赤穂義士読本(あこうぎしどくほん)


【概要】
 赤穂中学義士研究部(代表平尾須美雄)が編集した赤穂事件の概説書で、昭和8年(1933)に発行された。発行元は越智精榮堂である。赤穂中学義士研究部編となっているが、執筆は主に平尾須美雄(孤城)が担当している。
 本書は中学(旧制)以上を対象とし、平易で史実に即して義士の概説を知らしめるとともに、精神教育の一助に資す目的で編集された。従来の赤穂義士関係の書は汗牛充棟であるが、専門的なものや巷間的なものを避けて平易にして史実に近いものを採用している。内容は以下の通り。

【『赤穂義士読本』目次】
事   項
- 明治天皇勅書釈文
- 口絵(山鹿素行像・赤穂城大手門古写真・花岳寺浅野長直画像・花岳寺大石良雄木像・泉岳寺義士之墓・浅野家時代赤穂藩図・旧浅野藩邸之図・吉良邸絵図)
小序 兵庫県立赤穂中学校長・赤穂義士会長・陸軍少将 武川壽輔(昭和8年2月4日)
例言 -
系譜 浅野(源)家系図・大石(藤原)家系図・吉良(源)家系図
義挙年譜 元禄14年(皇紀2361)〜元禄16年(皇紀2363)及び拾穂
素行年譜 山鹿素行年譜附赤穂藩年譜
四十七士一覧 表門隊・裏門隊、父子組・兄弟組・従兄弟組・叔姪組
目次 -
第1篇 義士報讐篇 @年頭の嘉例・殿中の刃傷・長矩の切腹・長廣の閉門・収城の準備 A凶報飛聞・善後処置・一統決心・赤穂開城・良雄赤穂退去 B良雄初の東下・義央の隠退と大学の貶謫・東西両派の提携・義士の江戸入と討入の準備
C義士の討入・一統の引揚 D四侯家御預・処刑裁定・義徒切腹・一党埋葬
第2篇 義挙参考篇 @第一急使口上書 A従大学様赤穂年寄共へ御書之写 B以多川九左衛門、月岡治右衛門両使江戸へ御歎申上口上書写 C大石内蔵助の遠林寺祐戒(海)に復する書
D赤穂収城片鱗録(収城使任命・収城使の誓約・御伺書・在番中の定書・御伺覚書・采女正様より参候御書付・赤穂城請取役人・本丸請取・収城後聞) E棟梁の訓令 F同志の変称と宿所 G起請文前書之事
H人人心得之覚 I寺井玄溪へ報ずる大石良雄の手紙 J討入道具 K浅野内匠家来口上
L討入状況 M討入実況覚書 N颱風一過 O尽人事而待天命
第3篇 義士逸事篇 @大石良雄自画像賛 A不破数右衛門のこと B杉野十平次のこと
C大高源五母堂への手紙 D赤埴源蔵のこと E矢田五郎右衛門のこと
F磯貝十郎左衛門のこと G矢頭右衛門七のこと H大石主税のこと
I三村次郎左衛門のこと J野外小劇 吉田忠左衛門と竹井金左衛門
第4篇 義士文藻篇 @和歌 A俳句 B漢詩
C紀行文 D俳文 E漢文
第5篇 義士周囲篇 @評文 A漢詩 B戯詩 C和歌
D狂歌 E俳句 F川柳 G狂文
H細井広澤のこと I寺井玄溪のこと J甚三郎のこと K義士外伝 羽倉斎
第6篇 附録 @浅野長直公 A山鹿素行 B素行の教育 C赤穂の義士史蹟

 第1篇は赤穂事件の概説を史実に即して述べてある。そして第2篇以降は史料篇とでもいうべき内容である。第2篇は第1篇を受けて事件の経過に沿って史料を羅列している。ただし、必要最小限にとどめている。
 第3篇は義士一人一人の人格を知る史料である。第4篇も同様な意味が含まれているが、ここでは四十七士の和歌・漢詩など文芸面についての史料である。
 第5篇は周囲の人の義士に対する評価や義士を称える漢詩などを掲載している。第6篇は浅野長直の伝記、「先哲叢談」から引用した山鹿素行の伝記、「山鹿語類」に見る素行の思想、そして赤穂の史蹟紹介からなっている。
 このように赤穂義士を総合的に捉えようとした点では内海定治郎真説赤穂義士録』の方が古い。しかし、入門書として作成されたところに本書の特色がある。

(077/2002/10/7)
(2003/2/8)