上杉家文書(うえすぎけもんじょ)

国宝


【概要】
  旧出羽米沢城主上杉家(旧伯爵)に伝来した古文書で、中世に於ける越後国の状態や関東・北陸などの政治過程、社会構造を示す史料である。時代は鎌倉時代から江戸時代に及び、また、畳み方や封など文書様式をよく伝えている点で貴重なものであり、武家文書研究では必須の史料といえる。総数は1700余点。
 上杉家はもと長尾氏で鎌倉時代に征夷大将軍宗尊親王に従って関東に下った上杉氏の被官となった。上杉氏は勧修寺流藤原氏で足利尊氏の生母上杉清子の実家である。南北朝期に上杉憲顕が関東管領になってからは一族の世襲となり、更に憲顕が越後国守護に任ぜられると長尾氏は守護代として越後に入部した。
 長尾氏は府内・上田・古志・蒲原などの諸家に分かれたが、府内長尾氏の為景が永正4年(1507)に守護上杉房能を討って事実上独立し、その子景虎(後の上杉謙信)が越後を統一した。謙信は山内上杉憲政から上杉の名跡と関東管領を譲られ、養子の景勝は豊臣秀吉に従って五大老の1人となり、会津に転封した(120万石)。しかし、関ヶ原の戦のあとは米沢30万石に減封され、更に寛文4年(1664)、4代綱勝が無嗣のまま死去したため、吉良上野介義央の子である綱憲が上杉家を相続した。この際には15万石減封され明治に至った。
 本史料は「赤箪笥(乾坤)入文書」・「両掛入文書」・「精選古案両掛文書」・「黒塗掛硯箱入文書案」・「上杉家系図」・「越後国絵図」などの形で保存されている。近世のものは「赤箪笥(坤)入文書」でその他は中世の文書である。内容で大別すると本来の関東管領上杉氏関係の文書と長尾氏関係に分かれる。更に長尾氏関係は府内長尾・古志長尾と分かれる。
 赤穂事件関係のものは本文書群のほんの一部に過ぎないが、歴代藩主の世紀である「上杉家御年譜」には事件のことに触れているし、綱憲と吉良義央との関係、そして吉良の養子で綱憲の実子である吉良左兵衛義周についても若干の記事がある。
 本文書群は原形のまま箪笥に保管されていたことが特色である。本紙・礼紙・封紙の使い方、折り方・封の仕方などの文書形状、料紙・花押などの古文書学の研究には良い史料である。
 本文書群は昭和55年(1980)に重要文化財指定、平成元年(1989)7月上杉家の当主上杉隆憲氏より米沢市に寄贈され、更に平成13年(2001)には未指定の文書を追加して国宝に指定された。

【所蔵者】山形県 米沢市(米沢市立上杉博物館保管)。

【刊本】@大正14年(1925)から昭和6年(1931)に刊行された『越佐史料』(高橋義彦編)に多数所収されている。A鎌倉から江戸初期の文書については東京帝国大学史料編纂掛編纂『大日本古文書 上杉家文書』(全3冊・昭和6年、10年、38年)として刊行されている。B更に『新潟県史 資料編3 中世1 文書編T』(昭和57年)には上杉家の会津転封までの文書を収録している。これには文書の法量・形状・料紙・封式について詳しく調査し、その所見も記載している。直接原文書に接しなくても各文書の形態を知ることができる。C上杉家歴代藩主の世紀である『上杉家御年譜』は米沢温故会より翻刻された(のち原書房)。

【参考文献】「上杉家文書」(吉川弘文館『国史大辞典』所収)、上島有「上杉家文書」(『日本歴史「古文書」総覧』所収・1992年、新人物往来社)、上野秀治「本書の構成と解説」(米沢温故会編『上杉家御年譜 別巻』解説)。

(069/2000/09/09)