感じられる。
 本当に短い作品だが、芥川龍之介が「新技巧派」とよばれた理由が、よくわかるのではないだろうか。

 『蜘蛛の糸』は、芥川龍之介の大学の先輩であり、夏目漱石の門下の作家だった鈴木三重吉の勧めで書かれ、
 雑誌『赤い鳥』の大正7年7月創刊号に掲載された、芥川にとって最初の子供向けの作品である。
 当時、新婚早々で子供のがいなかった芥川は、子供の読者が想定出来ず、苦労したようで、
 「御伽噺には弱りました。あれで精ぎり一杯なんです。但自信は更にありません。まずい所は遠慮なく筆削
 して貰うように鈴木さんにも頼んで置きました」
 と小島政二宛の書簡で書いている。

 芥川の心配をよそに、
 「物語性に満ちた『蜘蛛の糸』は、大正期童話にあってもひときわ光る作品」<関口安義>、「この種のも
 のの処女作にもかかわらず、『蜘蛛の糸』は非常に三重吉をよろこばせたみごとな出来映えを示し、芥川の
 数ある年少文学中でも第一等のものと、いうことができるのである。」<吉田清一>
 と、その評価も高く、広く読まれ続けているのは、周知の事実である。

 さて、私は、その傑作である『蜘蛛の糸』の謎について書いてみたい。

 謎とは?

 明るい極楽から「何しろどちらを見ても、まっ暗で、」の地獄が見えるわけがないだろう、
 とか、
 「地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、」とあるが、1里は4キロメートルであるから、
 「何万里」が例えば最小の1万里でも、4万キロメートル(実に地球一周分の距離である)もあることにな
 なり、「この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかもしれません。」な、わきゃ
 ねぇだろっ!
 などと、揚げ足をとるような事を書くのではない。『蜘蛛の糸』は、子供向けの小説、童話と言っても良い
 くらいだろう思うから、上記に書いたような事はどうでもいいのだ。私が常々思っている謎は、もっと根本
 的な事なのだ。

 御釈迦様は、何故、かん陀多を「地獄から救い出してやろう」と考えたのであろうか?ということである。

 手元に『蜘蛛の糸』が無い人の方が多いであろうから、少し書き出してみよう。

  するとその地獄の底に、かん陀多と云う男が一人、外の罪人と一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりま
 した。このかん陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございま
 すが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、或時この男が深い林の中
 を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこでかん陀多は早速足を挙げて、
 踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗
 にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助
 けてやったからでございます。

  御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、このかん陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しにな
 りました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御
 考えになりました。幸、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀
 色の糸をかけております。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間か
 ら、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。

 つまり、地獄から救い出されるような「たった一つ、善い事」、「それだけの善い事」は、「かん陀多には
 蜘蛛を助けた事がある」からなのだ。

 しかし、今一度読み直していただきたい。そもそも「かん陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しました」
 のである。
 何ということであろうか、普通の人間であれば、蜘蛛が路ばたを這って行くのを「早速足を挙げて、踏み殺
 そう」とはしないであろうし、例えそうであっても、自分で足を挙げて、踏み殺そうとしたのを思いとどま
 っただけなのが、地獄から救い出されるような「それだけの善い事」なのであろうか?

 ストーリーは全く違うが、『浦島太郎』は、子供が虐めていた亀を助け、その御礼に竜宮城に連れて行って
 もらう。この虐められていた竜宮城の亀が命の危機に瀕していたかどうかは、今となっては知る由もないが、
 虐められていた→浦島太郎が助ける→竜宮城へ連れて行ってもらう。
 という話しの流れに、特に問題はないであろう。

 『蜘蛛の糸』にあっても、例えば、
 蜘蛛を子供が殺そうとしていた→そこをたまたま通りかかった、かん陀多が助ける→それを思い出した御釈
 迦様が救いだそうと御考えになる。
 というストーリーならば、そう問題はないものと思われる。

 著作権なんかとっくに消滅しているのだから、せめて子供向けの本や絵本、教科書などは、ストーリーを変
 更してはどうであろうか?学校の先生は意味がわかって教えたりしているのであろうか?
 人を殺したり家に火をつけたりした大泥棒が、自分で蜘蛛を踏み殺そうとして思いとどまっただけなのに、
 地獄から救いだされるほど善い事とは、あまりにもひどい内容ではないだろうか。。。




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