四国八十八カ所フォトアルバム



1996年6月4日(第2日)

第11番 藤井寺 〜 第17番 井戸寺

 

藤井寺山門

11番 金剛山藤井寺−−−お遍路用品・笈摺(おいずる)

 これは、昔、お遍路に出た高貴なお坊さんなどが、背中に背負った仏像の笈に自らの俗な体が触れないように来た、上着のような白衣が始まりだという。その後も、身の回りのもの一切合切を背負って歩くお遍路さんが、着物の背中が、背負った笈ですれて破れるのを防ぐためにも着たとも言う。
 現在では、この笈摺の袖のないものに各お寺の判を頂いたものを、自らの死出の旅路の装束として着る習慣があり、お札所で判を頂いているのを頻繁に見かける。
 これが一応、お遍路さんの正式な上着である。

焼山寺山門 12番 摩廬山焼山寺−−−お遍路の昔話・衛門三郎(その1)

 衛門三郎は、伊予の国のたいそうけちん坊で欲張りな長者だったそうな。ある時、乞食坊主(こつじきぼうず)が三郎の家の門を訪れ、喜捨を求めたけれど、三郎は鼻で笑って取り合わなかった。そして、同じ乞食坊主が三郎の家を訪れること8日目に、あまりのしつこさに怒った三郎は、坊主の持っていた鉄鉢を奪い取って投げ捨てた。地面にぶつかった鉄鉢は八つに砕けて八方に散ったが、その翌日から、毎日一人ずつ三郎の八人の子供が死んでしまった。
 おのれの罪深さに深く反省した三郎は、その乞食坊主こそお大師様に違いないと確信し、お大師様に一目会ってお詫びがしたいとお大師様を追って旅に出た。その後、野を越え山を越え、実に20回八十八カ所を巡ったが、ついにお大師様に会うことはできなかった。そして、とうとう21回目にこの焼山寺で老いと病気で行き倒れ同然に倒れたのだった。そこへ、お大師様が偶然に通りかかられ、「修行により罪障は消滅した。来世に何か望みがあるか」とお尋ねになった。すると三郎は苦しい息の下で、「私は、伊予の城主・河野一族なので、その世継ぎに生まれたい」といった。お大師様は、小石に「衛門三郎再来」と書いて三郎に握らせた。ほどなくして、三郎はお大師様に感謝しながら、安らかにその生涯を終わった。
 三郎の遺体は手厚く葬られ、彼の使っていた杖が墓標として立てられた。杖は本来、このように行き倒れたお遍路の墓標としても使われたのだ。その杖が根付き、大きな杉の木に育った。その杉の二代目が、この焼山寺への登り道の途中に残っている。
 説話だから、何となく信じがたい面もあるけれど、私はこの話が好きだ。どんな罪障もいつかは許される日が来るし、ひどい苦労もやがては報われると言うような気がして。  
焼山寺本堂
焼山寺大師堂


大日寺本堂 13番 大栗山大日寺−−−お遍路用品・経本

 私が、お遍路に持ってきているのは、2度目のお遍路の時3番のお寺で頂いた、毎日のおつとめの本だ。お遍路のお経本はこれに限らず、真言宗の毎日のおつとめで間に合うし、ただ、般若心経だけ上げて回るつもりなら(うちの両親はほとんどこの式だ)ほとんど全てのお札所で、大小さまざまな般若心経のお経本を売っている。目の不自由になったお年寄りの為に、大きな字で書かれたものまであるくらいだ。私は、一応、なるべく正式にお経を上げたいと思っているので、あれやこれやと増えてしまうが、初めてだったら、般若心経だけでも真剣にお経を上げ、お願いすればそれでいいと思っている。
 お参りが進んでいくと、お経を暗記してしまってお参りにお経本が必要なくなるというような話を聞く。しかし、お経はあくまでお経本を手に持って上げるのが正式なので、きちんと手に持って読経しましょう。  
大日寺大師堂


常楽寺本堂 14番 盛寿山常楽寺−−−お遍路用品・輪袈裟

 輪袈裟というのは、首に掛けるわっかの形をした袈裟である。つまり、略式の袈裟ということか。お参りの講などに入っていれば、主催のお寺や先達が用意して下さることが多いらしい。私はそういうつき合いが一切ないので、自分で75番の善通寺の大師堂前の売店で求めたものを使っている。
 
常楽寺大師堂


国分寺山門 15番 法養山国分寺−−−お遍路用品・お数珠

 お遍路に限らず、仏様、仏教と言えば、お数珠がつきものである。このおじゅずには、それこそピンからキリまであって、下は数百円でお寺の露店で売っているプラスチックのものから、上は、数百万円の菩提樹のものまで本当に種類がある。
 最初のお遍路の時はバブルの絶頂期だったし、私もむやみやたらと光り物が好きだったという悪癖もあったりして、数万円の水晶の数珠を使っていた。しかし、1度目のお遍路から帰ってから、私のその見栄っ張りで醜い悪しき心にちゃんとお教えがあって、家の猫の『たび』が紫の房の部分をかじってしまって、私はやむなくお数珠を購入した京都の東本願寺の前のお数珠やさんに送って、なおして貰った。これは、まだ、私にはもったいないお数珠なので、大事にしまっておくようにというお教えなのだと思ったので、それ以来、お数珠は家の引き出しの中にしまわれている。
 後になって、私達の様な初心者のお遍路さんには、軽くて扱いやすい萱のお数珠がいいと聞かされた。それで、機会があったらどこかの専門店で求めようと思っていたら、私の場合はその話しを聞いてホンのしばらく後に、おつきあいのあるお寺さんから、萱のお数珠を頂いた。それは、歩き遍路に出る直前だった。決して高価なものではないが、お大師様が私のお遍路にお力を貸して下さっているのだと思えて、とても嬉しかった。今回の遍路もそのお数珠と一緒に来ている。  
 
国分寺本堂
国分寺大師堂


観音寺本堂 16番 光耀山観音寺−−−お参りの順序

 お札所についたら、車の駐車場が境内にある場合でも、いったんお寺の外に出て、山門から正式に入り直す。そのときは立ち止まってご本尊に一礼する。おじゃましますの挨拶のようなものだ。まず手水を使う。両手と口を濯いでから、本堂、大師堂の順序でお参りをする。その際、お写経か納札というお札を納める。お参りが済んだら、納経所に行って納経帳や、掛け軸、笈摺などに納経をしていただく。とにかくお参りが済んでから納経をするのが正式な順序なのだが、私の経験では、時間に追われると(特に前に団体のお参りがいたりすると)、どうしても納経をお参りより先に済ましてしまいたい衝動に駆られるのだ。これは実に強い誘惑で、今回も時間の節約のためと称して、十ヶ寺くらいは納経を先にしたのではないだろうか。良くないとはわかっているのだが、このあたりまだまだ修行が足りない。
 そして、お参りが済んで、山門を出るとき又本堂を振り返って一礼して、仏様にお別れする。これが私のお参りのスタイルだ。  
観音寺大師堂


井戸寺本堂 17番 瑠璃山井戸寺−−−お参りの仕方色々(その1)

 しかし、人はそれぞれ、十人十色とはよく言ったもので、お札所のお参りの仕方も人によってだいぶ違っている。
 これはお参りと言えるかどうかよくわからないが、お札所につくと納経所に一目散に駆け込んで、納経だけをすまして手も合わさずに次のお札所を目指して寺を出ていく人もある。又、かろうじて手は合わせるものの、柏手を打っていく人もある。お札所はお寺で、お堂は仏教のお堂なのだ。神仏習合の名残で境内に神社が合祀されているところも多いけれど、なぜ柏手なのかは未だに謎である。
 きちんと般若心経だけでも上げて参っていく人は、全体の半分くらいだろうか。聞けば、納経帳や掛け軸はたいそうな高値で取り引きされるらしいし、家に一つあれば功徳がいただけるという。しかし、お参りもろくにしないで納経帳や掛け軸を作り、ご功徳だけ頂きたいというのは無理があるような気がする。どんなものだろう。
井戸寺大師堂

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