四国八十八カ所フォトアルバム



1996年6月5日(第3日)

第18番 恩山寺 〜 第23番 薬王寺

 

恩山寺本堂 18番 母養山恩山寺−−−お遍路用品・ろうそく
 各お札所のほとんどのお堂の前に、ろうそくを立てる場所がある。多くの場合、一本いくら(10円とか)でろうそくを売っている。しかし、贅沢はしないお遍路のこと。私はいつもろうそくをお参りに行くときに肩からさげるずた袋か、ウエストポーチの中に、紙のケースに入れて携行している。このろうそくは、あまり細いものでは消えやすいし、あまり太くて長いものでは、いつまでも残っていて他の方のろうそくを立てるところの場所ふさぎになるので、15分とか30分くらいで燃え尽きるろうそくが良さそうだ。各お札所で売っている、白い紙箱に黒いインクで巡拝の絵の書いてある巡拝用のローソクとか、カメヤマローソクのコンビニやスーパーで売っているものにいいのがある。1か寺で、本堂と大師堂の2カ所は最低お参りするから、最低でも2本必要である。ろうそくを立てるときは、なるべくろうそく立ての上の方から立てること。   
恩山寺大師堂

立江寺の塔 19番 橋池山立江寺−−−お参りの仕方色々(その2)
 しかし、お参りに行っていつも少しだけ困ることがある。と、言うのは、グループでお参りに来ていらっしゃる方の中に、あたりを圧するような大きな音で、携帯用の木魚のようなものを鳴らして、お経をそろえるためリズムを取りながら、勢を頼んで大音声でお経を上げる人たちがいることだ。これが実は結構多いのだ。彼らの目には、同じように悩みや願い、ご供養の思いを背負ってお参りに来ている他の人たちが見えていないようだ。ごく普通にお参りしている人たちを押しのけ、我先にお線香とろうそくを立て、先達というグループのリーダーの行動に遅れまいと、ただ自分のことだけに専念して、そこにあるのは、自分の願いを通したいという、強い意志と自分たちのお参りが他の何にも優先するという思い上がりもあるように見える。
 私などは、なんと言ってもまだまだ修行が未熟で、彼らがすぐとなりで独特の節回しでがなり立てるようにおつとめをすると、自分のお経がわからなくなってしまったり、それがイヤさに、途中でおつとめをいったん中止して彼らのお参りが済むまで待つ羽目になったりするのだ。
 勿論これも修行と思って、本当は気にしてはいけないのだろうが、怪我をさせられたりするとなると話は別である。というのは、私は結構背が高く、ろうそく立てにお灯明のろうそくを上げるとき、上の方に立てるのだが、自分のろうそくを早く立てて先達のお経の開始に間に合わせようとするあまり、順番を待てず、私の懐に潜り込むようにして私の腕の下でライターでろうそくに火を付けられたためやけどをしたり、無理矢理にローソク立ての前に体を割り込ませてくる人に押されて、ろうそく立ての割れた風防ガラスで手を切ったこともある。それで、痛そうにしたり、危ないから気を付けてくれと文句を言うと、自分のお参りをじゃまされたと言わんばかりに逆にくってかかってくる人もある。
 いったい、あの人達は何のためにお参りしているのだろう。自分さえ良ければいいと思っているのだろうか。  
 
立江寺本堂
立江寺大師堂

鶴林寺三重の塔 20番 霊鷲山鶴林寺−−−二羽の鶴と塔が見事な寺
 この鶴林寺は、山の麓からかなりの距離を上った山の上にある。森閑とした林の中にお寺があり、さらに石段を登ったところに本堂と塔がある。特に、本堂の前の二羽の鶴の像は、鶴林寺の名前にふさわしく躍動的で、しかも気品にあふれている。この鶴林寺の塔が、つぎの21番の太龍寺にあがるロープウェイから見えるのだ。間に大きな谷があり、歩き遍路では難所の一つに数えられている。ロープウェイの中で、遠くにこの塔が見えると教えられて、目を凝らした山の稜線に塔の姿が見えたとき、何とも言えず豊かな気持ちになった。
 塔はあくまでも高く、きっともっと遠くからも見えるだろう。まっすぐに天をさす塔は、迷ったり弱ったりしたときの人の心の支えになる。それは今も昔もきっと変わらないことだろう。
 初めてこのお寺をお尋ねした6年前から、私はこのお寺がとても好きだ。山のぴいんと張った空気と、美しい塔の姿が実にすばらしい空間を作りだしているからだ。自分の気に入ったお寺ができる、そして、また、そこを訪れたいと思う、それもお遍路のすばらしさだろう。
 
鶴林寺本堂

太龍寺本堂

21番 舎心山太龍寺−−−お参りの仕方色々(その3)
 グループでお参りの人たちでも、おとなしく他の人のお参りのじゃまにならないようにお堂の正面を少しはずれたところにかたまって静かに整然とお参りする人たちもいる。そういうグループと一緒になると、何とも豊かな気分になる。その人達の信仰の姿の美しさがよくわかるからだ。
 

平等寺全景 22番 白水山平等寺−−−お参りの仕方色々(その4)
 お参りとはそもそもいったいなんぞやと、そういう我先にお参りするグループを見ながらいつも自分に問いかける。
 私はたまたま、若いときから仏様にご縁を頂くことができ、おかげさまで色々なお坊様から、お話を聞かせていただくことが多かった。その中で、本当にありがたいことを聞かせていただいて幸せだったと感謝していることがいくつかある。そのうち、お参りに関することをまとめてみよう。
 まず、お参りして自分の願い事を願う前に、今までの無事と、今日お参りできたことを神様や仏様に感謝してお礼を申し上げる。それから自分の願い事をするが、その時自分のことばかりでなく、家族やご縁のある友人のことなどもあわせてお願いすると、願い事が叶いやすいという。何はともあれ、お礼が先ということだろうか。
 以前に、高野山のお寺の方と奥の院にお参りしたとき、大阪弁の40台か50台くらいの女性が、般若心経を上げた後(これは、慣れると1.2分で上げられる)延々と自分の願い事をお願いし続けていた。よくもまあ、こんなに色々覚えていられるなあと、感心するほどあれこれお願いするのだ。やっとお願いし終わって、深々と頭を下げそのご婦人が去って行かれた後、私達二人は毒気に当てられて、しばらく無言でいた。
 自分の欲ばかり出る、そんなお参りも何だか悲しい気がする。人はどうでもいいが、私は、家族や友人知人の幸せと健康を祈る気持ちを失いたくないと心底から思っている。今の自分が幸せいっぱいで人にもそれを分けて上げたいということではない。自分一人幸せになる人生では、きっと楽しくないだろうから。みんなが良くなること、それが私の幸せなような気がするのだ。
 
平等寺本堂
平等寺大師堂


薬王寺本堂 23番 医王山薬王寺−−−お遍路用品・お線香
 ろうそくと同じで、各札所でばら売りもしているけれど、私はいつも家で気に入って使っているお香やさんのお線香を持参していく。というのは、お線香=お香は、仏様のご飯と同じだと聞かされたからだ。家でも、他はそんなに贅沢はしないけれど、お線香だけは、手の出る範囲で一番いいものを使うようにしている。宗派によって一カ所で使用する本数が違うけれど、巡拝の場合、一本で良さそうだ。毎回、家を出るときに買い置きの新しいお線香の箱を一つもって出るが、たいていそれで事足りる。色々なお線香を仏具屋さんで選んでみるのもたのしみかもしれない。お線香を立てるときは、なるべく中心の方から立てること。
 
薬王寺大師堂

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